辺境伯アルトの、忙しくも平穏な一日
シーン1:未来への発展
エンシェントドラゴンとの戦いから、一年が過ぎた。
城塞都市アイギスは、今や王国東方における最も重要な拠点として、かつてないほどの発展と繁栄を謳歌していた。
「——よし、これで東地区の新しい灌漑用水路の設計は完了だ」
辺境伯の執務室で、アルトは羽ペンを置くと、ぐっと背伸びをした。
彼の目の前の机には、精密に描かれた都市の設計図が何枚も広げられている。領主となり、辺境伯となった今でも、彼がやっていることは昔と何一つ変わらなかった。ただ、街をより良くするための地道な「作業」を、毎日毎日、飽くことなく続けているだけだ。
「お疲れ様、アルト。休憩にしない? 新しい薬草をブレンドした、とっても良い香りのハーブティーを淹れたの」
ドアが開き、リリアが笑顔で入ってきた。彼女の手には、湯気の立つ二つのティーカップが乗ったトレイがある。今や彼女は、アルトの公私にわたる最高のパートナーだった。
「ありがとう、リリア。ちょうど一区切りついたところだよ」
アルトは微笑み返し、リリアが淹れてくれたハーブティーを一口飲む。温かくて優しい香りが、疲れた身体にじんわりと染み渡った。
窓の外に目をやると、活気に満ちた街の風景が広がっている。
子供たちの笑い声、職人たちの槌音、商人たちの呼び声。その全てが、アルトにとっては守るべき宝物だった。
「次の『作業』も、山積みなんだ」とアルトは笑う。
学校の建設、新しい作物の栽培計画、隣街との交易路の整備。彼の頭の中は、この街の未来を創るためのアイデアでいっぱいだった。
「ふふ、本当にあなたは働き者ね。でも、そんなあなただから、みんなに慕われるのよ」
リリアは、そっとアルトの手に自分の手を重ねた。
かつて「無能」と見下された地味なスキルは、今、数万の民の幸福を支える、何よりも尊い力となっていた。彼の本当の価値は、それを必要とするこの場所でこそ、最大限に輝いていた。
シーン2:忘れ去られた過去
その頃、王都の裏寂れた酒場の片隅で、三人の男たちが安酒を煽っていた。
「くそっ…また依頼に失敗した。こんな簡単なゴブリン退治すら、今の俺たちじゃ…」
悪態をつくのは、かつて『竜の牙』のリーダーだった剣士、バルトロだ。彼の顔には深い疲労が刻まれ、その剣にはもはやSランク冒険者だった頃の輝きはない。
「…仕方ないだろ。まともな回復役も、魔法使いもいないんだから」
ガストンが、力なく呟く。彼の自慢だった大盾は、あの戦いで溶け落ちたままだ。
パーティーの紅一点だった魔法使いのセリーナは、一年前にパーティーを脱退し、今はどこで何をしているのかも分からない。
彼らはSランクから転落した後、二度と浮上することはできなかった。どのパーティーも、かつて仲間を見捨てた彼らを組む相手として信用せず、今ではCランクの依頼を細々とこなすのがやっとだった。
「聞いたか? あのアイギスの辺境伯様が、また新しい政策を打ち出したらしいぜ」
「ああ、大陸一豊かで平和な街だってな! 一度は行ってみたいもんだ」
酒場にいる他の冒険者たちの会話が、嫌でも耳に入ってくる。
その度に、三人は顔を伏せ、唇を噛み締める。自分たちが捨てた男が、今や大陸中の誰もが羨む英雄として語られている。その事実が、何度聞いても彼らの心を抉るのだ。
彼らは、もはや誰からも忘れ去られた過去の存在だった。
冒険者たちの笑い者になりながら、ただ意味もなく酒を飲み、過ぎ去った栄光を夢想する。それが、本当の価値を見極められなかった彼らに与えられた、当然の結末だった。
アイギスに、今日も穏やかな夕日が沈んでいく。
辺境伯アルトとその街の物語は、まだ始まったばかりだ。
大陸で最も豊かで平和な場所で、彼と彼を慕う人々の、忙しくも平穏な日々は、これからもずっと続いていく。




