伝説への挑戦、そして壊滅
シーン1:無残な敗北
『嘆きの山脈』。
その名の通り、一年を通して冷たい風が吹き荒れ、草木すらまともに育たない不毛の地。ごつごつとした岩肌が天を突き、空は常に鉛色の雲に覆われている。
そんな、生物の生存を拒絶するかのような山脈の最奥に、その洞窟はあった。
「ここが…エンシェントドラゴンの巣…」
セリーナが、恐怖に震える声で呟く。
洞窟の入り口は、巨大な城門を思わせるほどに大きく、その周囲の岩は不気味なほどに黒く焼け焦げていた。入り口付近には、巨大な獣のものと思しき白骨が、無数に散らばっている。伝説が真実であることを、その光景が雄弁に物語っていた。
本来であれば、ここに至るまでに数多の罠を解除し、周囲の魔物を掃討し、安全な撤退路を確保しなければならない。だが、彼らはただ、一直線にここまで突き進んできただけだった。アルトがいれば絶対にあり得ない、あまりにも杜撰で、無謀な行軍。
「…行くぞ」
バルトロが、ごくりと唾を飲み込み、剣を抜いた。彼の顔には焦りの色が浮かんでいるが、もはや引き返すという選択肢はなかった。
三人は、覚悟を決めて洞窟の中へと足を踏み入れる。
洞窟の内部は、想像を絶するほどに広大だった。そして、その最深部で、彼らは”それ”を発見した。
小山のように巨大な身体を横たえ、眠っている、一頭の竜。
全身を覆う鱗は、黒曜石のように硬質で、深い輝きを放っている。閉じられた瞼の下にあるであろう瞳は、神話の時代からこの世界を見つめてきたという。それが、エンシェントドラゴン。伝説そのものだった。
「今だ…! 俺の合図で最大魔法を叩き込め、セリーナ!」
バルトロは、勝利への渇望に駆られ、叫んだ。奇襲で全てを決める。それが彼の作戦だった。
彼は大地を蹴り、自らの最強の剣技を繰り出すべく、竜へと突進した。
その瞬間、それまで閉ざされていた竜の瞼が、ゆっくりと開かれた。
現れたのは、溶岩のように赤く、そして深淵のように昏い瞳。その瞳が、バルトロを——虫けらを見るかのように、静かに捉えた。
「しまっ…!?」
バルトロが気づいた時には、すでに遅かった。
竜が、ただ億劫そうに尻尾を振るう。それだけのアクションが、凄まじい衝撃波となってバルトロを襲った。
「ぐはっ…!」
最強の剣技を繰り出す間もなく、バルトロの身体は紙くずのように吹き飛ばされ、洞窟の壁に叩きつけられた。
「バルトロ!?」
「セリーナ、詠唱を続けろ!」
ガストンが、大盾を構えて前に出る。だが、竜はそんな彼らを意にも介さず、ゆっくりと身体を起こした。その巨体から発せられる威圧感だけで、空気が震え、立っていることすら困難になる。
「喰らいなさい! 『インフェルノ・バースト』!」
セリーナの詠唱が完了し、Sランク魔法使いである彼女の最大火力魔法が、灼熱の渦となってドラゴンに直撃した。洞窟全体が、一瞬、真昼のように明るくなる。
しかし——。
炎が晴れた後、そこに立っていたのは、鱗一つ焦がしていない、無傷のエンシェントドラゴンだった。
魔法の直撃を受けたにもかかわらず、その瞳は「今の遊びは何だ?」とでも言いたげに、退屈そうに彼らを見下ろしている。
「そん…な…」
セリーナが絶望に目を見開く。
ガストンも、その絶対的な力の差を前に、戦意を喪失していた。
(ああ、こんな時…アルトがいてくれたら)
誰の心に浮かんだのか。それは、三人に共通する、今さらすぎる後悔だった。
彼がいれば、こんな無謀な奇襲はしなかった。完璧な罠を張り、敵の弱点を分析し、安全な距離から削り殺す戦術を立ててくれただろう。
だが、そのもしもを口にすることすら、許されなかった。
エンシェントドラゴンが、ゆっくりと息を吸い込む。その喉の奥が、地獄の業火のように赤く輝き始めた。
「——まずい、ブレスが来るぞ!!」
ガストンの絶叫が響く。
次の瞬間、世界が紅蓮の炎に包まれた。
シーン2:怒れる竜の進撃
絶望的な灼熱が、洞窟内を焼き尽くす。
ガストンは咄嗟にパーティーで一つだけ所有していた、古代遺物である転移の魔石を起動させた。それは、一度使えば砕け散る、最後の切り札だった。
眩い光が三人を包み込み、次の瞬間には、彼らは嘆きの山脈から遥か南の森林地帯へと強制的に転移させられていた。
背後で起こった爆発的な轟音と衝撃波が、彼らがいた場所が文字通り消滅したことを物語っていた。
「はぁ…はぁ…助かった…のか…?」
バルトロは地面に倒れ込み、かろうじて生きていることを確認する。だが、その代償はあまりに大きかった。
ガストンの自慢の大盾は溶け落ち、全身に大火傷を負っている。セリーナも魔力のほとんどを防御障壁に回したが、美しい髪の半分が焼け焦げていた。バルトロ自身も、最初の尻尾の一撃で肋骨が何本も折れていた。
パーティーは、文字通り壊滅状態だった。
「…帰るぞ。王都に…」
バルトロが、絞り出すような声で言う。
Sランクへの返り咲きも、伝説級への昇格も、全ては愚かな夢と化した。彼らに残されたのは、惨めな敗北と、消えない屈辱だけだ。
だが、彼らが犯した最大の過ちは、伝説の竜に挑んだことではなかった。
——その竜を、本気で怒らせてしまったことだ。
彼らが消えた洞窟で、エンシェントドラゴンは天に向かって咆哮した。
神話の時代から、自らの縄張りで静かに眠っていただけの存在。その眠りを妨げ、攻撃を仕掛けてきた矮小な存在を、竜は決して許さなかった。
その鋭敏な感覚は、転移魔石のかすかな魔力の残滓を捉えていた。敵が逃げた方角を、正確に。
エンシェイントドラゴンは、巨大な翼を広げ、初めて自らの巣から飛び立った。
その目的はただ一つ。自らを侮辱した虫けらどもを、その痕跡が残る場所ごと、地上から消し去ること。
怒りに燃える竜の瞳が、遥か南の地平線を見据える。
その方角で、今、最も大きな人間の営み——魔力の輝きを放っている場所。
それは、数千の人間が集い、急速な発展を遂げている、新しい街。
——城塞都市『アイギス』。
『竜の牙』がもたらした災厄は、彼ら自身にではなく、彼らがかつて捨てた男が、必死に築き上げた安住の地へと、その牙を向けていた。




