修学旅行の「とばっちり」#5
城野さん目線です。
班の朝食がひと段落して、みんなが牛乳を飲み干す頃だった。私はスプーンを置いたまま、さっきからずっと黙っていた。笑顔は浮かべてるつもり。でも、顔がこわばってるのは自分でもわかっていた。だって、みんなの注目を集めてしまったのだ。昨日から引きずっていた羞恥と、今朝のざわめき。言われてみれば、体操服姿で観光に出るなんて、我ながら正気じゃない。
恥ずかしい格好をしている。
なのに、山中っちはさっきから私の方を見てくれない。
…むしろ、高木くんのほうばかり見ている。
それが、地味にこたえた。
「……あのさ」
少しだけ遅れて、私の前に座った高木くんが話しかけてきた。
彼は姿勢をちょっとだけ前に傾けて、声を潜めた。
「ありがとう。助かったよ……なんか……すごく」
「えっ?」
「その……城野さんが体操服だったから。正直、救われた」
そう言ったときの高木くんの顔は、恥ずかしいはずなのに、なんだかやわらかくて、ちょっとだけ嬉しそうで。
私は瞬間、心のどこかがチクリと痛んだ。
(やめてよ……そういう顔)
だって、私は――。
「いや、別にそんなつもりじゃ……」
咄嗟に目を逸らしながら口ごもっていると、不意に、横から声が割り込んだ。
「えー?
え、なに?
やっぱり、高木のこと、好きなん?」
浅倉だった。
「えっ?
うそ、え、そういうこと!?
おそろいで体操服って、まさか……」
「ちがうってば!」
慌てて否定したけど、すでに遅かった。
クラスのみんなが一斉にこっちを見た。さっきまで話題になっていたのは高木くんだったのに、今度は私。
さながらバトンリレーのように、注目の的が移った。
「うそ〜? さっきめっちゃいい感じだったじゃん?」
「ちがうってば!!」
声が裏返りそうになって、私は思わず背筋をのけぞらせた。
(しまった…声を張りすぎた…)
ちらっと高木くんを見ると、案の定、顔が真っ赤だった。お箸を持っていた手も宙で止まっている。
「……ぼ、僕、ちょっと牛乳取ってくる……」
そう言って、高木くんはトレーを持ち、逃げるように席を立った。
(……ごめん。でも、私、本当に違うんだよ)
わかってる。
高木くんは私が同じ服を着ていたことで少し救われたんだ。
でも――
私は、あなたのために着たわけじゃない。
好きなのは、山中っちだけ。
今でも、ずっと――。
その視線を、そっと横にずらす。
山中くんは、何も言わずに牛乳を飲んでいた。視線の先には、もう誰もいない。
ただ、心なしか、その目が少しだけ揺れていた気がした。
(ねえ、気づいてよ……。私は、あなたに見てほしかったんだよ)
でも、そんなことは言えないまま、私はまたスプーンを手に取った。
何もないふりをして、空になったヨーグルトのカップをすくった。
すると、ふと視界の端で、誰かがこちらを見ている気がした。
里村さんだった。
優しい表情。でも、目だけが、なぜかどこか冷静で
――全部、見透かしているような。
(……なんでだろう)
一瞬だけ視線が交差し、私は慌てて目を逸らした。
ーーーーー
観光バスのエンジン音が低く唸りを上げ、ゆっくりと学校をあとにした。
京都の町並みがバスの窓を流れていく。今日の最初の目的地は清水寺だという。けれど、私の頭の中は、景色のことなんて一ミリも入ってこなかった。
なにせ、今日の服装は体操服。それも、半袖の。
出発前の夜、思い切って選んだ「勝負服」。
でも、それが今は、勝負どころか、罰ゲームみたいに感じられて仕方がない。
(やっぱり、やめればよかったかな……)
けれど、もう後戻りはできない。スーツケースには、他の服なんて一枚も入ってない。むしろ「これしか着ない」って、自分から決めたこと。山中っちに、ちょっとでも意識してもらいたくて。
なのに、結果はこれだ。
体操服姿の私は恥ずかしさから今バスのシートに小さくなって座っている。隣には、里村さん。
山中っちは、斜め後ろの席で富田さんとペアで座っている。距離にして、ほんの1メートルくらい。だけど、すごく、遠く感じた。
(なんで……わたしを見てくれないの……)
昨日の夜も、今朝も、目が合わなかった。むしろ、見ないようにしているんじゃないかってくらい。
やっぱり引かれてるのかもしれない。「なんでこの子、体操服なんだよ……」って、そう思ってるのかもしれない。
でも、それでも。
私は、、、彼の目に映りたかった。
「……ねえ」
耳元で、里村さんの声が囁く。
「なんでその格好なの?」
声はやさしい。でも、どこか探るような響きがある。
里村さんは小悪魔的に笑みを浮かべていた。
私はなるべく平静を装って答えた。
「うん……まあ、楽だし」
「ふーん」
それだけ言って、彼女は外の景色に目を戻した。けれど、その目はまったく動いていなかった。まるで、心の中だけで何かを計算しているみたいだった。
(……やっぱり、気づいてるのかな)
昨日の朝、私がとっさに「高木くんを気遣って」っていう嘘をついたとき、助け舟を出してくれたのは、彼女だった。
(里村さん…あなたの狙いは何…?)
「高木くんほんと災難だよね。せっかくの修学旅行体操服しかなくて」
不意に、里村さんがそう言った。私はびくっと肩をすくめる。
「う、うん……」
胸の中がざわざわした。
「ねえ、城野さん」
また、囁くような声。今度は不敵な笑みを浮かべていた。
「高木くん、あなたのこと、好きなんじゃない?」
「えっ」
思わず声が出てしまって、前の席の片岡くんがチラッと振り返った。聞かれたらまずいと思って、慌てて笑ってごまかす。
「な、なに言ってるの?里村さん」
「だって、そう見えるよ?」
里村さんは、まっすぐに私を見た。目は笑っているけど、どこか底が読めなかった。
「さっき高木くん顔真っ赤だったよ」
(……そんなの、私が一番思ってるよ)
「で、どうなの? 城野さんは」
「どうって……別に、なんとも……ないし」
あまりにもテンプレな返しをしてしまって、我ながら下手すぎて嫌になる。
すると彼女は笑いながらこういった。
「そっか。でも、そうやってはぐらかす時って……案外、図星だったりするんだよね」
私は軽く笑いながらも、じんわりと額に汗がにじむ。バスの空調は効いているはずなのに、背中にもじっとりと熱が張りついていた。
(……この人、絶対に気づいてる)
私が山中っちのことを好きなことも、体操服を選んだ理由も、多分、ぜんぶ。だけど、何も言わない。言わない代わりに、こうして私を試してくる。
でも、言えない。だって、バレたら終わりだ。山中っちに、絶対知られたくない。
「……本当に、なんともないってば」
私は少し声を強くして、そっぽを向いた。京都の街並みが、バスの窓の向こうで淡く揺れていた。
そこに目を向けているふりをしながら、心の中はずっと、ぐるぐると回っていた。
(どうしよう……このままじゃ、全部、見透かされちゃう)
でも、隠せない。だって、今の私の服装が、なにより雄弁に「好き」を語っているんだから。
制服でも私服でもなく、わざわざ選んだ、体操服。
(恥ずかしい……ほんと、恥ずかしい……)
おまけに、私と同じ格好をしてる高木くんが、今も静かに座ってる。時々、私のほうに視線を向けている気がして、耐えられない。視線を合わせたら、勘違いされたらどうしよう、って思ってしまう。
(私は、山中っちが好きなのに……)
けど、彼の方をチラッと見ると、やっぱり目が合って――高木くんは、ふっと小さく笑った。
恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに。
その表情を見てしまって、私は思わず目を逸らした。
(……やめてよ。そんな顔、しないで)
胸の奥が、ずきんと痛んだ。
「次は清水寺です〜」と、先生のマイク越しの声が車内に流れる。バスの中の雰囲気が一気にざわつき、みんなの視線が一斉に前を向いた。
(お願いだから……今日は、何も起きないで)