恋愛のとばっちり
私は、今好きな人がいる。
来週の修学旅行で、思い切って告白しようと決めていた。
彼と私は、小学校1年生からずっと同じクラスだった。
身長もほぼ一緒で、「背の順」に並ぶといつも隣同士だった。毎年の身体測定では、どちらが高いかで軽口を叩き合って、笑いながら言い合いになるのが恒例だった。
私は、彼にちょっかいをかけるのが好きだった。
彼も、文句を言いながらも、ちゃんと私のノリに付き合ってくれる。
その関係が心地よくて、楽しくて。
他の誰でもなく、彼とじゃないと、このやり取りは成り立たないとさえ思っていた。
周囲から「お似合いだね」なんて言われると、ドキッとした。
まるで、ふたりが本当にカップルであるかのように。
嬉しかった。
いつか本当に、そうなれたらいいのに――って、思っていた。
けれど、その未来は、昨日の出来事でふっと遠のいた気がした。
昨日の朝礼は、いつもと少し様子が違っていた。
グラウンドは前夜の雨でぬかるみ、足元は不安定だった。
地面にしゃがむように言われたけれど、私はずっと落ち着かなかった。
時間だけが無駄に長く感じられて、私はつい、彼にちょっかいをかけた。
彼の肩を軽くつついて、囁くように言った。
「ねえ、山中っち、寝てない〜?」
少しだけ彼がこっちを見て笑いそうになったその瞬間、先生の声が飛んだ。
「おい、そこの2人! 静かに!」
ドキッとした。
その瞬間、彼がビクリと肩を震わせたのが分かった。
そして次の瞬間
――バランスを崩し、彼は後ろへ尻もちをついた。
べちゃっ。
泥の跳ねる音が、グラウンドに響いた。
ズボンのお尻は、見事に泥だらけ。
色も、かたちも、まるで……まるで、「おもらし」したみたいに見えた。
私は凍りついた。
彼の顔がみるみる赤くなっていく。
唇を噛んで、俯いたままじっとしていた。
泥のついた手をぎゅっと握りしめている。
私の心はぐちゃぐちゃだった。
私のせいだ。
謝らなきゃ、すぐに謝らなきゃ。
でも、朝礼中に声を出すことは許されない。
なのに――
私の心の中は叫び声で満ちていた。
「ちがう。彼はそんなことしてない。ただ転んだだけなのに……」
「ごめん。私のせい。私のせいなのに……!」
でも、言えなかった。
彼のお尻についた泥を見ていると、まるで私たちの関係まで汚れていくような気がして。
私はただ、うつむいて、耐えることしかできなかった。
朝礼が終わり、皆が立ち上がる中で、彼はそっと立ち上がった。
手をお尻に尻に当てるようにして隠して歩くその姿が、痛々しくて。
私はただ、彼の背中を見つめていた。
そして、彼は教室に戻らず、そのまま保健室へ行ってしまった。
1時間目の休み時間。
彼が戻ってきた。
いつもはセンスのいい私服を着てくる彼が、その日は――
上は赤と黒のチェック柄のTシャツ。
でも、下は学校の紺色の体操服のハーフパンツだった。
ポケットには「保健室」の文字。
サイズも合っておらず、パツパツで、彼の脚や体のラインが妙に強調されていた。
彼はうつむいたまま教室のドアを開け、そろそろと自分の席へ向かった。
誰とも目を合わせない。
そして席につくと、ふと自分の体操服を見下ろし――
その場で、ぽろぽろと涙を流しはじめた。
私はもう、黙っていられなかった。
何か言葉をかけなきゃ、そう思った。
だから、私は――
いつものように、ちょっかいをかけた。
「山中っち! 私のせいでごめんね〜。でも、その服、全然似合ってないよ!」
……いつもなら、ここで彼がツッコんでくれる。
少し文句を言って、でも笑ってくれる。
そうしてまた、ふたりの関係が元通りになると信じていた。
でも――返事は、なかった。
彼はただ泣きながら、自分の姿をじっと見ていた。
悲しそうで、でも、どこかうっとりしているようにも見えた。
まるで、自分が「悲劇のヒロイン」になったみたいに――。
その目はもう、私を見ていなかった。
彼は別の場所にいるように感じた。
私は――初めて、彼に無視された。
彼の服装は、どうしても「おもらしをした子」のように見えた。
でも本当は、何もしていない。
ただ泥に転んだだけ。
それなのに、なぜ泣いているの?
なぜ、嬉しそうなの?
どうして、そんなふうに「浸って」いるの?
そんな彼は、私の知っている山中っちじゃなかった。
私は、明るくて、私のふざけたノリに付き合ってくれる彼が、好きだったのに。
でも――それでも――
私は、彼を諦められない。
なぜなら、私は彼のことが好きだから。
彼と同じ目線に立ちたい。
同じ土俵に上がって、同じくらい恥ずかしい思いをして、同じくらい泣いて――
それで、もし恋が叶うなら、それでいい。
それで、いいよね?
山中っち。