雨の日のとばっちり
雨の次の日は、嫌いだ。
地面が濡れているからだ。
校庭での朝礼。
いつもなら座って聞けるはずなのに、雨の翌日は違う。
座ればお尻が濡れてしまう。だから、しゃがまなくてはならない。
でも、しゃがむのは地味にきつい。膝が笑い始めてくる。
もし万が一、地面にお尻をつけてしまえば――
ズボンが泥で汚れて、「おもらし」みたいに見える。
それだけは絶対に避けたかった。
背が高い僕は、退場のときに、後ろの列からよく見えてしまう。
だから、絶対にお尻をつけられない。
ふと思い出す。
「そういえば、おもらしって言えばさ――」
1週間ほど前、3組の北原くんが全校集会中に「やっちゃった」らしい。
最初は1組の葛城さんが、全校集会のあと、下だけ体操服という変な格好で戻ってきたらしく、彼女がやったんだという噂が流れた。
葛城さんは、6年の中でも評判の優等生で、顔もかわいいと人気が高い。
そんな彼女が? という驚きとざわめきが、校内を駆け抜けた。
僕も正直、衝撃を受けた。
でも――なぜだか、ドキドキしてしまった。
「本当に? 本当に葛城さんが?」って。
授業と授業の間の休み時間、僕は野次馬根性丸出しで1組の教室をのぞきに行った。
そこにいた葛城さんは、確かに変な格好をしていた。
上は灰色のパーカーに英語のロゴ、下は紺色の体操服のハーフパンツ。
そのハーフパンツ、ぶかぶかで、ヨレヨレで、後ろのポケットに「保健室」ってでかでかと書いてあった。
まるで、「おもらししました」って言ってるみたいだった。でも、彼女はそれを気にしていない風を装っていて。赤い顔で、それでも普段通りを貫こうとしているようだった。
その姿が、なんだか、すごくかわいかった。
恥ずかしい格好なのに堂々としている彼女。
そのギャップに、胸が高鳴っていた。
後から聞いた話では、やらかしたのは北原くんだったらしい。葛城さんはただ巻き込まれて、保健室でズボンを借りただけだった。
でも、もう僕の関心はそこじゃなかった。
「誰が漏らしたか」より、「彼女がその格好でいること」のほうが、大事だった。
彼女は、どんな気持ちだったんだろう。
本当は、泣きたかったんじゃないだろうか。
それでもああして教室に戻った彼女のことが、ますます魅力的に思えた。
ふと、現実に引き戻された。
横にしゃがんでいた城野さんが、ぼそっと声をかけてきた。
「ねえ、校長先生の話長くない? しゃがむの、足疲れちゃった。山中っちは、平気?」
今日の朝礼は異様に長い。
地面もまだぬかるんでいる。僕の足元なんて、まだ泥そのものだった。
「僕は全然大丈夫。城野さんは?」
「しんどいよ〜! 山中っちすごいね。まだ耐えられるの?」
「うん、へーき。城野さんが弱いんだよ」
「ひどっ、弱いって言った人が弱いんだもん。ママが言ってた!」
「いや、弱い人は弱いってことだよ」
気づけば、いつもの流れでからかっていた。
城野さんの前だと、どうしてか、強がってしまう。
本当は、もう限界だった。
太ももがぷるぷる震えていて、しゃがむのをやめたいくらい。
そのときだった。
「そこ! 6年生の2人! うるさいぞ!!」
先生の怒号が飛んだ。
僕はその瞬間、ビクッと身体を震わせた。
その衝撃で――
ベチャッ。
思わず、地面に尻もちをついてしまった。
泥の感触が、ズボン越しに肌へじんわり広がっていく。
慌てて立ち直ったけど、もう遅かった。
ズボンのお尻は冷たく、じっとりと濡れている。
手でそっと触れてみると、泥がたっぷりついていた。
ああ……これはもう、保健室行き決定だ。
絶望と羞恥の入り混じった気持ちで、僕は空を見上げた。
朝礼が終わり、退場がはじまった。
僕のお尻は泥まみれ。ズボンはべったりと張りついて、まるでうんこを「漏らした」みたいだ。
後ろから、笑い声が聞こえた。
くすくす、ひそひそ。
僕の顔は真っ赤だった。もう、消えてしまいたかった。
でも――
ふと、頭のどこかで思ってしまった。
「これで、あの葛城さんと同じ格好になれるかもしれない」
あの、ダサくて、ぶかぶかで、保健室ってでかでかと書かれたあのズボン。
そして、それを履いていたあの姿――。
……ほんの少しだけ、ワクワクしてしまった。
雨の次の日の「とばっちり」も、悪くない。
ちょっとだけ、そう思った。