全校集会のとばっちり
私は今、保健室にいる。
いつもなら教室で授業を受けている時間なのに、である。
別に体調が悪いわけじゃない。
怪我もしていないし、サボっているわけでもない。
むしろ、体はとても元気だった。
じゃあ、なんでここにいるのか。
理由はひとつ――体操服を借りなければならなくなったから。
しかもそれは、私に一切の非がない、完全なる「とばっちり」だった。
ことの始まりは、1時間目の全校集会だった。
体育館の床に座っていたとき、隣にいた北原くんがいきなり泣き出した。
えっ、と思って横を見たそのとき、彼のお尻から黄色い液体がじわじわと漏れ出しているのが見えた。
それはあっという間に広がって、体育館の床に水たまりのような大きな染みをつくっていった。
私は一瞬、何が起きているのか分からなかった。
でも気づいたときには、すでに私のジーパンのお尻もびしょ濡れになっていた。
「え、うそでしょ……」と声が出そうになる。
けれど、口が動かなかった。
体が硬直して、心が追いついてこない。
ただ、頭の中が真っ白になっていた。
まわりもざわざわし始めて、先生が駆け寄ってきた。
気づけば私は北原くんと一緒に保健室に連れて行かれていた。
北原くんはずっと泣いていた。
彼のベージュのズボンはお尻から前にかけて濃い色に染まり、白いTシャツの裾までうっすら黄色に濡れていた。
私の心は、混乱と羞恥と、そして少しの同情でごちゃごちゃだった。
北原くんは、隣のクラスの子。
去年、5年生のときに同じクラスになったけど、ほとんど話したことはなかった。
明るいタイプではなかったけど、先生の話をよく聞く、真面目な子という印象だけは残っていた。
その彼が、今、声を押し殺して泣いている。
お尻が濡れて保健室に運ばれてきたのは私の方も同じなのに、どうしてだろう。
彼の顔を見ていたら、責める気にはなれなかった。
保健室に着くと、私はカーテンで仕切られた奥に通された。
ジーパンはもう完全にアウト。
幸い、上に着ていたパーカーは無事だったので、保健室の体操服を下だけ借りて着替えることになった。
タンスから出された体操服のハーフパンツは、くたびれていて、腰のゴムも伸びきっていた。
後ろのポケットには大きく「保健室用」とマジックで書かれている。
タグはほつれ、縫い目も怪しかった。
着替え終えて鏡を見た瞬間、私は息を飲んだ。
――ダサい。これは、ダサすぎる。
上はいつものパーカー。下はヨレヨレの紺色のハーフパンツ。
しかも後ろの「保健室」の文字が丸見えだ。
なんで私が……?
どうして私がこんな格好をしないといけないの?
恐る恐るカーテンを出ると、向かいの椅子に座っていた北原くんが目に入った。
彼は上下ともに体操服に着替えていた。おそらくTシャツも濡れていたのだろう。
でも、その姿は――案外、自然だった。
この小学校では、体育のある日は体操服で登校してもよかったから、彼の服装は周囲から見れば「普通」だ。
だけど、私は
――上だけ私服で、下だけ体操服。
しかもあの「保健室」のハーフパンツ。
まるで、私が「やらかした側」じゃないか。
この理不尽さに、ようやく怒りが湧いてきた。
なんで私が「漏らした子」みたいに見えなきゃいけないの?
実際にやったのは、北原くんなのに。
しかも、今日の午後は、1組の卒業アルバムの記念撮影。この格好で写るの? ひとりだけ浮いたまま?
どうして、どうして、私が――。
気づいたら、手が震えていた。
怒りと、恥ずかしさと、情けなさと、全部がいっぺんにこみ上げてきた。
でも、そのときだった。
ふと顔を上げると、北原くんが私の方を見ていた。
目は赤く腫れていて、唇が少し震えていた。
「かつ……らぎさん、ごめん……ね。僕のせいで……。今日……1組、アルバムのやつ……あるのに……」
その声は、ひどくかすれていて、でも真っすぐだった。
私は何も言えなかった。
北原くんの顔を見ていたら、さっきまでの怒りが、するすると溶けていくのが分かった。
そっと彼の手を取った。
「いいよ、大丈夫。元気出して」
うまく言葉にはできなかったけど、私はそう言うしかなかった。
私のジーパンは台無しだし、この格好も最悪だ。
だけど――私の恥ずかしさは「今日限り」だ。
明日になれば、きっと忘れられていく。
でも北原くんは違う。
彼はこれからも「お漏らしした子」として見られるかもしれない。
噂になるかもしれない。
笑われるかもしれない。
なら、私は――彼の味方になろう。
この出来事を、ただの「とばっちり」で終わらせたくなかった。
そう思ったのは、きっと、はじめてだった。