第6話 人狼と魔眼② 怪物!オオカミ男あらわる
丹田――臍の下約10〜15センチメートルの位置にあり、古来より、体内の気が集まる重要なツボとされている。
ヨガや気功、また武術など、ここで〝気を練る〟ことを修行の基本とするものは多い。
「異能も同じだ。鏡のカードを使ったときも、下腹部にカードをかざしただろう? あれは丹田に集めた気でもって、カードに組み込まれた術式回路を起動していたんだよ」
そう言う信ノ森の指導によって、カリナは下腹部に意識を集中してみたが――
「ぐぬぬぬぬぬ……無理ー! ぜんっぜんわかんないんですけどー!」
無意識に出来たことを、意識的に再現しようとすると意外に難しい。
「うーん、やっぱり一朝一夕には無理か。じゃあ、これ使ってみるかい?」
信ノ森が懐から取り出したのは、一枚の白いカードだった。
それは例の「写し身の鏡」のカードとは違って、クレジットカードか、交通系ICカードのような見た目をしていた。
券面にはアルファベットで「VORTEX STARTER」と印字されている。
「これはV社の製品で、ボルテックス・スターター。僕たちはスターターカードと呼んでいる。これを使えば――」
「待て」
「あっ、忍者マン!」
唐突に、忍者マンこと錬示が割り込んだ。
「いたの!? 全然気がつかなかった! 気配消すの上手すぎか!」
「どうしたんだい? これはV社が正式に販売しているもので、試作品と違って安全性が確認されているよ」
驚くカリナをよそに、信ノ森は手に持ったカードをヒラヒラさせながら尋ねた。
「そんなものを使っても、本当の力は手に入らん」
「古いなあ。確かにこれに頼りきりになるのは良くないけど、感覚をつかむにはうってつけで、効率的なのに」
「急がば回れだ。遠回りのようでも、地道な修行こそが本道」
「いやいや、時間というリソースは限られているんだ。ショートカット出来るところはして、より彼女の才能を伸ばすことに注力すべきだろう」
「簡単に手に入れた力は、容易く暴走するぞ」
「だからそれが――」
「ちょっと、待って待って!」
言い争いを始めた二人に、カリナが割り込んだ。
「あたし放置して喧嘩しないで! まず、そのカード何なの?」
「このスターターカードは、丹田にかざすと自動的に気を練ってくれる、とっても便利なアイテムなのさ」
信ノ森が得意の解説モードになる。
「なんでも、とあるヨガの達人の気の動きを解析して、再現しているんだそうだ。これを使って気を練っていくうちに、感覚をつかんで自分でも練れるようになるってわけさ」
「邪道だな。そもそもV社は信用できん。問題の試作品だって、それに何かの術式を足したやつだろう。安全性とやらも、どこまで――」
「だから、喧嘩しないでって!」
珍しく饒舌な忍者マンを、カリナは制止した。
「あたしのこと心配してくれるのは嬉しいけど、仲間同士で喧嘩はやめよっ」
「勘違いするな。べつに……」
「ツンデレか!」
「…………」
「黙らないでよー! ごめんって!」
「まあ、しかたないか。ここは本人に選んでもらおう」
信ノ森はため息まじりに――
「カードを使ってサクッと進むか、地道に修行するか。カリナちゃんは、どうしたい?」
「カリナちゃん……?」
カリナ本人よりも錬示がいち早く反応した。
「ああ、つい。呼び方、フランクすぎる? 天道君、のほうがいいかな?」
「んー、べつにどっちでも」
本人はあっさりしたものだ。
「じゃあ、カリナちゃんで」
「オッケー」
「…………」
「で、どうしたい?」
「うーん……」
カリナは少し考えて――
「もうちょっと、自分でガンバってみる!」
* * *
それから。
カリナの修行は三日目になった。
「はっ!」
カリナが両手を前に突き出すと、手のひらがぼうっとほの白く光を発した。
「おお、光った! すごいすごい!」
「マジで!? あー、やっとここまできたー」
「いやあ。たった三日で、大したものだよ」
(ちっ、楽しそうにしやがって……)
錬示は少し離れたところでスクワットしながら、喜び合うカリナと信ノ森を見ていた。
この三日間、修行に励むカリナと、それを根気よく指導する信ノ森。それを腕立て腹筋スクワットなどのトレーニングをしながら見守るのが、錬示の夜の日課になっていた。
(くそっ、なんかイライラする……)
その感情が何なのかは、錬示にはまだ分からなかった。
「じゃあ、ちょっと休憩しようか」
信ノ森がそう言うと、カリナは「うんっ!」と頷いて、錬示の方へ走って来た。
「ねー忍者マン! 見た見た? あたし、ちょっと光ったよー!」
「あ、ああ……」
「もー! こーゆー時はほめてよ! あたし、ほめられて伸びるタイプなんだから!」
カリナの笑顔を見ていると、錬示は気分が軽くなった。
「あー、えらいえらい」
「それだけー? もっとほめてー! あと顔見せて、名前教えてー!」
「調子に乗んな」
「えへへー」
そんなやりとりをしていると――
タン、タン、タン、タンッ!
何か、軽い連続音が屋上に響いた。
見ると、一羽の白兎が後ろ足でコンクリートの床を叩いているのだった。
「えっ、ニゴタン!? いつのまに?」
それはカリナも見覚えのある、信ノ森が鬼道で出した白兎の仁號だった。
「緊急事態だ。学園内で、誰かが例のカードを使ったらしいね」
座って休憩していた信ノ森が、立ち上がった。
「ものはついでだ。実戦訓練といこう」
* * *
薄暗い校舎一階の廊下で、信ノ森は立ち止まった。
「今、仁號が標的をおびき寄せてこちらに向かっている。このあたりで待ち構えよう」
「大丈夫かな……」
「ダメでもともと。実戦の緊張感で何かつかめればラッキーさ。いざとなれば僕と忍者マンで何とかするから、カリナちゃんは目標を照らすことだけ考えて」
「わ、わかった。やってみる」
廊下の中央にカリナ、すぐ横に錬示、少し後ろに信ノ森という配置。
さすがに緊張しているカリナの気配を察して、錬示が声をかける。
「落ち着け。今のうちに気を練っておけ。呼吸を意識して、ゆっくり、丹田に集中しろ……」
「うん、わかった。ありがと」
カリナが息を吸って、吐いて、気を練りはじめる。
やがて――
「来た」
信ノ森の短い言葉に目を凝らすと、薄暗い廊下の向こうから、小さな白い影がこちらに向かって来るのが見えた。仁號だ。
そして、それを追ってくる人影――いや、それは人か、獣か――
「オオカミ男!?」
カリナは息を呑んだ。
一見人間のような二足歩行をしているが、それは全身が茶色い毛に覆われていて、その顔は一見してイヌ科の獣の形をしていた。
まさにオオカミ男。人狼だ。
よく見ると、体のあちこちに学園の制服だったものが破れてまとわりついている。
その人狼は前のめりの不格好な姿勢でよたよたと走りながら、白兎を追いかけてこちらへ向かって来ている。
「ふむ、わが校で人狼といえば二年生の荒木場君だが――別人だね。あの走り方からして、変身には慣れていないな。もしかしたら、初めてカードを使ったのかも」
信ノ森は冷静に分析してみせるが、カリナはそうはいかない。
生まれて初めて見る本物の怪物だ。脚が震え、胸がキュッと苦しくなる。
「大丈夫だ。ビビらなくていい。俺が止めるから、落ち着いてヤツを光で照らせ。俺ごとでいい」
錬示はカリナに声をかけながら、両手に一本ずつ持った伸縮式の特殊警棒を、ジャキッと伸ばして構えた。
「う、うん!」
カリナは忍者マンの頼もしさに少し安心する。呼吸が楽になり、脚の震えも止まった。
人狼は数メートルの距離にまで迫っている。こちらの存在にも気づいているはずだが、止まる気配はない。
「行くぞ!」
錬示が飛び出した。
人狼の前を駆けてきた兎の仁號は錬示とすれ違い、カリナの横を走り抜けて、信ノ森の足元まで来たところで姿を消した。
「ガアア!」
人狼は唸り声を上げて、目の前の錬示に襲いかかる。
錬示は右手の棒で人狼の両手を素早く払いのけ、顔面めがけて左手の棒を横薙ぎに叩きつけた。
人狼は金属製の警棒に噛みついて止める。
両者の動きが止まった。
「今だ!」
「はああっ!」
錬示の合図で、カリナは両手を前に突き出して気合を込めた。
しかし――
「ごめん、ダメみたい!」
カリナの術は、不発。
安全な場所で集中して、ようやくうっすらとした光が出せるようになった程度。
それが怪物が目の前に迫る緊張感のある場で、火事場の馬鹿力的に発揮できるかという期待もあったが、そうは上手くいかなかった。
この状況では集中するのも難しいので、仕方のないことではある。
錬示は右手の特殊警棒で人狼の爪攻撃を弾いて、その腹に前蹴りを入れた。
「ギャンッ」
人狼は呻いて後退し、距離を取って姿勢を低く構えた。
「ガルルルル……」
唸り声で威嚇する。まだ戦意は消えていないようだ。
「ドンマイ、切り替えていこう」
うなだれるカリナに、信ノ森が明るく声をかける。
信ノ森にしても、上手くいけばラッキー、ぐらいに考えていたので落胆は無い。
「どうする、俺がやるか?」
「いや、ここは僕に任せてもらおう」
錬示を制して、信ノ森はすぐその横まで出た。そして――
「出でよ、波號!」
そう唱えると、空中に白い塊が現れた。
しかしその大きさは、白兎の比ではない。
それは四本の脚で悠然と地面に降り立った。
「ホワイトタイガー!?」
それは体長2メートルをゆうに超える、白い虎だった。
動物園などで見るよりもはるかに近い、手を伸ばせば届きそうな距離にいる、巨大な肉食獣。
その存在感、その迫力に、カリナも落ち込んでいる場合ではなかった。
味方だと分かっていても、全身の産毛が逆立つような恐怖を感じさせられる。正直、こちらに向かって来る人狼よりも怖いぐらいだった。
虎の後ろにいるカリナでさえそうなのだから、それと正面から対峙している人狼にとっては、どれほど恐ろしかったか。
「グルル……」
唸り声ひとつ。
それだけで、人狼はくるりと背を向けて一目散に逃げ出した。
「よし、ご苦労さま」
信ノ森は頷くと、指を鳴らした。
それで、白い虎の巨体は霧のように消えてしまった。
同時に、緊迫感に満ちていた空気がゆるむ。
「よし、じゃないだろ。逃がしてどうする」
「これでいいのさ。同じ轍を踏まないようにね――」
抗議する錬示に対して、信ノ森は涼しい顔で答えて、廊下の後方を指し示した。
足音が聞こえてくる。
「おいお前ら、今度は何だ!?」
現れたのは黒岩先生だった。
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