第5話 人狼と魔眼① 異能!修行は夜の屋上で
気を失って倒れたカリナは、錬示に背負われて保健室に運び込まれた。
夜なので、もちろんすでに養護教諭はおらず無人の保健室だったが、宿直係で体育教師である黒岩の権限で鍵が開けられ、カリナはベッドに横たえられた。
「呼吸はやや浅いが、正常の範囲内とも言える。しかし念のために、病院に連れて行くべきだろう」
「強力な術の発動で、気を過剰に放出したのが原因でしょう。もちろん念のために検査は受けるべきですが、まずは気の補充を考えましょう」
黒岩と篁が処置について話し合っている横で、信ノ森はスマホで誰かに電話をかけていた。
「そう、保健室に来てほしいんだ。急いでね」
「誰を呼んだ?」
錬示が尋ねると。
「女性を介抱するのに、男ばかりだと都合が悪いだろ。だから助っ人を呼んだのさ。とはいえ、どんなに急いでも数分はかかるだろうから、その間に出来ることはやっておこう」
そう言って、信ノ森はベッドの上のカリナの傍に立ち、その下腹部に左手を伸ばそうとした――が、その手首を錬示が素早く掴んで止めた。
「待て。何をする気だ」
「何をって、気の補充さ。丹田に直接、僕の気を送り込もうと思ってね」
丹田、あるいは臍下丹田。その名のとおり、臍の下およそ十数センチの下腹部にあるツボである。古来、人の生命エネルギーである〝気〟を操る上で、非常に重要視されてきた部位だ。
「触りたいだけじゃないのか」
「やだなあ。これは必要な処置だよ? 君こそイヤラシイ想像は良くないなあー」
「待て待て」
黒岩が割って入った。
「こういう時は、背中の命門を使え。気の出入り口と言われるツボだ」
「詳しいですね、黒岩先生」
「異能担当の体育教師を何年もやってりゃ、このぐらいは自然に身につく」
黒岩は淡々と、仰向けに横たわるカリナの身体を横転させて、背中が見えるようにした。
「ヘソの裏側あたり。ここが命門だ。山田、お前がやれ」
ツボの位置を示した黒岩は、錬示を指名した。
「おや、彼は異能は使えないと聞きましたが?」
信ノ森が疑問を差し挟む。
「たしかにこいつは魔素の術は使わん。が、気を練ったり放ったりは、できるはずだ。そうだな?」
「……はい」
黒岩に言われた錬示は頷いて、カリナの背中の指定された場所に手を添えて、気を送り込んだ。
「……っ……うう……ん……?」
しばらくすると、カリナの目が開き、あたりを見回すように首を起こした。
その時。
コン、コン、コン。
保健室の扉がノックされ、ガラリと開いた。
入って来たのは、一人の女子生徒。規定どおりの膝下丈スカートの制服をきっちり着込み、髪は黒髪のひっつめ一つ結び。スクエア型の眼鏡が似合う、どこか硬く、冷たい印象を与える美人。
生徒会副会長、氷高律子である。
「やあ律子さん、早かったね」
明るく声をかけてきた信ノ森生徒会長を一瞥して、律子は低いトーンで言った。
「説明、していただけます?」
* * *
黒岩と篁が律子に事情をかいつまんで説明している間に、カリナはすっかり元気を取り戻していた。
ひとまずは安心と、教師たちは後のことを優等生の律子に任せて、校内巡回の業務に戻った。
ただし、カリナが持っていた〝写し身の鏡〟のカードは、没収となってしまった。
「こんな危ないモン、生徒に持たせるわけにはいかんだろうが」
「V社からも回収要請が来ています。これは我々から返還しておきますので」
そう言われてしまっては、信ノ森も抗えなかった。
「すまない。俺のミスだ」
錬示は、教師たちの気配が遠ざかると頭を下げた。
生徒会室で写し身に逃げられたこと、迂闊に笛を吹いて教師たちを呼び寄せてしまったこと、その結果、カードを奪われてしまったこと。さらにはその過程で、カリナが倒れる事態になってしまったこと。それらすべてに責任を感じていたのだ。
「えっ、べつに忍者マンが謝ること、なんも無くない?」
しかしカリナはあっけらかんとしたもので――
「結果オッケーじゃん? そりゃあ、せっかく買ったカードは没収されちゃったけど、持ってても危ないし。ゆーて百円だし?」
「いや。実を言うと、あまり先生たちには渡したくなかったんだよね」
と、信ノ森。
「そもそも七枚のカードが学園に持ち込まれた経緯について、疑問があってね。生徒がそんなことをするとは考えにくい。誰か大人が絡んでいる、と僕は見ているんだ」
「えっ。つまり、先生が怪しいってこと?」
「まだ分からないけどね。だからこそ、カードは僕の手元に置いて様子を見たかったんだけど――。まあ、今回は仕方がないさ。それに、カードよりももっと、貴重なものが手に入った。」
信ノ森はカリナをじっと見つめる。
「えっ、それって、あたしのこと?」
「そのとおり」
「ごめんなさい、カイチョーのことは、あんまりタイプじゃないってゆーかぁー」
「いやいや、そういう意味じゃなくてね」
慣れた感じでナチュラルに振ろうとしてくるカリナに、信ノ森は苦笑した。
その隣で、律子が笑いをこらえている。
「君が放ったあの光。あれはいわば、魔を祓う浄化の光だね。とても貴重な能力なんだ」
魔素によって引き起こされたあらゆる超常現象を無効化する、そんな可能性を秘めているという。
「おそらく、天道家に伝わる秘術。血統によるものか、それとも何らかの儀式で受け継がれているのか――それは分からないが、実に興味深い。だから、自在に操れるように鍛えていこう」
「鍛えるって、それ、けっこうシンドイ系? やらなきゃダメなカンジ?」
「まあ、最終的には君の自由だけど、写し身がまた復活しないとも限らないしね。その時に対処できたほうがいいだろう?」
「うーん……」
カリナは穏やかな笑顔で消えていった写し身を思い出した。
あの感じで消えといて、また出てくるとも思えないが――
「それに、カードのことで困っている人が、君のほかにもいるかもしれない。そんな人を助けてあげられる、そんな力だよ」
「そっか。じゃあ、ちょっとガンバってみよっかな」
信ノ森にダメ押しされて、カリナは頷いた。
自分と同じように困っている人がいるなら助けたい、それはカリナの素直な気持ちだった。
今後の方針が決まったことで、その夜は解散となった。
カリナは律子に付き添われて、女子寮へ帰る。
忍者マンこと錬示は、別れ際にカリナの耳元で囁いた。
「信ノ森のこと、あまり信用しすぎるなよ」
* * *
翌日、朝から病院に行っていたカリナは、あっさりと「異状なし」の診断を受けて、少し遅れて登校した。
教室に入ったのは一限目の途中だったが、不思議と、昨日まで漂っていた嫌な空気を感じなかった。
気のせいかもと思ったが、休み時間になると、友人たちがその答えを教えてくれた。
「朝のホームルームで、カリナの無実が証明されたんだよ」
なんでも、女子寮の防犯カメラの記録によって、噂になった日にはカリナが寮内にいたことがわかったと、担任の口から明かされたのだという。
さらには昨夜、カリナ自身が繁華街でカリナそっくりの偽物を発見して捕まえたという。その偽物は、たまたま背格好がカリナそっくりの成人女性で、古着屋で鬼道学園の制服を買って着ていたのだと。
カリナと偽物が揉めているところに、街を見回りしていた黒岩と篁が駆けつけて、女性を取り押さえた。その際、女性に突き飛ばされたカリナは、今朝は念のために病院で検査を受けている……そんな虚実織り交ぜたストーリーが、発表されたのだった。
「あんた大変だったね。でもなんでアタシに相談しなかったんだよ。一緒にそいつブッ飛ばしてやったのに」
そう言ったのは茶髪ヤンキー系ギャルのアキ。
少し喧嘩っ早いところがあって、昨日、噂話をしている女子たちにつっかかっていったのも彼女だ。
「でもー、危ないところを篁先生に助けてもらったなんてー、ちょっとロマンチックじゃない? フラグ立っちゃう?」
こちらはピンク髪のゆるふわ系ギャル、ミヤコだ。
三度の飯より恋バナが好きで、暇さえあればスマホをいじっては噂話を読んだり、SNSに映えた写真をアップしているタイプだ。
「んー、篁先生とは、べつになんもないかなー」
「とはー? 篁先生とはってことはー、他の誰かとは何かあったの!?」
「いや、そんなわけじゃ……」
鋭く食いついてくるミヤコに、カリナがたじろいでいると――
「ちょっと、いい?」
一人の女子生徒が声をかけてきた。
黒髪ボブにブルーのインナーカラー。月城紗夜だ。
「昨日は、ごめん。私の勘違いだったのに、なんかキツイこと言っちゃって……」
そう言って頭を下げる紗夜に、カリナは笑顔を作って明るく返した。
「いいって、気にしてないよ! 誤解が解けて良かった!」
カリナにしてみれば自業自得の部分はあるし、半分ぐらい嘘の情報で紗夜に頭を下げさせるのも、少し気が引けるところだった。
「そう……」
それだけ言うと、紗夜はすっと、その場を離れた。
「月城ちゃんってー、わりといいやつー?」
「ああ、愛想はないけど、素直に謝れるだけ、アイツラよりはずっといいよな」
アキの視線の先には、昨日、悪意のある噂話をしていた女子たちの姿があった。
彼女らはこちらの様子をうかがっていたようだが、アキに睨まれると、慌てて視線を逸らした。
「いいっていいって。あんま引きずってもしょーがないっしょ」
カリナは明るく流した。
「それよりごめん、今日から部活入ることになっちゃって、しばらく一緒に帰れないと思うんだ」
「えっ、カリナが部活? 何の?」
「天文部」
「天文部ぅ!?」
* * *
帰宅部だったカリナが突然天文部に入ることになったのは、もちろん、信ノ森生徒会長の勧めで――というよりは、ほぼ強制だった。
天文部は信ノ森が部長を務める部活動なのだが、活動実態はほとんど無い。
しかし校舎の屋上で天体観測をするという名目で、夜の学園に入りやすいというメリットがあった。
そういうわけでその日から毎晩、カリナは校舎の屋上で浄化の光を放つ訓練を始めたのだった。
「なんで夜じゃなきゃいけないの?」
初日の訓練が始まる前に、カリナは信ノ森に尋ねた。
わざわざ日没を待ってから訓練を始めるのはなぜなのか、と。
「いい質問だね」
にこやかに解説モードに入る信ノ森。
「理由は二つある。一つは、君の能力は光を発するから、夜のほうがわかりやすい」
「そっか、イルミネーションも夜のほうが映えるもんね」
「まあ、そういうこと。そしてもう一つは、異能は基本的に、夜にしか使えないからだ」
「えっ、そうなの?」
「うん。思い出してほしいんだが、君が体験した不思議な出来事。それらはみんな、夜の間に起こったはずだ」
「あー、たしかに。もう一人のあたしも、夜にしか出なかったし」
「魔素は、この学園の地下にある次元の裂け目からこんこんと湧き出しているんだけど――」
「ん? なんか今、さらっとヤバそうなこと言わなかった? 次元の裂け目って何!?」
「魔素の泉の正体は、異世界に繋がる次元の裂け目なんだ。ここにあるものは、人が通れるほどには大きくないんだけどね」
「異世界? あの、異世界転生的なやつの? マジでそんなのあるの?」
「あるんだよね、これが」
信ノ森は肩をすくめた。
「まあそれはともかく、そこから魔素はこの世界にやってきてるんたけど、昼間はすぐに消えてしまう。太陽の光に弱いのかもしれない」
「ふーん、魔素って夜型なんだ」
「あのとき君が放った光には、太陽光と似た性質があるんだろう。だから魔素を分解して、異能を消し去ってしまうんじゃないかな」
カリナの実家である天道神宮は、太陽神の天照大神を祀る神社だ。そのことが関係しているのかもしれない。
「じゃあそろそろ、異能の使い方について。始めようか」
日が傾き、暗くなり始めた空を見て、信ノ森は姿勢を正した。
「まずは実例を見せよう――出でよ、仁號」
信ノ森がそう唱えると、空中にパッと白い何かが浮かび、ポトッと地面に着地した。
「なにこれ、ウサギ!? やっば! かわよっ!」
それは一羽の白い兎だった。
カリナは目をキラキラさせてしゃがみ込み、手を差し出す。
「おいでおいで〜、うさたん〜♡」
しかし白兎は鼻をひくひくさせるばかりで、カリナの手には寄ってこない。
「なつかんのかーい」
「これは魔素を兎の姿に変換したものだ。君が呼び出した分身と、理屈は同じだよ」
「え、ちょ、待って。“魔素をウサギに変換”ってなにそれどういう理屈!? 」
「魔素をイメージどおりに変換する。それが異能だ」
「ウサギのイメージ強すぎん? 本物にしか見えないし。カイチョー、実はこう見えてウサギ派?」
「兎だけじゃないよ。なにしろ僕は天才だからね。これは式鬼といって、ほかにも、鼠、牛、虎――」
「動物好きなんだね!」
「まあ、否定はしないけど。さて――」
信ノ森がパチンと指を鳴らすと、仁號はその場で高くジャンプして空中で一回転し、着地するとまた次の命令を待つような姿勢になった。
「すごい! そんな芸とかできるんだ!?」
「仁號は気にイメージを乗せて、魔素をウサギに変換したものだ。そして命令を気に乗せて送れば、その通りに動く」
「気に乗せる? どゆこと?」
「人間の生命エネルギーである〝気〟を、魔素と反応させること。それが異能の本質だ。鬼道衆が操る妖術も、天道家が使う浄化の力も、本質は同じと言っていい」
「そうなんだ……」
「魔素は、それ単体ではただの目に見えないエネルギー源だ。でも、気を通して明確なイメージを与えると、物質として現れたり、物を動かしたり、あるいは爆発を起こしたり、なんてこともある」
「ふむふむ……なんか、あたしのスマホから友達のスマホに、写真とかメッセージを、電波に乗せて送る感じ?」
「面白い例えだね。君の脳から魔素へ、脳の中にあるイメージを、気に乗せて送る。気は電波の代わりというわけだ。そしてその気を受け取った魔素は、イメージのとおりに形を変えて姿を現したり、動いたり、音を鳴らしたり……スマホのアプリのような感じだね」
「なんかわかった気がする。あたし頭いいかも〜」
「実際、理解が早くて助かるよ。では異能術者の第一段階。体内の気を意識して、コントロールできるようになってもらおう」
こうして、カリナの異能訓練が始まった。
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