第18話 鬼道夜会⑨ 決着!そして夜は更ける
「急急如律令!」
呪文とともに信ノ森が投げた白い碁石は、たちまち白い小さな鼠へと姿を変えて、紀野の指に齧りついた。
「ぐぬっ……だが、まだだ!」
痛みに耐えて、紀野はなおも手を伸ばす。
たかが小さな鼠だが、この式鬼の恐ろしさを、信ノ森の思考を読んだ紀野は知ってしまった。
(そうなる前に――!)
しかし、間に合わない。
「生めよ増やせよ地に満ちよ!」
信ノ森がそう唱えると、白鼠の数が増えた。
一匹や二匹ではない。
あっという間に紀野の手が、腕が、上半身、そして全身が白い鼠で覆い尽くされ、それでも止まらずにさらに増えつづける。
まさに鼠算式の増殖。
「ぐわああああ!」
紀野は手足を振り、体をよじって振り払おうとするが、鼠たちは離されまいと齧りつく。
全身を数百、あるいは千を超えるかという鼠に齧られながら、苦悶の声をあげて暴れる紀野は、それでもなかなか倒れない。
それは遠目に見れば、もこもこと膨らみながら奇妙な舞を踊る、白い人型の何か……。
それを見ながら信ノ森はその場から少し移動し、審判を務める土佐のすぐそばへ。
「僕には寄ってきませんので、齧られたくなければ離れないでください」
「お、おう……」
さすがの土佐も唖然とする。
「あれは、大丈夫なのか?」
「急所は外しますので、心配ありませんよ。まあ、紀野先輩は早めのダウンしたほうが賢明ですけどね」
そうしている間にも鼠は増えつづけ、今や闘技場を埋め尽くすほどになっていた。
当然、タッグチームの前衛二名も巻き込まれる。
「うわっ、なんだこりゃ!? あ痛っ!」
荒木場は鼠を振り払おうとして齧られる。
そのぐらいの傷なら人狼の超回復力ですぐに塞がるが、痛いものは痛い。
いっぽうの忍者マンは――
「忍法、烈風陣!」
自分の周囲に風の障壁を作り出して、鼠を寄せ付けないように吹き飛ばしていた。
「おお、忍者マンの忍法は多彩だなあ」
信ノ森が呑気に感心していると、どさり、と音がした。
紀野がついに力尽きて倒れたのだ。
「ダ、ダウン!」
土佐が判定を下すと、信ノ森は微笑んで――
「よし、おつかれさま」
指を鳴らすと、闘技場いっぱいに満ちあふれていた白鼠たちは一斉に姿を消した。
全身が噛み傷だらけになって倒れ伏している紀野の手の近くに、白い碁石が一つ、残るのみである。
「先読み能力者には、読んでも無駄なほどの飽和攻撃、数の暴力。これに限りますね」
涼しい顔で立つ信ノ森。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
* * *
「えっぐ……」
紗夜がつぶやく。
観客席は唖然を通り越して、もはやドン引きである。
「なに、今の……?」
忍者マンばかり注目していたカリナも、とつぜん闘技場内を埋めつくした白鼠の大群に驚いて、信ノ森と紀野の戦い――というよりは、鼠の群れに包まれて苦悶する紀野に目を奪われた。
「さすがにあれはちょっと、生理的に無理ね……」
自分の彼氏が繰り出した技に対して、辛辣な律子。
「アタシ、あれだったら虎と戦うほうがいいな……」
さすがのランも、自分の肩を抱いて身震いするほどだった。
* * *
「紀野、試合続行不能!」
倒れた紀野の状態を確認した土佐が、大声で宣言した。
命に別状はなさそうだが、もうしばらくは立てそうにもない。
「チクショウ、そりゃねえだろ! あっさりやられちまいやがって!」
荒木場は吠える。
「まあまあ、紀野先輩はよく健闘したよ。虎あたりでやられてくれれば、ここまでは――ぶばっ」
信ノ森が碁石を拾い上げながら調子よく喋っていたかと思うと、いきなり吹っ飛んだ。
荒木場が猛スピードで近づいて来て蹴っ飛ばしたのだ。
「よーし、信ノ森に触ったぜ! これで一対一だな!」
意気揚々と忍者マンに向き直る荒木場。
「もう邪魔者はいねえ! 思いっきりやろうぜ、忍者野郎!」
「待てい!」
土佐が呼び止める。
「信ノ森への攻撃は反則じゃ」
「あぁ? 今のは足でタッチしただけだろうが!」
「あんなに吹き飛ばしといて、なにがタッチじゃ! 加減せい!」
「加減したさ! してなきゃ、キツネ野郎なんざ一撃で死んでるって!」
蹴り飛ばされた信ノ森は地面と激突する寸前、とっさに羊の式鬼(知號)を召喚してクッションにしたが、それでも蹴られた脇腹を押さえてうずくまり、ゴホゴホと咳き込んでいた。
「加減が足りんわ! 反則負けじゃ!」
土佐はぷりぷり怒って宣告する。
審判としては、選手の安全を守る義務もあるのだ。
「かてえこと言うなよ旦那ぁ〜」
荒木場は忍者マンを振り返った。
「なあ、お前もまだやりてえだろ!? 男と男の、一対一の勝負をよ!」
「いや、べつに」
「つまんねえやつだなあ!」
つれない忍者マンの返答に荒木場は吠えたが、けっきょく、裁定が覆ることはなかった。
生徒会と夜会の決戦は、なんとも締まらない決着に終わったのである。
* * *
その夜の土佐医院。
すでに明かりの落とされた病室には、ベッドが二つ並べられていた。
そこに寝かされているのは紀野と信ノ森である。
「まさか、紀野先輩と枕を並べて入院することになるとは……」
「実に不愉快だ」
二人とも入院するほどの怪我ではなかったが、土佐が強引に決めてしまったのだった。
どうも土佐は二人を仲直りさせたくて仕方がないらしい。
しかもそれに律子が賛同した。
律子に強く言われると逆らえない二人なのである。
「たまには二人でじっくり話し合いなさい」
律子はそう言い残して去って行ったが、二人が残された病室にはしばらく重い沈黙の時間が流れた。
かなり夜も更けてから、ようやく会話が始まったのだった。
「気になっていることがある」
その話題を切り出したのは紀野。
「あのカード、君はどうするつもりだ?」
あのカードとは、試合後に紀野から信ノ森に渡した〝マインドリーダー〟のカードである。
「どうもしませんよ。V社にお返しします」
「信用できんな」
「べつに信用していただかなくても結構ですが……まあ、せっかくなので、お話ししましょう」
信ノ森は暇つぶしであるかのように話しはじめた。
「僕は、僕個人として、V社と友好関係を結びたいんですよ。カードはそのための手土産のようなものです」
「君なら放っておいても向こうから接触してくるのではないか? この僕にさえ、データを取らせてくれとか言ってきたぞ。丁重にお断りしたが」
「無論、僕にもそんな打診はありましたが――現状、彼らは僕のことを東京信ノ森家の長男としてしか見ていません」
「やはり君は、東京信ノ森家だったか……」
紀野自身も鬼道衆の一門なので、信ノ森家についてある程度は知っていた。
東京信ノ森家は、異能――特に結界術において、現在の日本で最大の権勢を誇る家である。
その権威の源泉は〝清浄結界〟と言われる術にあった。
この術は結界内の魔素を不活化することができる。
つまりその結界の中では、能力者はただの一般人と変わらなくなるのだ。
能力者による犯罪に対しての制圧に、絶大な効果を発揮する技術だ。今や警察にとって必要不可欠なものと言っていい。
それをいち早く開発し、警察に、そして自衛隊、さらには政府中枢にまで浸透したのが東京信ノ森家だ。
実はこの術は、現在の鬼道学園の地下にある魔素の泉を封印する際、天道家の浄化術を目の当たりにした結果、それを参考にして開発されたものである。
信ノ森家と天道家は、実はそのような因縁深い関係にあるのだった。
それはともかく。
もともと地方のいち陰陽師の、それも分家に過ぎなかった家が、結界術ひとつで成り上がり、東京に拠点を移した。それが東京信ノ森家である。
ちなみに鬼道市にも残った信ノ森の本家は、式鬼術を得意とする家だが、今やすっかり存在感が薄くなっている。
「君は信ノ森本家のような式鬼術を使うから、東京信ノ森家の跡取りだとはこれまで確信を持てなかったが……」
「僕は跡取りではありませんよ」
「えっ、そうなのか?」
「ええ、いろいろと事情がありまして」
信ノ森は含みのある言い方をしたが、紀野はその事情を追及することはしなかった。
おそらく彼が結界術ではなく式鬼術を使うこととも関係しているのだろうが、深入りすれば面倒なことになりそうな気がしたのだ。
そもそもこれ以上、信ノ森と関わり合いになりたくもなかった。
なので、少し話題を逸らすことにした。
「裏サイトのオークションにカードを出品したのは、君ではないのか?」
「違いますよ。僕は今のところ、V社との直接の繋がりがありませんからね。事前に試作品を手に入れるようなことはできません」
「では、誰が?」
「確証はありませんが、おそらくは教職員の誰か――」
「コン部には問い合わせたのか?」
コン部とは、学園の部活動のひとつ、コンピュータ部のことである。
裏サイトの管理・運営は、すでに十数年にわたって受け継がれてきた、いわば彼らの裏活動なのだ。
特にオークションによる手数料収入は、裏サイトのサーバーの管理費だけではなく、通常の部活動予算では手が届かないような機材の購入にも充てられていた。
法的にも倫理的にもかなり黒に近いグレーな行為だが、生徒会はそれを知りながら黙認してきたのだった。
かつて生徒会の中枢にいた紀野は、そのことを知っていたのだ。
もちろん、信ノ森も知っている。
「ログの提出は拒否されました。生徒会命令で強引にできなくもありませんが、彼らとの関係を壊すのも、ね」
「関係……?」
生徒会としては、生徒の自主性を重んじて過度な干渉はしない――という建前で、裏サイトを黙認してきた。
それが真面目な紀野には不満であり、コンピュータ部とは距離を置いてきた。
だが信ノ森は彼らともう少し深い関係にあるようだ。
それを考えた時、紀野の中で以前からあったひとつの疑念が、確信に変わった。
「貴様、あの選挙の時、裏掲示板で世論誘導をしていたな!」
「さて、何のことだか」
「選挙を無責任に煽るような書き込みが不自然に増えたのは、貴様の差し金か!」
昨年九月の生徒会選挙。
公開討論会での、信ノ森から律子への公開告白。そこから選挙戦は、まるで恋愛リアリティ・ショーであるかのような盛り上がりを見せた。
だが実は、その前から「公開討論会で何かが起こる」的な煽りが裏掲示板では繰り返し行われていたのだ。
「その頃からコン部と繋がって……」
「まあまあ。いずれにしても、選挙に勝ったのは僕で、彼女の愛を勝ち取ったのも僕です」
「よくも貴様、ぬけぬけと……!」
怒りに身を震わせて、紀野がベッドから飛び起きようとするが――
「知號」
「ぐむっ……!」
信ノ森が召喚した巨大な羊に押しつぶされて、紀野は身動きが取れなくなってしまった。
「お、おのれ……」
「ここは魔素が薄いですから、見た目ほど重くはないでしょう。そのうち消えますし、おとなしくしていれば害はありません」
信ノ森は紀野に背を向けるように寝返りをうった。
「先輩も、いつまでも失恋を引きずってないで、次に進んだらどうです? あなた優秀なんですから、けっこうモテるでしょうに」
「なにをっ……」
「〝マインドリーダー〟の雑音の中に、そういう声も混じってたんじゃないですか?」
「ぐっ……」
否定できない紀野。
試合が決まってから当日までの数日間、紀野は〝マインドリーダー〟のカードを使ってその制御に慣れる訓練をしていた。
その間、複数の女生徒からそのような感情を向けられていることに、紀野は初めて気づいたのだった。
その時は文字どおり雑音として無視したが、あらためて意識すると少し動揺する。
「ふぁーあ……」
信ノ森はひとつ大きくあくびをして、目を閉じた。
「夜も遅いので、僕は眠ります。おやすみなさい」
「お、おいっ。くそっ、なんという勝手な……」
紀野はしばらく悪態をついていたが、そのうち諦めて、眠りについた。
体を押さえつける大羊の重みは、意外にも良い寝心地をもたらしてくれたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに!




