第14話 鬼道夜会⑤ 発動!現実にあらがう挑戦
新辺はもともと、高校ボクシング界でも目立たない、地味な選手だった。
ボクシングを始めたのはとある漫画の影響だが、華々しく勝利を重ねる主人公よりも、負けても負けても地道に練習を重ねる脇役のほうに共感していた。
その脇役が苦闘の末に強敵を倒したエピソードには、思わず涙があふれたものだ。
そして念願の初勝利――からの、異能発覚、引退、転校。
自分の実力ではチャンピオンにはなれないと、薄々感じてはいた。
それでも、わけのわからない理由で無理やりあきらめさせられるのは、辛かった。
だが不幸中の幸いと言うべきか、この学園には鬼道夜会があった。
どうにかこうにか気持ちを立て直して、参加した夜会。
ここではボクシングの経験が生きた。
彼が夜会で初勝利を挙げるのに、さほど時間はかからなかった。
しかしそれもすぐに頭打ちとなる。
勝ったり負けたりで、ランキング二十位あたりで停滞。
さらにこの春、一年生の、それも女子――武速嵐に、圧倒的な才能の差を見せつけられて敗れた。
(ああ、主人公ってやつは、きっとああいうのなんだろうな……)
だが、それでも彼はくじけない。
あのボクシング漫画のキャラクターのように、たび重なる挫折を乗り越えて、いつか強者を倒して勝利をつかむまで。
(いつか、ジャイアント・キリングを!)
客席に目をやると、そこに夜会三強と呼ばれる面々が座っている。
卒業までに彼らから勝利をもぎとること。
そのために、彼らと対戦できるランクまで上がることが、当面の目標だ。
(だからここで、負けるわけにはいかない……!)
その想いを乗せた渾身のアッパーカット。
忍者マンの体が宙を舞う。
しかし――
(手応えが、軽い……!)
忍者マンはクルクルッと宙返りして、スタッと地面に着地した。
その派手なアクションに、観客席が沸く。
錬示は冷静だった。
新辺のスピードが格段に上がって、懐に飛び込まれた瞬間、下からの攻撃を予期して自分から飛んだのだ。
新辺のアッパーは掠った程度だが、着ていたタンクトップは腹の部分が破けていた。
破壊力も相当なものと推察できる。
(使ったな……やはり、ブースターか)
錬示は破けたタンクトップを脱ぎ捨てた。
鍛え上げられた上半身が露わになる。
「きゃーーー!!」
観客席の黄色い悲鳴はカリナだろう。
彼女が見ているからには、負けるわけにはいかないが。
(任務は完了。あとは試合だが……この程度なら、このままでも対処可能か)
このまま制限時間まで、躱しながら適当に攻撃を当てつづければ、判定勝ちに持ち込める。
たとえブースターを使ったとしても、前に戦ったランほどの脅威は感じない。
忍法を使わなくても、回避とカウンターに徹すれば大丈夫――錬示はそう考えた。
* * *
「クソがっ、つまんねー試合しやがって!」
観客席で荒木場が吐き捨てる。
試合時間が半分を過ぎて、苛立ちがピークに達しつつあった。
明らかにスピードとパワーを上げた新辺に対して、忍者マンは冷静にその攻撃を捌き切り、軽くカウンターを当てていく。
新辺に対してそれほどダメージを与えているわけではないが、確実にポイントを稼いでいく――序盤から繰り返された展開そのままの光景。
「うーむ。忍者マンのテクニックは大したものだが……」
「ちと、玄人好みが過ぎるのう」
紀野と土佐までもが愚痴をこぼすほどに、観客席には退屈感が漂っていた。
緊張感を持って観戦しているのは、忍者マンに声援を送るカリナと、その隣で見守っている紗夜ぐらいのもの。
そのほかの数十名の観客たちは飽き飽きしたと言わんばかりに、よそ見をしたり、雑談したり、中にはブーイングを飛ばす者も出はじめていた。
「しょっぺーぞー!」
「はよ終われー!」
そんな声が飛び交う中――
「ねえ。あれ、ブースターよね? どうして決めてしまわないの?」
「確認が終わったあとの指示はしてないからね。彼には彼の考えがあるんだろうけど――」
焦れた律子の疑問に答えながら、信ノ森も少し焦る。
(これは、あまり良くないな)
* * *
(なぜだ、なぜ当たらない……!)
この時、誰よりも焦っていたのは新辺である。
カードを手に入れてからの三試合、それを使えばすぐに勝利できた。
それでも、試合後は激しい疲労に襲われたのだ。
その経験から言えば、すでに限界は近い。
(今までの相手とは格が違う……カードを使っても、勝てないのか?)
それは恐ろしいことだ。
この忍者マンとかいう新人と、三強の面々。どちらが強いのかはわからない。
だが、もし同レベルなのだとしたら……それはつまり、新辺はカードを使っても三強には勝てないということだ。
目標には届かない。そういうことだ。
(俺には、これが限界なのか……?)
ボクシングでの挫折、夜会での挫折、そしてまた次の挫折が、目の前にある。
(いや、まだだ! まだ諦めない! 限界を、超えろ……!)
忍者マンを睨みつけながら、右手を臍下丹田に当てる。
(カードよ、俺に、もっと力を!)
瞬間、すでに熱くなっていた体が、さらに熱くなった。
自分の熱で火傷するかのような錯覚に襲われる。
同時に、筋肉が肥大する。骨が軋む。視界が赤くなる。
「おい、なんか様子が変だぞ!」
「デカくなってる!?」
観客席から上がった驚きと戸惑いの声も、新辺の耳には届かない。
ただ赤くなった視界にとらえた敵に向けて、拳を振るうのみ。
「うおおおお……!」
雄叫び。
振り上げた腕の筋繊維が、ブチブチと音を立ててちぎれる。
骨はギシギシと鳴り、今にも折れそうだ。
だが新辺はお構い無しに拳を突き出す。
「くっ……!」
忍者マンはバックステップで距離を取ろうとするが、新辺はそれを上回るスピードで詰める。
そのとき、脚の筋肉も悲鳴を上げるが新辺は止まらない。
二発、三発と繰り出されるパンチ。
そしてついに、右ストレートが忍者マンの黒いマスクに覆われた顔面をとらえた――
「いやあっ!」
観客席から上がった悲鳴は、カリナだ。
カリナだけではない。誰もが、新辺の逆転勝利だと思った。
しかし――
顔面に痛烈なパンチを受けた忍者マンは、その場に崩れ落ちるでもなく、後ろに吹き飛ぶでもなく、霧のように揺らめいて消えてしまったのだ。
「残像――っ!」
誰かが小さく叫んだ。
「上だっ!」
忍者マンは飛び上がって躱していた。
その姿を追って、新辺が顔を上げる。
しかし、それもまた残像だった。
新辺の顎が上がったことでがら空きになった首に、背後から現れた忍者マンの腕が巻きついた。
裸絞め――チョーク・スリーパーだ。
「落ちろ」
頸動脈を圧迫し、意識を刈り取る。
新辺の全身から異常なまでに漲っていた力が抜け、腕がだらりと垂れ下がった。
急転直下の展開に、わっと爆発するように観客席が沸く。
忍者マンが締めを解き、新辺の体を闘技場の床に横たえると、すぐさまレフェリーの篁が駆け寄って来た。
「離れて!」
忍者マンに指示し、新辺の横にしゃがみ込み、頬を軽く数回叩く。
「う、う……」
新辺はまだ朦朧としているが、とりあえず意識は戻ったようだ。
それを確認すると、篁は立ち上がって宣言した。
「勝者、忍者マン!」
退屈な展開からの突然の幕切れに、興奮する観客たち。
そんな中、篁は再び新辺の傍らに膝をつき、その様子を確認している。
そしてトランクスをめくり、その裏側に隠されたカードを発見し、手に取る。
「これは、没収します」
忍者マンに向かって言い、次に視線を観客席の信ノ森に向ける。
信ノ森は、やれやれといった感じで肩をすくめて見せた。
篁はズボンのポケットから取り出したカードケースに押収した〝ブースター〟のカードをしまい込むと、そこからもう一枚、別のカードを取り出した。
「とりあえず、応急処置です」
そのカードを新辺の丹田に当てると、荒かった新辺の呼吸が穏やかになった。
赤く腫れ上がるようだった全身の筋肉も、少しましになったようだ。
そこへ担架が到着し、新辺は医務室へと運ばれていった。
錬示は、黙ってそれを見送ることしかできなかった。
* * *
「まあ仕方ないさ。レフェリーが篁先生になった時点で予想はできた」
地下闘技場から引き揚げる一行の間には、重苦しい沈黙が漂っていた。
そんな中、先頭に立って歩く信ノ森が一人で陽気に喋っている。
「ブースターは残念ながら没収されてしまったけど、もう一枚、ヒーリングは篁先生が持っていたことが確定したわけだし、事態は前進したと考えていい」
「篁先生は、なぜわざわざ私たちが見ている前であんなことを?」
律子が疑問を口にする。
「さあてね。彼の良心からのサービスなのか、あるいは宣戦布告のつもりか――おや?」
地上に上がる階段の前で、立ちふさがるような人影を見つけて信ノ森は足を止めた。
後ろの面々も立ち止まる。
信ノ森の口は止まらない。
「どうしたんだい、こんなところで。もしかして僕たちを待っていてくれたのかな? 荒木場君」
「けっ、相変わらずよく喋るキツネだ」
腕を組んで仁王立ちの荒木場は、不快そうに顔を歪めた。
「用があるのはテメエじゃねえ。そっちの忍者野郎だ」
「…………」
荒木場からの鋭い視線を無言で受け止める錬示。
すでに覆面は脱ぎ、いつものパーカーとマスクの姿だ。
「テメエ、舐めてんのか?」
「はあ!? あんたこそなんなのよ、忍者マンが何したってのよ!」
「女はすっこんでろ!」
「男も女もカンケーないでしょ!」
「落ち着きなって、カリナ」
不良っぽい先輩と口喧嘩を始めたカリナを、紗夜がなだめる。
「荒木場君も落ち着いて。会長はしばらく黙ってて」
「はーい」
律子がぴしゃりと仕切り、信ノ森がそれに従う姿を見せたことで、その場は一旦落ち着いた。
「どうぞ、荒木場君」
「あ、ああ……」
少し調子の狂った荒木場だったが、すぐに気を取り直して、錬示をビシッと指差す。
「いいか、テメエがさっさと全力を出してりゃ、新辺はあんな怪我をせずに済んだ。新辺がああなったのはテメエのせいだ」
「…………」
言われるまでもなく、試合が終わってから錬示はずっとそのことを考えていた。
「テメエには覚悟が足りねえ。異能を使う覚悟が足りねえ。超人になる覚悟が足りねえ。人間でなくなる覚悟が足りねえんだ!」
「覚悟……」
「いいか、今度またあんな舐めた試合しやがったら、次は俺がテメエをぶっ潰してやるからな。それまでに覚悟決めとけ!」
そう言い放つと、荒木場は階段を上り去った。
残された者たちの視線が錬示に集まる。
フードとマスクでその表情はよく見えないが――
「覚悟、か……」
錬示は自分の両手に視線を落とし、呟くのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに!




