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最終話 それから

 その後の長宗我部は尋常ならざる隆盛ぶりだった。

 鬼若子と呼ばれるようになった長宗我部元親は、七年後の永禄五年に仇敵本山氏を滅ぼし、その翌年には吉良氏を併合。永禄十二年に安芸氏を滅ぼして香宗我部氏を併合すると、その二年後の元亀二年に津野氏を併合した。そして、さらに四年後の天正三年にはすでに家臣に離反され一条の実権を失っていた兼定、それに最後まで付き添っていた康政を四万十川の戦いで破る。ここに長宗我部による土佐国の完全平定が完了した。

 長宗我部の快進撃はその後も続き、天正十三年、ついに長宗我部元親は四国統一という前代未聞の大業を成し遂げたのである。


 しかし、その栄華はほんの短いものだった。

 元親が四国統一を成し遂げた同じ年に、魔王織田信長の後を引き継ぎ天下人となった羽柴秀吉の四国攻めが始まったのである。

 この戦いに長宗我部は敗北。長宗我部は四国の覇者から土佐一国に減封される。まるで、天下人たる秀吉に捧げるように。夢から醒めるように。

 ここに長宗我部の夢は潰えたのである。


 明智十兵衛光秀は四国を去った後、尾張の織田信長に仕官しその辣腕を振るって大いに出世した。ところが信長が後一歩で天下を獲るという天正十年に謎の謀反を本能寺で引き起こし、日本中を震撼させることになる。

 その後備中高松城から引き返してきた秀吉軍に敗北し、逃走中に百姓に竹槍で刺され深手を負った光秀は、山中で自害した。

 叡山や朝廷の思惑は知らず、近衛の考えに賛同し、戦乱を憎み、民のためと信じて天下太平を目指して働いてきた彼を討ったのは、百姓上がりの秀吉と名もない百姓の竹槍だったのである。

 信長による叡山焼き討ちを逃れ、甲斐国にいた天海は、兄が民と民から出た武将に討たれるという顛末に何を思ったのかは謎である。


 勝隆は岡豊城での一件の後、一度は自分の里に白とともに帰ったが、村が三郎の元にまとまっていくのを見届けると、しばらくして村を飛び出した。

 彼が何を思い、どこに行ったのか知る者はいない。ある者は大陸に渡ったのだと言うし、商人になって莫大な富を築いたとも、忍や僧侶になったと無責任に想像する者もいた。しかし、里に帰ってきた彼と接したことがある者は、彼がどのような道を選んでいようと、自分も周りの人も幸せにする、幸せな人生を送ったのだろうと誰もが言った。





おしまい

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