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第五十三話 青空

 温かい夏の風を受けながら、勝隆は空を見ていた。今自分のいる山は、村のあった山よりも遙かに低いけれど、青く広がる空はずっと高く感じる。時折鷹か鳶の声が聞こえてきて、広い空に鳴り響いた。眼下には草原があり、草花は撫でられたように頭を揺らしている。

 今勝隆は何も考えず、ただぼうっと空や山、川を眺めていた。その様は恐らく端から見れば村で暮らした以前と同じだったが、その時とは明らかな違いがあった。


「こんなところにいたの」


 声とその主に気がついたが、勝隆は振り向きはしなかった。実は少し前から、彼女の接近には気づいていたのだ。


「土佐には海があるから、海が見える場所でも良かったんだが、とりあえず山に登った。おれは山育ちだから」


勝隆は白の気配を感じながら、瞳を閉じた。


「白、俺は心が痛い。どうしてだろう」


 白は答えはしなかったが、勝隆は特にそれを不満には思わなかった。白は最初からこの結末が見えていたような気もする。現に岡豊城にいなかった白は、城で何があったかは全く知らないはずである。だが、白は全てを悟っているようでもあった。


「そういえば、綾姫は元親の影武者としてあの弥吉っていう子を育てる事にしたみたいよ。年は結構離れているけど、綾姫が男で通る限界が来る年頃には、あの子も立派に成長するでしょう。弟たちは一人一人が長宗我部の大事な駒だから、影武者に出来ないのね。

でも綾姫ってさすがね、酢漿草衆を自分の勢力に取り込むみたいよ。あの子は百姓の、民の力というものをほんの少し理解してるのかも。もしかしたらずっと先になるかも知れないけど、その考えと情熱が土佐の気風になれば、この国を変える人物を生み出す土壌になるかも知れないわね」


 白が長宗我部元親の事を、まだ綾姫と呼んでいることが勝隆には少し嬉しかった。これから先、綾姫という人物を知るものはどんどん少なくなっていくのだろう。たとえ、長宗我部元親が歴史に名を残すようになったとしても綾姫という人間を先の人々は知らないのだ。そう思うと虚しい気持ちで一杯になった。

 時とともに綾姫の存在も、彼女の苦悩や最後に選んだものも、全て無かったことになっていくのが、勝隆は胸が痛かった。


「あれはなんだったのかな」


白雲を運ぶ風の音を聞きながら、勝隆が呟くと白は勝隆と同じ所までやってきて同じく腰を下ろした。


「恋だったのよ。それは間違いないんじゃない?」


菫の花に囁くように、白は言った。


「でも、手に入らなかった」


「うん」


「お互い、通じ合って、いたのに」


「そうね」


 最後は声が詰まったようだった。


「あのね、心が痛いってさっきの言葉だけど、それはあんたが生きてるって証拠、人間の証拠なのよ。今の世では、多くの人がそれを忘れていく。実はこれ、ずっと黙っているつもりだったんだけど、最初にあった頃の勝隆は人間から遠くなっていたの」


「どういうことだ」


「人にはね、喜怒哀楽愛悪欲という七つの感情があるの。それがあって初めて人間なんだけど、あなたはそれがなくなりかけていたの。それが無くなるということは、人の根本の本質に近づくと言うこと。仙人なんかは、それに近づくために一度七情を捨てたりするのよ。あんたみたいなのは、珍しいの。


 素質っていう風に考えると生まれた時からかもしれないし、山奥で修行して心身を鍛えている内にそんなふうになっていたのかもね。だから私は、最初それであんたに興味を持ったの。あんたは悩んで行動して、そして涙を流した。それは善でも悪でもない何より人間らしい心だよ」


何か祝福を受けたような気になり、勝隆は笑ってただ青い空を見た。

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