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第二十六話 地の果ての友情

 藤の御所の夜はさらに更けた。

 綾姫は御所で最も気高い場所、兼定の部屋に呼ばれていた。

 もう横になって眠りに入るという時になって、兼定の使いに起こされたのである。しかし予感はしていた。そもそも、今日突然長宗我部の元親が綾姫として現れたのだから、これを彼が見過ごすはずがない。

 綾姫は手早く着替えると、すぐさま兼定の自室へと向かった。この屋敷全般に言えることだが、どこもかしこも趣味が良く、調度品も見事なものばかりである。しかしかといって、ただ豪華で派手なだけというわけでは無いから、これぞ雅というものだろう。

 この館を、綾姫はとても気に入っていた。初めてこの館を訪れた時もそうだった。岡豊城は歴史も思い入れもある良い城だが、この館と比べてしまえばまるで山賊の砦に思えてしまう。それほどの衝撃を受けたのを綾姫は覚えている。


「全く君もここしばらく本当に難儀だったね。あんな女の格好まですることになって。ね、元親殿」


 綾姫はすでに与えられた男の服に着替えていた。兼定も事情は承知しているため、ここでのみ、この服を着ろということらしい。


「はい、本当に」


 頭を垂れる元親の表情と、自分が選んだ凛々しい服装を確認して、兼定はうん、と満足そうである。

二人は身分の違いこそあれ、昼間よりは遙かに寛いでいた。恐らく勝隆も白も、二人がこれほど近しい仲だとは気づいていないだろう。


「お母上と弟たちの行方は、さぞ気になっていることだろう。今のところ大きな動きは見られないから、捕らえられているとはいえ、ご無事だと思うよ。分かっていると思うけれど、僕は出来ることなら無条件でそなたに助力したいのだ。けれどやはりこれにはしがらみがあってね。伯父上の言うように家に関わることだから、僕の一存だけでは」


「承知しております。そのお心だけで十分です」


「うん。それに貞親殿の動向も気になるよね。何か分かれば僕から教えてあげるから安心して」


 元親は厳かに礼の言葉を述べた。


「ふむ。やっぱりそなたはこの服の方が似合うよ。やはり元親殿はこうでなくては」


 兼定は凛々しく振る舞う元親を改めて見ると、惚れ惚れするようにため息をついた。


「だからね」


 兼定の声色が鋭くなる。


「もうあの男のおのこと仲良くするのはやめて。元親殿が彼に惹かれているのを、僕はちゃんと知っているんだから」


「な、何を言われますか。あの者は」


「黙って。とぼけても無駄だから。僕はまだ幼いと言われる歳だしそんなに頭も良くないけど、勘だけは良いんだ。この勘のおかけで、僕はここでも都に行った時でも暗殺されずに生き残る事が出来た。それがなければ、もう既にこの土佐一条は滅んでいたよ」


 兼定の言葉には確信があった。それがあまりに自信に満ちていたので、元親もすぐに言葉を返すことが出来なかった。彼なりの修羅場を経験しての自信だろう。そして何よりその言葉は確かに事実なのだ。


「何日か女の格好をしたからって、もう色気づくなんて感心しない」


「そんな・・・」


  元親が言い淀んでいると、兼定は息がかかるほど近くまでやってきて、元親の手に軽く自分の手をのせた。体温の高い小さな手である。


「ほら、手を握ればこんなによく分かる。これは恋をした娘の手だ」


 言われて元親はどきりとしたが、指摘されてどこか嬉しい気持ちも感じた。その僅かなときめきを、兼定は見逃さなかった。力の限り、元親の手をつねる。


「裏切りは許さない!」


 突然兼定は激高した。顔を紅潮させ、床にだんだんと地団駄を踏む。呼吸も乱れ肩で息をしていた。彼をよく知らない者が見れば、一体何事だと思うだろう。

が、室内に響き渡る声が静まると、打って変わって弱々しく肩を震わし始めた。

その肩の細さは、間違いなく少女のそれだった。


「嫌だ・・・嫌だよ。そなたが女に戻ってしまったら、もうこの土地でこんな惨めなことをしているのは僕だけになってしまうじゃないか・・・。そうだよね、馬鹿馬鹿しいことだと思うよ。一族の繁栄のために僕たちはこんな格好をして生きている。元親殿だって機会さえあれば、普通に暮らしたいと思うよね。本当は元親殿が綾姫の格好をしていた時、本当はとてもよく似合っていた。それが怖かったんだ」


「兼定様」


「でも、どうか僕だけ一人にしないでよ。僕はまだ小さくて、心細くて・・・。康政は良くしてくれるけれど、結局あの者も一条の家の方が大事な人間なんだ。元親殿だけが僕を分かってくれる。元親殿だけが僕と同じなんだ」


泣きじゃくる兼定を、元親は抱きしめずにはいられなかった。手の痛みなどなんということはない。所詮十一歳の子どもの力だ。しかもそれは少女の力である。

自分がかつて、この御所を初めて訪れた時、兼定とはお互い一目で全ての身の上を悟りあった。その時はまだ、兼定の方は状況をよく分かっていなかったようだったと思うが、恐らくここ一、二年でさらに多くを悟ったのだろう。かつての自分もそうだった。

どうしてこの子の涙から、目をそらすことなど出来るだろう。不安な嵐の中で叫ぶこの少年は、かつての自分なのだ。


「大丈夫です。あなたを一人にはしません」


「じゃあ、あの者のことは諦めてくれる?」


元親は、やはりすぐに答えることが出来なかった。はい、という兼定を安心させるひと言を言おうとすると、何故か頭に勝隆の顔が浮かんで、言葉が詰まってしまう。

兼定はその様子を見ると、涙を引っ込め呆れた様子で言った。


「・・・もう、元親殿は正直だな。でも馬鹿だよ。本気で、その先を考えたことはあるの?良い結末があると思う?僕たちみたいな人間が恋をしたって、受け入れられるわけ、ないじゃないか」


 そう言い放った少女の目は、十一歳とは思えないほど寂しかった。

戸の外にはまだ月が浮かんでいる。しかし先ほど勝隆と見た同じ月だとは、どうしてこんなにも違って見えるのだろう。

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