「パーティーを解散しよう」と唯一のメンバーにして最高の相棒に言われたが、女勇者はそんなこと絶対に認めない
宇宙の果てより飛来してきた魔王ガルア=B=ナイトメア率いる魔族の軍勢によって人類は滅亡の危機に瀕していた。
今まで人類が培ってきた魔法技術が足元にも及ばない強力な常闇魔術を使う魔族たちによって多くの街が滅ぼされ、人類史上最大と言っていい死者が出たのだ。
ビヌンラの予言書というこれまで見向きもされていなかった書物を引っ張り出してここに記された通りに大陸は天空より飛来してきた上位存在によって滅ぼされるのだと言われても笑って否定できないくらいには戦況は劣勢であった。
10の国が滅んだ頃、冒険者ギルドに所属する小柄な少女ルナが魔族が扱う常闇魔術に対して絶対と言っていいほど効果的に働いて打ち消す月光属性魔法を開花させ、彼女しか使うことのできないその力でもって魔族の優位性は崩れ、人類は反撃に出ることができた。
無尽蔵の魔力を宿し、大陸さえも消し飛ばすだけの力を振るう魔王が勇者ルナによって倒され、世界が魔族の脅威より解放されることになったのが一週間前のこと。
未だ人類の完全勝利という余韻に国と言わず大陸全土が喜びに打ち震えている中、勇者ルナは自身が所属するパーティーのメンバーに誘われて冒険者御用達の食堂に来ていた。
今や知らぬ者のいない人類の救世主たるルナが所属する冒険者パーティー『ムーンキャット』。その唯一のメンバー、すなわち相棒としてこれまで共に戦ってきた目の前の女はこう切り出したのだ。
「パーティーを解散しよう」
「何それ? 冗談にしてもくっそ笑えねーんですけど???」
目の前の女と向かい合って椅子に腰掛けていたルナはこれでもかと言わんばかりに目を鋭くしていた。勇者としてどんな人間よりも過酷な死闘を潜り抜けてきた彼女にそんな目で見据えられればそれだけで大抵の者は震えて逃げ出していたことだろう。
だが対面に腰掛けているのはこれまで勇者ルナと共に歩んできた唯一のパーティーメンバーである。すなわちルナと同じだけの死闘を経験してきた相棒がその程度のことで震え上がるわけがなかった。
ニーナ。
猫のように特徴的な瞳に普通の人間よりも鋭い犬歯、猫耳のようにもツノのようにも見える癖のある金の髪、肌の露出を極限まで抑えた修道服にも拘束具にも見える漆黒を基調とした服装、誰もが見惚れるほどに妖艶な顔立ち、十代前半のルナより二つか三つは年上だろう外見の女は月光とは名ばかりの『とにかく殴って敵をぶっ飛ばす』脳筋丸出しな魔法の使い手であるルナができない全てを賄っていた。
戦闘面での援護はもちろん、パーティーでの行動中の具体的な行路の考案や食料や水など必需品の管理、不測の事態に対する臨機応変な対応、困っている者を見れば後先考えずに金を使ったり依頼料を押し返して格好つけるくせに後で資金難で泣きを見るルナの代わりに別のところから財源を確保したり、感情論が前に出るルナが軍人やお偉方と問題を起こした時に様々な方法でどうにか場を丸く収めたりと、とにかく直接戦闘以外の全てをだ。
だが、そんなことを知らない多くの者はルナのことばかり勇者だと讃える。ルナだけの力で世界は救われたと言わんばかりに。
だけどルナは知っている。魔王を倒して人類を破滅の道から解き放つことができたのは隣で支えてくれたニーナがいたからであり、どんな猛将や賢人が隣に立っていたって魔王に勝つことはできなかったのだと。
だからこそ、だ。
誰よりも信頼し、頼ってきたからこそこれから先もずっと一緒だと思っていた相棒からの言葉にルナは反射的に睨んでしまったが、内心パニック状態だった。
(え、エッ、パーティーを解散って、うそうそそんなのやだですよっ。あたしがこれまでやってこれたのはニーナがいたからなのに! なになに、パーティーを解散したくなるくらいあたしに悪いところがあったってんですか!?)
思い当たるところと言えば、と考えて、ルナは青ざめた。
放っておいたら夕方まで眠っているからと──そして夜更かしして翌朝も起きられないからと──ニーナは毎朝ルナを起こしてくれている。ついでに髪を解いてご飯を作ってくれてとパーティーとしての活動以前に日常生活からして頼りっぱなしなのは当然として、パーティーとして活動している時もニーナが決めた完璧な計画を思いつきでぶっ壊してさらに難度の高い目標を達成するためにはどうすればいいと無茶振りすることも珍しくないし、ギルドに提出する書類作成やら何やら面倒な雑用は基本的に全てニーナ任せでルナがやることと言えば敵をぶん殴ることくらい。パーティーと言いながら役割分担の比重はニーナに傾きまくっていることだろう。
はっきり言って仕事中はもちろん私生活でも負担をかけまくりであった。それでいて称賛されるのはルナばかりとなれば愛想を尽かされるのも当然だろう。
(うわあん何があたしに悪いところがあったってんですかって話ですよお!! 悪いところしか思い浮かばねーです!!)
付け加えるならばルナは勇者と呼ばれるくらいには結果を残してきたが、それはこれまでの主な人類の脅威が魔族だったからだ。どんな強い魔族が相手でもルナだけは月光属性魔法で優位に戦闘を進めることができたが、これから先は違う。魔族以外にだって人類の脅威は存在しており、その脅威には月光属性魔法は弱点にはならない。つまりこれまでのような絶大な優位性がなくなる以上、これから先は誰もが驚嘆する結果を残すことは難しくなるだろう。
これまでの実績からルナを人類最強と呼ぶ声も多い。
ただしその根拠となっている実績はあくまで魔族を相手にした時のことであり、それ以外が相手の場合、それなりの実力しか発揮できない有象無象の一人でしかなくなるのだ。
対してニーナはどうか。勇者ルナが渡り歩いてきた死闘にだってついてこれるポテンシャルはこれから先の時代、必ずや重要視される。それこそルナよりも、ずっと。
そんなニーナがこれから先もルナとパーティーを組むメリットはなんだ? これから先、落ちぶれるのは目に見えているルナに見切りをつけてもっとずっと自分が輝ける場所にいったほうがいいと考えても何の不思議もない。
確かにルナは魔王を倒して世界を救った。
だからといって栄光だけで飯は食っていけないのだから。
(う、うう……。足でも舐めたら許してくれねーです?)
パニックになりすぎてルナの思考がどこか斜めにぶっ飛んでいることなど気づかず、ニーナはこう言った。
「ルナはもう勇者と呼ばれるほどの人間になったわ。なら私のような奴よりもパーティーを組むに相応しい人間がいると思う」
「は?」
「これまでだって戦闘じゃ弱い私にできるのは援護くらいで、何度か共闘してきた人類最古の呪術師や白桜の賢者や大将軍のように肩を並べて戦うことなんてできていなかったしね。私のような弱い奴じゃなくて、本当は彼女たちのような本物の英傑こそルナの隣には相応しいんだから」
「は???」
何を言われているのか、ルナは本気で理解できなかった。
確かにニーナは戦闘では援護に徹していた。だがニーナがその場に適した補助魔法をかけてくれたり、敵の弱点を見抜いて最適な作戦を考えてくれたからこそルナはいつだって最大限を超えた実力を発揮することができた。それは人類最古の呪術師や白桜の賢者や大将軍といったトップランカーたちであっても不可能な、ルナのことを一番に理解してくれているニーナだからこそできたことだ。
確かに肩を並べて戦ってはいなかったかもしれない。実際に魔族と拳を合わせていたのはルナだったかもしれない。それでもニーナがいてくれたからルナはあの過酷な死闘を生き抜くことができたのだ。
そもそもニーナの『強さ』はそんな一面だけ見て判断するべきものではない。パーティーでの役割分担、その比率を考えればニーナがどれだけ力になっていたかはわざわざ語るまでもないことだというのに。
「何を言い出すかと思えば、的外れにも程があるんですよ。そもそもあたしなんてたまたま月光属性魔法という便利な才能があって、たまたま月光属性魔法が苦手な魔族が戦争を仕掛けてきたから活躍できたってだけです。そんな偶然がなかったらあたしなんて有象無象の一人でしかなかったんですしね」
「そんなことはな──」
「そんなことあるんです。あたしは一人じゃ雑魚も雑魚、クソ雑魚ですよ」
ですから、と。
ルナは呆れたように息を吐いて、肩をすくめて、そしてこう言った。
「あたしの隣にはご立派な英傑なんていなくていいです。いつだって、どんな時だって、こんなズボラで馬鹿なあたしの隣にいてくれたニーナが一緒ならそれで十分すぎるんですよ」
よかった見限られたわけじゃねーんですね、とルナは内心小躍りしそうなくらい安堵していた。
勇者だなんだ言われながら本当のルナはズボラなだけの駄目冒険者なのだと見限られていたならばもう泣き叫んで謝り尽くして捨てないでと縋り付くしかなかったが、そうでないのならば何とかなる。
ルナは勇者かもしれない。だけどそれがどうした。どこぞの誰かが勝手に持ち上げているからといってそんなものをニーナが気にする必要はない。
魔族との戦闘が激化し、軍だけでは対処できないからと国からの強制によって冒険者まで駆り出されることになった。そこでルナは月光属性魔法に目覚めた。その魔法が魔族に有効だったからと最前線に放り込まれた。
……ニーナにどう見えていたかは知らないが、人類最古の呪術師や白桜の賢者や大将軍だって比較的弱い魔族を相手にしていただけで、幹部クラスは全員ルナが相手していた(そして、それも仕方がないという暗黙の了解があった)。そうしないと簡単に殺されるくらいの力の差が人類のトップランカーと魔族の幹部クラスの間には広がっていたのだ。つまりどんな英傑が駆けつけようともルナはひとりで戦っているも同然であった。
勇者という金看板に臆することなくニーナがパーティーを組もうと誘ってくれたあの日までは。
ニーナだけがついてきてくれた。どんな過酷な死闘にだって文句も言わずに。そしてあの最悪の戦争の中でさえも目の前の命を見捨ててでも勝利を優先する現実的で賢い選択ができずに理想論ばかり口にするルナに最後まで付き合って、具体的な救いの道を見つけてくれた。
月光属性魔法という特別な才能を持っているからこそできることは多かったかもしれないが、ルナ一人では限界があった。その才能を最大限に活かして現実的な救いにまで変える道を示してきたニーナが弱いわけがない。
役割分担で言えばニーナに偏っている自覚はある。
だからルナがニーナに見限られるなら仕方ないのかもしれないが、その逆などあるわけがない。
いいや、そもそも。
もしもニーナがそこまでの活躍をしてこなかったとしてもだ。
(ニーナがそばにいてくれれば、それだけであたしは最高に幸せなんです。ですからパーティーを解散するとか酷いこと言わねーでくださいよ。すっごくかなしいじゃねーですか)
本当はどんな理由も、大義名分も、それっぽい理屈も必要なかった。ニーナだから。ひとりだったルナのそばにいてくれたニーナだからこそこれからもずっと一緒のパーティーでいてほしいのだ。
御大層な肩書きだけでルナをひとりぼっちにしてきた英傑どもなんかいらない。勇者に相応しい人間なら他にもたくさんいるのかもしれないが、ルナが一緒にいたい相手はニーナただ一人なのだから。
と、そこまで考えてルナは気づいた。
ニーナがどこか苦しそうに表情を歪めていることに。
もしも勇者であるルナと自分がパーティーを組むのは相応しくないというのが解散を切り出した理由であれば先の言葉で多少は考えが変わるなり何なりするはずだ。そうでなくても頑なに反論するなりあってもいいだろう。
だがニーナは言葉を紡ぐんだ。どうすればいいのだと悩むように。
『ルナはもう勇者と呼ばれるほどの人間になったわ。なら私のような奴よりもパーティーを組むに相応しい人間がいると思う』とニーナは言った。本当に? それはパーティーの解散を切り出した本当の理由なのか?
そうでないのならば。
魔王が倒されて世界が魔族の脅威から解放された今この瞬間にこそパーティーの解散を切り出してきた本当の理由は──
「もしかしてニーナが魔族だということを気にしてパーティーを解散しようとか言い出したんですか?」
「どっどうして私が魔族だって気づいて……ッ!?」
慌てて口を押さえていたが、もう遅かった。
大きく目を見開くニーナのその姿で真実は明らかだった。
ーーー☆ーーー
勇者ルナの登場は快進撃を続けてきた魔族たちにとって最大の障害であった。逆に言えば勇者さえいなければ魔族の勝利は確実であった。
だからこそ魔王は勇者を殺すべく様々な策を弄した。その中の一つにして魔王と当事者以外の誰にも知らされていない極秘任務。十三人の幹部の末席、サキュバスクイーン・ニーナレス=ミストレリア──すなわちニーナの『力』でもって勇者暗殺が計画された。
サキュバスは獲物を魅了し、騙し、食い物にする種族である。相手が最も好む外見に変化する常闇魔術や肌から漂う常闇魔術由来の色香によって欲情を刺激して精神的防衛力をぐずぐずに蕩かしたり好意を誤認させる魅了の常闇魔術で対象を傀儡に変えたりすることはお手のもの。とはいえ月光属性魔法が直撃すればそういった力は無効化されるのだが、これまで培ってきた超常に頼らない誘惑の技術だけでも暗殺計画に適任だと判断されたのだ。
まずは変化の術で人間に擬態して勇者に近づき、培ってきた演技力で信頼を勝ち取り、油断したところを背後から貫く。細部はサキュバスクイーンに一任されたが、なんてことはない。その時には幹部とはいえ末席であるニーナではすでに勇者には真っ向からは勝てるわけがないとわかっていたから搦手でも何でも使って傷を負わせればそれでいいというだけのことだった(そもそも前提となる変化の術自体が月光属性魔法を浴びれば吹き散らされるものである時点で計画の脆弱性は明らかなのだから)。
成功すればそれでよし、失敗したとしても勇者相手にはもう使い物にならない駒を失うだけで損失はほとんどないと判断した……のだろうが、正確なところは不明。もしかしたら魔王の『力』によって必要なことだと判断されたのかもしれないし、単なる暇潰しだったのかもしれない。
とはいえどんな思惑があろうともニーナに拒否することなどできようはずもなかった。魔王という絶対強者からの命令は魔族にとっては絶対であり、拒否すれば殺されるだけなのだから。
ニーナが生き残るには何としてでも勇者を殺すしかない。
そう決意して彼女は勇者に近づいた。
魅了のような種族特有の常闇魔術だと月光属性魔法に打ち破られるのは目に見えているから術に頼らず心の機微を読み取って懐かれるよう接して油断を誘おうとした。
それがきっかけ。
確かに初めこそ暗殺を成功させることしか考えていなかったかもしれない。
だけど、いつからだっただろうか。
月光属性魔法が使えるというだけで最前線に送り込まれて、世のため人のために戦うことを強要されているというのにそれが誰かの笑顔に繋がるならと心の底から望んで拳を握る姿を見た時?
大多数にはあまり人気のないゲテモノな人形にこそ目がなく、だらしのない顔で大量の独特な人形を抱きしめて目をキラキラと輝かせているところを見た時?
人間界においては動物扱いされている獣人だろうとも関係なく命懸けで救った姿を見た時?
戦場では常に最前線で戦女神のように凛々しく暴れ回っているというのに普段はそんな様子を微塵も感じさせないズボラで抜けまくっている女の子だと知った時?
人類の滅亡もあり得る最悪の戦争という極限状態でモラルが崩壊していた西の小国の王子が気に入らない高位の女文官を裁判も行うことなく冤罪で処刑しようとしていたところに首を突っ込み、勇者なら相応しい行いをしろその犯罪者を殺せと騒ぐ王子に向かって『馬鹿じゃねーですかっ。仮にも勇者って呼ばれているからこそテメーみたいなクソ野郎から目の前の女性を助けるんじゃねーですか!!』と堂々と言い放って小国とはいえ国そのものを敵に回した姿を見た時?
勇者として尊敬の眼差しを向けられるとそれに応えようと格好つけて『ふふんっ! あたしこそ伝説の勇者ですよ!!』と胸を張っていたりするが、ニーナと二人きりになったら『ねえねえさっきのは格好つけ過ぎでした!? ううっ恥ずかしくなってきたですよっ』と羞恥に震える姿を見た時?
どれだけ残酷な現実を前にしても、戦争では誰も死なないなんてことは不可能だと思い知らされても、何度だってもう誰も死なせないと立ち上がり、目の前の命を諦めずに足掻く姿を見た時?
いくら戦争の最中だからといってニーナと遊ぶ時間だけはどれだけ短くとも必要だと当然のように言い切って、手を引っ張って、あんなにも求めてくれた時?
戦場ではどれだけ犠牲が出ようとも、どんな悲劇が起きようともすぐに切り替えて冷静に対処しているくせにニーナにだけは涙を浮かべて弱音を吐いて世界の理不尽さに憎悪を搾り出して弱いところを見せてくれた時?
珍しく自分から部屋の掃除をしようとして転んでバケツを頭からかぶって全身びしょ濡れになったり新しい町ではどんなに小さなところでも一人で出歩けば間違いなく迷子になって涙目になるルナが戦場での凛々しい姿とかけ離れていてあまりにも情けなくかわいくだから自分なしじゃいられないくらいお世話したい依存させたいもっともっとでれでれに甘えてほしいと思った時?
魔族の軍勢が迫っていることも無視して今にも死にそうになっている女の子の手を握り、優しく見つめて、最期の言葉をしっかりと聞いて、迫る死に出来るだけ怯えないようにと尽くしている姿を見た時?
ルナがどうしようもなく緩みきった表情で甘えるのは他の誰でもなくニーナにだけだと気づいた時?
いつだったかなんて覚えていない。
気がついた時にはもう手遅れだった。
勇者だなんだではなく、ルナという一人の少女のことを好きになってしまった。そんな相手を暗殺なんてできるわけがなかった。
サキュバスの女王ともあろう者が魅了するのではなくされるだなんてとんでもない失態だという自覚はあったが、それ以上に大好きになってしまったのだから仕方がない。
だから暗殺なんて命令は無視した。その結果、裏切り者である自分が魔王に殺されようとも後悔はなかった。……裏切ると決めてもなお魔王に勝って生き残る、だなんて考えすらしていなかった。
そう、どんな手を使ってもルナという勇者がいようとも魔王を倒せるとは思えなかった。何せ魔王ガルア=B=ナイトメアは未来さえも見通す絶対強者なのだから。
ビヌンラの予言書という形で魔王が見通した未来を人類に提示しても覆されるわけがないという確信と余裕があった、と言えば、その『力』の絶対性もわかるというものだ。
つまりどんな紆余曲折を経ようとも最後は魔王の勝利という未来に行き着くようにできている。そうでなければ戦争を仕掛けることもなかっただろうから。
だからこそ本当は二人で魔王の手が届かないほど遠くに逃げたかった。全人類を見捨ててでも自分だけを選んで欲しかった。
だけど、わかっていたから。
どれだけ説得しても勇者と呼ばれるに相応しい彼女は決して誰も見捨てないと。そんなルナだからこそ魔王の命令さえも振り切るだけの感情を抱いてしまったのだから。
ならばせめて魔王に殺される最後の日まではと何も言わずにそばにいることにした。一緒に死ねるのならばそれはそれで悪くない結末だったから。
極秘任務だったのは都合が良かった。そのお陰で他の魔族の目は変化の術で騙すことができたし、最終決戦においても魔王は勇者しか見ておらず裏切り者であるサキュバスクイーンのことなど何の障害にもならないと捨て置いていたのだから。
だから、だ。
まさか自分の正体が周囲にバレずに、なおかつ魔王を倒して『その先』に進めるだなんて考えてすらいなかった。いつかどこかで砕ける儚く優しい夢だったからこそ存分に堪能しようと思っていたのに、絶対強者たる魔王の未来予知さえも覆すだなんてニーナが大好きになった少女はどれだけ凄いのだと惚れ直したほどだ。
それはそれとして、いきなり『その先』に放り込まれてもどうすればいいのか困ってしまうのだが。
一つ言えるのは今日まで周囲に正体がバレなかったのは運が良かっただけということ。何かの拍子に変化の術が見破られる可能性もゼロではなく、ニーナの正体がバレれば必ずや唯一のパーティーメンバーにして最愛の少女を巻き込んでしまう。
だからこそ正体がバレる前にせめて美しい記憶のまま終わらせたかった。『ルナはもう勇者と呼ばれるほどの人間になったわ。なら私のような奴よりもパーティーを組むに相応しい人間がいると思う』という言葉はそれっぽい理由をでっちあげて穏便にパーティーを解散し、もう二度と会わないようにするためのものだった。
だからすでに自分の正体がバレていたとは考えてもいなかったのだ。
ーーー☆ーーー
とん、とルナはこめかみ辺りを指で軽く叩く。
正確には月の光にも似た輝きを放つ瞳を指し示す。
「あたしの魔法は月光って変に神秘的な冠がついていながら拳で敵をぶっ飛ばすのが基本です。強化系、正確には身体強化とでも呼ぶべきものなんです。ですので、実は拳以外にも色んなところが強化されるんですよ。それこそ目を強化して、常闇魔術による変化を無視してニーナの正体を見破ることも簡単ってことです」
「そんなこと、これまで一度だって言わなかったわ」
「だって聞かれませんでしたから」
まさしくズボラの極みであった。
パーティーメンバーとの情報共有が不十分であった理由に何か深い理由があったわけでもなく、まさしく言葉通り聞かれなかったからというだけなのだから。
「だったら……どうして? 私が魔族だってわかってて、どうして今までそばに置いていたのよ!?」
「どうしてって、何がです?」
「だから! 魔族は人間の敵で、勇者が殺すべき害悪で、だから、だったら、正体が判明した時点で問答無用で殺すべきだったはずよ!!」
「なんで? ニーナは別に悪いことなんてしてねーですよ???」
即答だった。
迷いなんてどこにもなかった。
「他の人間がどうかは知らねーです。もしかしたら魔族を見つけたらとにかく殺せっていうのが当たり前なのかもしれねーですね。ですけどあたしはそんな理由で戦ってきたわけじゃねーです。あたしが魔族をぶん殴ってきたのはこれまで悲劇をばら撒く奴らの大半が魔族だったからです。そうじゃねーならわざわざ魔族だからってだけでどうこうしたりしねーですし、逆に人間が何の罪もない魔族を殺したりしていたらその人間をぶん殴るですよ」
「……っ」
「まあ、どこかの誰かが考える勇者らしくはねーかもですけど、これがあたしなので。というか、そんなことニーナならわかっていると思っていたんですけどね」
言われて、ニーナは奥歯を噛み締めた。
もしかしたらルナが言う通り心の奥底ではわかっていたのかもしれない。
サキュバスの女王さえも魅了した少女は相手の種族で態度を変えるような小さな人間ではないことを。
だから。
だからこそ。
「だめよ……。それでも、だとしても! もしも私の正体がバレれば同じパーティーメンバーであるルナにも悪評が流れてしまう! 最悪の場合、魔族を庇い立てする重罪人として大陸中の人間からルナも命を狙われるかもしれない!! それくらい大多数の人間にとって魔族という存在は憎悪の対象なのよ!? せっかく勝ち取った栄光を私のせいで台無しにする可能性が万に一つもあるのならば切り捨てたほうが絶対にいい!! だから!!」
「そうなったら世界中の人間でも敵に回してやるですよ」
さらりとしたものだった。
ルナは勇者として人類を救い、これから先は薔薇色の人生が待っている。何もなければ誰からも称賛され、長きに渡って語り継がれる伝説の存在にだってなるだろう。
それをニーナという汚点が全てぶち壊す未来だってあり得るとわかっていて、それなら世界のほうを切り捨てると即答できる精神性。
誰もが思い描く都合のいい勇者からはかけ離れていて、だけどその姿にこそサキュバスクイーンは心の底から屈服し、籠絡されたのだ。
ルナは勇者だ。だからといって世界を救うために戦ったりしない。
自分がしたいことをしたいだけして、結果として世界が救われただけなのだから。
「ねえニーナ」
だから。
人類の滅亡もあり得る極限の戦争の最中であってもブレることなく自分が最も選びたいと思える道を選び、貫いてきた大切で大好きな少女は今更自分を曲げることなくこう言った。
「自慢じゃねーですけどあたしはニーナがいないとまともな人間らしい生活も送れねーですからね。ですのでパーティーを解散するとか冗談でも言わねーでください」
「……、本当に自慢じゃないわね」
絵本の中の勇者ほど格好良くはなかったかもしれない。その表情は縋り付くように弱っていて、その声音は情けなく震えていて、だけどそれこそがルナがニーナにだけ見せる素であった。
そんなに甘えられては拒否などできるわけもなかった。
「わかったわかった、もうパーティーを解散しようなんて言わないわよ。私のせいで死んだって恨みっこなしだからね、ばか」
「うん、うんっ。ありがとうですよお!!」
「わっぷ!? ……まったく、もう」
我慢できず涙目で抱きついてくるルナをニーナは仕方ないと息を吐きながら抱きしめ返した。
ルナを自分のせいで不幸にしたくない。
だけどルナの我儘を拒否できるわけもなかった。
気がついた時にはもうどうしようもないくらい惚れてしまっていたから。その時からニーナはルナにだけは絶対に勝てなくなったのだ。
ーーー☆ーーー
(祝っ、パーティー継続! やったあーっ!! 今夜はご馳走でお祝いですよっ!! ぱーっと散財ですそうするですよ!!)
……流石のニーナもルナが今にも歓喜に絶叫して喜びを書き殴った看板を掲げて踊り狂いたいくらい浮かれに浮かれまくっていることにまでは気づいていなかった。
サキュバスという好意を誤認させることだって容易い種族の女王でありながら本当の本気で誰かを好きになったのは初めてだったからこそ冷静に相手を観察する余裕もなくなっていたのだ。
そうでなければ、そう、ルナがどれだけニーナのことを大切に想っているか見抜いていればパーティーを解散しようなんて冗談でも言わなかっただろうから。
(ひゃっほー!! やったやった嬉しいですう!!)
ーーー☆ーーー
勇者ルナの名は大陸の歴史の中でも最も偉大な英雄として語り継がれることだろう。
魔王を討伐して人類を救ったことを始まりとして魔獣の大量発生による東の大国滅亡の危機を、次元の狭間から這い出てきた澱みが結晶化して生まれた怪物の群れによる侵攻を、高濃度の魔力が溜まった地脈に細工を施して大陸の三分の一を吹き飛ばして大量の死者の魂を堕ちた神格に捧げようとした邪神信仰集団の暗躍を、度重なる脅威の席巻によって防衛力が低下した国家の隙につけ込んだ犯罪組織による国家略奪計画を、五種の亜種族連合軍による侵略を、ビヌンラの予言書に記されし深淵に封じられていた脅威の復活を、降臨した大天使による救済という名の虐殺を、その他にも多くの危機をその拳一つで粉砕してみせたのだ。
ルナは誰もが認める勇者である。
だが当の本人は誰かに讃えられようものなら己の偉業を誇るでもなく当然のようにこう即答していた。
「あたしなんて大したことしてねーと思うですよ。ああでも、もしもあたしが褒められるようなことを出来ているってんなら、それは最高に大好きな相棒がずっと一緒にいてくれるからですね」
そして、いつだって勇者ルナの隣にいる女が照れくさそうに、それでいて幸せそうに微笑むまでが定番となっていた。