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高女・来襲

 光香ちゃんに送られて帰宅した僕を、美鳥ちゃんが居間でテレビを見ながら、

「おかえりぃ」

 と迎えてくれた。

「不審者、見つかった?」

「いや、今日は出てこなかったよ」

「そっかぁ」

 そのまま、僕らは居間でくつろいでいたが、不意に、美鳥ちゃんのスマートフォンが鳴り出す。

「あれ? 知らない番号、誰だろ」

 言いながら、美鳥ちゃんは電話に出る。

「……へ? ていうかあなた、誰? あ、こないだの秋間さん? なんでこの番号を──潤也? 来てないよ。 いや、ほんと来ていないって。来るわけないでしょ、別れてるのに。──ねぇ、落ち着いて。今、どこにいるの? ……は? 私んちの前?」

 美鳥ちゃんの声が、だんだんと焦ったものになる。

「美鳥ちゃん、貸して」

 ただごとじゃないと感じて、僕は美鳥ちゃんからスマートフォンを奪い取った。

「もしもし? 秋間さん? 美鳥ちゃんは、今、僕と一緒に僕の家にいるよ。潤也くんは、ここにはいない」

 僕の言葉の後、しばらくの沈黙があった。そして、かすれた声でつぶやかれた言葉は、ひどく聞き取りにくかったが、こう聞こえた。

「……恨めしい」

 チリ、と耳が痛んだ。それはごく微かだが、声に込められた呪力の余波だった。そして、電話はプツリと切れた。僕は、『通話を終了しました』という表示を見つめて、眉をひそめる。

 美鳥ちゃんも、不安そうな顔をしていた。

「潤也の携帯を盗み見て、私の番号を調べたらしいんだけど。大丈夫かな、秋間さん。尋常じゃない様子だったけど──幸ちゃん?」

 僕はしばらく目を閉じて、周囲の探索に集中した。近づいてくる呪力がある。潤也が僕の家を知っているとは思えないから、先程の通話で、『通じて』しまったせいで、居場所がバレたのか。

「……美鳥ちゃん。ちょっと、僕と一緒に、二階に行ってほしい」

「え? う、うん。いいけど」

 二階に上がった僕は、使っていない座敷の襖を開き、カーテンを全開にして、窓も開け放った。月の光が座敷をぼんやりと照らして、冷たい夜気が頬を撫ぜる。

 僕は美鳥ちゃんに向き直った。いつになく真剣な表情をした僕に何を感じたのか、美鳥ちゃんも緊張した顔になる。

「美鳥ちゃん。ちょっとだけ、ごめん」

「えっ!? あ、あの、幸ちゃん!?」

 僕はさっき光香ちゃんにしたように、美鳥ちゃんをぎゅっと抱きしめた。華奢な身体。光香ちゃんとはまた違う匂い。幼い頃から知っている、懐かしい──とても安心する匂い。

 先程の光香ちゃんのときと違うのは、僕の脈拍が、明らかに早くなっていること。──早く来てほしい。でなきゃ、僕が保たないかもしれない。

 だが、その時は、まもなく訪れた。

「あの……幸ちゃ、ぶっ」

 僕は美鳥ちゃんの後頭部を引き寄せ、その顔を僕の胸に押し付けて、『それ』が見えないようにした。窓の外、二ヘラと笑って家の中を覗き込む、高女。

『恨めしい』

 高女は、愉しげな笑顔を浮かべながら、そう告げる。

『幸せな男女が恨めしい。浮気なあの人が恨めしい』

 僕は前髪を掻き上げ、『呪眼』を発動させる。

 ──退去せよ。

 僕は声を出さず、そう呟く。

 ──退去せよ、退去せよ、退去せよ。

 美鳥ちゃんに気づかれないよう、呪言を唱えられないのが、なかなかの難題だ。高女は、開け放った窓の中に、その首を突っ込もうとする。

 その時、僕は、『呪眼』と、正太郎じいちゃんがこの家に張った結界を同調させる。

 ──侵入者を許すな。焼き尽くせ!

 途端に、高女は蒼い炎に取り囲まれる。だが、長く伸びた身体をくねらせ、必死に抵抗する。術の反動が、僕の身体を襲った。

 ──っ、やっぱり呪言なしでは無理か──っ!?

 そう思った時だった。二羽の小さな鳥──卯月のくれた折り鶴が、羽根を広げて高女に襲いかかり、嘴でつつく。高女は悲鳴を上げた。

 あとひと押し。そう判断した僕は、身体の内の呪力を高める。呪眼が焼けるように痛むが、ここが正念場。──この際、多少の反動は覚悟の上。この手の中の温もりを、守るためならば。

 まるで、腕の中の美鳥ちゃんの体温が、僕の痛みを吸い取ってくれるかのような、そんな気すらした。

 高女は断末魔の声を上げて崩れ落ちた。その顔は、やはり笑顔のままだった。

 僕は美鳥ちゃんの肩を掴んで、彼女の身体を僕から離した。美鳥ちゃんの顔は、なぜか真っ赤になっている。

「幸ちゃん、その……」

「ごめん。えーと、その、ちょっと、こうしたかっただけだから」

「──!」

 僕の苦しい言い訳に、口をパクパク開閉させる美鳥ちゃんに構わず、僕は窓とカーテンを閉めた。

 そういえば、とズボンのポケットに仕込んでいた人形を確認する。新しく買った紅玉製のそれは傷一つ入っていなかった。

 はて──呪言もなく、相当な呪力を使ったと思ったが。僕は首を捻るが、それ以上は考えなかった。

 腕の古傷が、微かに痛んだ。


 翌日。僕は、先日美鳥ちゃんと卯月と来たカフェにいた。そう時間が経たないうちに、待ち人は現れた。秋間まゆかだ。

 昨日、美鳥ちゃんのスマートフォンに着信があった時、携帯電話番号を見て覚えておいて、今日、呼び出しの電話をかけたのだ。

 彼女は僕の向かいに座ると、開口一番言った。

「前髪、上げてもらえません?」

「え?」

「ダサいやつと同席してると思われたら嫌なんで」

 結構──いや、かなりショックだったが、僕は前髪を撫であげて、秋間さんに渡されたピンで止めた。秋間さんは満足そうに笑う。

「よかった。これで、イケメン連れてる女として見てもらえます」

 誰に、と思う。カフェの人たちは、みんな、目の前のスイーツと自分たちの話に夢中で、部屋の隅にいる僕らなんか、誰も見ていないように思うのだが。

「──ほら、潤也くんも、けっこうイケメンじゃないですか。だから私、付き合えることになった時、嬉しくて。しかも、あの美人で有名な羽島美鳥さんから、潤也くんを奪えたんですよ? 化粧を落としたら十人並み以下の、この私が。もう、優越感でいっぱいっていうか」

 まだ僕が質問してもいないのに、秋間さんは話し出す。

「なのに、どうして、幸せになれないんでしょうねぇ」

 彼女が語ったところによると、大学の構内を歩いていると、たまたま、校舎の二階の窓際で、他の女の子とキスしている潤也を見てしまったらしい。問い詰めてものらりくらり躱されて、しまいには、露骨に鬱陶しがられるようになった。

「きっと、私がブスだから、だめなんです。もっと美人だったら、幸せになれたはずなのに」

 そんな彼女の思いが、高女──醜い姿で異性に愛されなかった妖怪の姿を取って生霊と成り、恋人の浮気を見てしまった『校舎の二階』にただならぬ執着を持ってしまったのだろう。

「僕の目には、秋間さんは可愛く見えるよ。ブスなんかじゃない」

 それは僕の本心だった。たとえ、それが化粧で作られた美だとしても、それは彼女の努力の結晶じゃないか。

「潤也くん、美鳥ちゃんと付き合ってたときも、浮気ばっかりだったよ。僕、よく愚痴られてた。そういうやつなんだよ。君のせいじゃない」

 だからあんな男、やめた方がいいよ。──という意味を込めて言ったのだが、秋間さんは、唇の端を吊り上げて、意地の悪い笑みを浮かべた。

「ああ、恋愛相談にかこつけて──ってやつですね。古い手。土門さん、そうやってキープされてたんだ」

「へ?」

 よく意味が分からなくて首をかしげると、秋間さんは吐き捨てるように言った。

「そんな男より、僕の方がいいだろうって、言わせるための手だってことです。まんまとひっかかっちゃったんですね」

 秋間さんの目には、今や怒りが爛々と燃えていた。

「なにがいいんですか、あんな尻軽女。次々男を引っ変えて。それ全部、土門さんの気を引くためで。潤也くんのことだって、弄ばれてるふりして、本当は弄んでたんです。本当に好きな人が、他にいたくせに」

「秋間さん──」

 何を、と言おうとした時、僕の隣に腰掛けた人がいた。

 凛とした横顔。まっすぐな眼差し。それは、美鳥ちゃんだった。美鳥ちゃんは、その紅い唇を開く。

「そうね、そのとおりよ」

 美鳥ちゃんは言う。

「関係を壊すのが怖くて、だから相手から求めてほしくて、誠実な相手とは申し訳なくて付き合えないから、いつもクズ男ばっかり。でも、そんな自分が一番最低で最悪で──おじいちゃんがこんなことになるまで、勇気も出せなかった」

 美鳥ちゃんの手が、秋間さんの手を取った。秋間さんは抵抗せず、その手を見下ろしていた。

「だから、あなたは、私みたいにならないで。自分が一番幸せになれる方法は、自分が一番知ってるはず。他の誰の賞賛も必要ない。自分の心の声に従って」

 美鳥ちゃんの手の甲に、秋間さんの涙が、ぽたりと落ちた。


 その後の秋間さんと潤也に何があったのか、僕は知らない。でも、ある日構内で見かけた秋間さんは、髪を短く切り、薄く化粧した顔で、満面の笑顔を浮かべて、女友達と一緒に歩いていた。

 だからきっと、二度と高女は大学に現れない。それで良いのだと思う。

 そして僕は──間違いなく、美鳥ちゃんの想いを教えられたはずの僕は、それについて、まだ何の返事もできずにいる。

 僕は何も決められない。自分の将来のことも、美鳥ちゃんのことも。

 そんな僕こそが、最低最悪なクズ男だと、自分でそう分かっていながら。


 そんなある日の、やはり光香ちゃんを交えた夕食時。今日の献立は、ハンバーグと温野菜サラダだ。大皿じゃなく、各自の皿に取り分けているから、争いも起こらず、和やかに食事は進んでいた。

 美鳥ちゃんが爆弾発言をするまでは。

「そういえば、幸ちゃん。私、近所の人に言われちゃった。『夜中とはいえ、カーテン全開で抱きしめ合うなんて、大胆ね』って」

 僕は、危うく口にしていたコーンクリームスープを吹き出すところだった。まさかあれを、近所の人に目撃されていたとは。

 美鳥ちゃんは光香ちゃんに向けて、勝ち誇った笑みを向ける。光香ちゃんはわなわなと箸を震わせていたが、やがて、青ざめたまま、フフンと笑った。

「私もこないだ、先輩に、ぎゅーって抱きしめられちゃいましたよ。……仕事上の出来事ですけど……」

 嘘がつけないのが光香ちゃんのいいところだ。それでも、美鳥ちゃんは眼光を鋭くして、僕を睨んだ。

「あぁら、仕事上のトラブルか何か? 私には、『僕がこうしたかったんだ』って言ってくれたわね、幸ちゃん?」

「あ、うん。まぁ」

「先輩! ホントはなにか、嫌々な事情があったんですよね!?」

「いや、なんていうか、まぁ」

「幸ちゃん!」

「先輩!」

 僕が一番平和になれる方法を、誰か教えてください。

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