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予期せぬ邂逅

 忘れられない記憶がある。

 金木犀の香る、秋の日だった。朝からしとしとと降る雨が、庭を濡らしていた。

 黄色の装束を身に着け、背に魔除けの弓矢を負った祖父が、まだ高校生になったばかりだった僕に、やけに重々しい口調で言った。

「幸太郎。──これから、『土門』一族の仕事がある。おまえも、後学のために見ておいた方がいいだろう」

 普段とは違う祖父の様子に戸惑いはしたけれど、妖怪退治人の仕事には、すでに何度か同行していた。だから、僕は軽い気持ちで頷いたのだ。

 僕もまた、黄色い装束を着せられ、魔除けの弓矢を背負った。

「離れた場所から、遠見の術で見ているだけでいい。だが、決して油断はするな」

 と祖父から何度も言い含められた。

 そして、その日の狩りは始まった。僕は人気のないビルの屋上に陣取って、傘を差し、遠見の術を使って祖父の挙動を見つめていた。

 祖父は一軒の古びた家に近づき、そして、腕を振り上げると、一枚の紙片を玄関に投げつけた。その紙は瞬く間に巨大な猪の姿になり、その古びた家の玄関を粉砕して、家の中に突っ込んだ。悲鳴が上がる。

 中から男が飛び出してきた。黒尽くめの格好をした、筋肉質の男。男は祖父に掴みかかろうとして、その瞬間、その両腕が、どろりと溶けた。男の全身が、まるで、酸を浴びたように焼けていく。祖父は何もしていない──ように見える。だが、確実に何かしているのだ。たとえば、黒尽くめの男の周囲だけ、雨粒を酸に変えるなどということを。

 男は家を振り返った。声は聞こえなかったが、その口の動きで、逃げろ、と叫んだのが分かった。まだ家の中にいる誰かに、逃げろと。

 だが、それは叶わなかった。祖父の結界は、すでに、強固に家を覆っていた。誰もそこから逃げることは叶わない。男の顔が、絶望に染まる。そして、もはや手足も溶けてなくなった身で、憤怒の形相で祖父を見やる。顔の皮膚は溶け、見る影もなく焼けただれて、それでも男は歯を剥いて唸った。

「決して許さんぞ、『土門』──!」

 男がそう叫んだその瞬間、僕は遠見の術を切って、その場にへたり込んだ。ビルの屋上に溜まった水が、冷たく尻を濡らした。

 祖父が迎えに来るまで、いつまでそうして尻もちをついていただろう。

 祖父は僕の手を引いて立ち上らせ、無表情で言った。

「あの男は、呪術を使って何人も人を殺していた」

「……だからって」

 だからって、殺してもいいのか。僕はそう聞きたかったんだと思う。でも、唇が震えて声にならなかった。

「呪術による殺人は、法では裁けない。だから、協会が決定し、『土門』が執行する。それが、古くからの習わしだ」

 それが、僕がこの先も妖怪退治人として、『土門』として生きる先にあるものなのだと、その時理解した。そこから逃げることが許されるのか、聞いたことはない。逃げられないと聞くのが怖かった。

 ──そして、己の血に受け継がれた穢れを知り、それに幼馴染を巻き込むことは決して許されないのだと、自分の想いに一線を引いた、そんな日だった。

 その日、死んだのが鬼森龍彦。捕らえられたのが、鬼森虎丸と鬼森卯月。虎丸と卯月は、龍彦に協力はしていたものの、まだ人を殺してはいなかったことから、協会の施設で監禁処分の上、更生教育が施されると聞いた。

 そんな虎丸と卯月が釈放され、当然、『土門』への復讐を企てているわけだが──。


「結構平和ですよねぇ」

 と光香ちゃんが言った通り、鬼森三兄妹の二人が襲撃してくるということはなかった。虎丸が言っていたとおり、協会に施された種々の制約が、二人を縛っているのだろう。

 そんなわけで僕は実に平和な毎日を──送ってはいなかった。毎日のように僕を迎えに来る光香ちゃんと、それを迎える美鳥ちゃんの睨み合いは、日々激しさを増し、間に挟まれた僕は、もう胃薬が手放せない身体になってしまった。

 家では美鳥ちゃんが光香ちゃんのことをやたら聞いてくるし、仕事場では、逆に光香ちゃんが美鳥ちゃんのことをしつこく聞いてくる。

 心が休まるのは大学だけだ──と僕は昼休憩、コンビニパンの食事をさっさと終えて、大学の中庭のベンチに座り、ボケッと噴水を眺めていた。

 が、そこに心休まらないものを見つけてしまって、僕は硬直した。

 中庭の、噴水を挟んで向こう側のベンチ。そこに、鬼森卯月がいた。今日は一人で、白い袖なしのワンピースを着ている。キョロキョロと辺りを見回しているのは、大学が珍しいのだろうか。

 ──幸いこっちに気づいた様子はない。さっさと逃げてしまおうと、僕はベンチから立ち上がろうとする。が、ちょうどその時、卯月に近づく人影を見てしまった。

 最初は鬼森虎丸かと思ったが、まったくの別人だ。その男は、どうやら卯月の知り合いというわけでもないらしく、卯月は困惑した様子だ。

「……お兄ちゃんを待ってるだけですから」

「いい子で待ってて偉いねぇ。じゃ、お兄ちゃんが帰ってくるまで、アイスでも食べようよ。奢ってあげるから」

 そんな会話が聞こえる。とうとう、男が卯月の腕を掴んだ。無理矢理に引っ張っていこうとしている。

 ──これ、ヤバいんじゃない?

 卯月の目の奥、青い炎がひらめくのが分かる。呪術を使おうとしているのだ。が、すぐに卯月の両腕いっぱいに鎖の紋様が浮かび上がり、卯月は痛みに顔をしかめ、目の奥の炎は消えた。これが、協会が鬼森兄弟に施した制約というやつだろう。一般人に危害を加えられないようにされているのだ。が、今、一般人の方が卯月に危害を加えようとしている。

 僕は──さすがに、黙って逃げるわけにはいかなかった。卯月と男に歩み寄り、男の手を掴んで、卯月から離させる。

「い、い、い、嫌がってるじゃないか」

 声も足も震えてしまい、いまいち格好がつかない。妖怪相手ならなんともないんだけど、人に対峙するのは苦手だ。人から害意を向けられるかも知れないと思うだけで、怖くてたまらない。

 果たして男は、不愉快そうに眉をひそめて僕を睨んだ。

「なんだよ、おまえ。俺はただ、この子にアイス奢ってやろうとしただけだろ? 口出してくんなよ」

 ああ、嫌だ。こんなどうしようもない変質者の、どうしようもない逆ギレですら、僕を切り刻む。お前は所詮、人から悪意を向けられるのがお似合いの人間なんだよ、と伝えてくる。

 呪術を使って撃退すべきなんだろう。でも、身体が動かない。

 その時だった。

「は? なに? これ、どういう状況?」

 剣呑な気配に満ちたその声は、背後から。振り向けば、鬼森虎丸が、眼光だけで人を殺せそうな形相で、僕と男を見比べていた。虎丸は汚れた作業服を着ている。そういえば、今日は旧校舎の解体作業をやっているはずだった。意外と真面目に解体業の仕事もやっているのかもしれない。

 卯月が虎丸に駆け寄って、白いワンピースが汚れるのも構わず、虎丸の足に縋り付いた。

「虎丸。あの人が、卯月を無理やり連れて行こうとしたの。こっちの人は、助けてくれようとしたんだよ」

「へぇ……」

 虎丸は男の方に歩み寄ると、その襟首を掴み上げた。どうやら、協会の制約は、一般人への物理的な暴力までは制限していないらしい。ちょっと手落ちじゃないかな。

 虎丸はニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。目がまったく笑っていない。その笑顔を向けられた男は、

「ひぃぃっ」

 と声を上げ、顔は青ざめ、全身震えている。正直気持ちは分かる。

「俺の妹に、何してくれちゃってんの? どういうつもりだよ、おいコラ」

「た、助けてください許してください、ごめんなさい本当にすみません二度としません!!」

 男は必死に命乞いをする。正直怪しいと思う。この手の男は、懲りるということを知らず、今回は運が悪かったのだとばかりに同じことをするんじゃないかな。

 虎丸もそう思ったのか、

「誰が許すか!」

 と男の顔面を思い切りぶん殴った。次いで、地面に倒れた男の顔を蹴り上げ、その腹を踏みつける。ガン、ガン、ゲシ、ゲシ、と重い音が続く。

 耐えきれず、僕は叫んだ。

「あのっ」

 虎丸が男を蹴る足を止めて、僕を見る。

「や、や、やめてください。死んじゃいます。あなたが殺人罪で逮捕されたら、妹さんはどうなるんですか……!」

 虎丸は、足を震わせながら必死に言い募る僕を見て、そして、男に目をやる。

 ゲシっとその腹を一蹴りして、それで虎丸は男への暴力をやめた。そして、僕に歩み寄ってくる。僕の肩をポンポンと叩いて、意外と人好きのする笑顔でニッと笑う。が、さっき見せた暴力の後では、ただ怖いだけだった。

「おい、妹を助けてくれてありがとな。──おまえ、名前は?」

「え? あ、そ、その……幸太郎」

 土門、というわけにもいかず、僕は名前だけ答える。そうしたら、虎丸は腹を抱えて笑った。

「普通、名前だけ名乗るかよ。おっかしいな、おまえ。ブルブル震えてるくせに、妙な度胸がありやがるし。──俺は虎丸。こっちは卯月だ。そんで、悪いんだけどよ、幸太郎。俺の仕事が終わるまで、卯月を預かってくれね?」

「は?」

 目を見開いたまま、二の句が告げずにいる僕に、虎丸は勝手に話を進める。

「もう休憩時間終わるんだよ。今後は卯月に隠身と護法の術かけとくけど、今日は時間ねぇや。おまえなら信用できそうだし。俺の仕事終わり、五時ね。五時にここで待ち合わせってことで」

「ちょ、僕、授業があるんですけど、五時半まで」

「じゃ、五時半にここで。じゃあな、よろしく頼むぜ!」

 虎丸は、僕の背をバシンと叩き(痛かった)、有無を言わせず卯月を押し付けると、手を振りながら去っていった。

 僕はそれを、呆然と見送り、次いで、目線を下に下ろした。そこには卯月が、あどけない表情で僕を見上げていて──僕はますます、途方にくれたのだった。

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