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 後にイルダナーハと名付けることになる赤子を拾ったのは、今から二〇年余り前のことだ。邪神を崇拝する邪教が大陸の南部で大流行し、帝国を守る剣としてルーグは騎士団を率いて討伐に向かった。最終的に顕現しかけた“邪神”を魔界へと送還し、邪教を解体することに成功したのだが、その彼岸は甚大と言うしかない。南部の都市の二つが亡者と悪霊の巣窟と化し、巨大な森の一部が不毛と化した。邪神の召喚された廃城には万を超える死が溢れ返っていた。

 そんな現世の地獄でルーグとその部下以外の生存者がイルダナーハだった。邪神を呼び出す為の生贄の一人であった聖女の落とし後だ。忌み児やら呪い児と部下達は恐れたが、その怯えがあまりにも滑稽で、そしてあまりにも赤子が哀れで、ルーグはその子供を拾って育て上げることを決めた。

 ルーグが今まで一度もしたことのなかった素振りを始めたのはこの頃のことだ。

 未婚故に子育てなどしたことのないルーグだったが、イルダナーハはすくすくと育った。浮浪児だったルーグの杜撰な子育て理論に、部下達が一々世話を焼いてくれたことが大きいだろう。最初は気味悪がっていたのに、接している内に情が湧いたらしい。単純な奴等だとイルダナーハは笑った。


「親父殿。剣を教えてください」


 イルダナーハがそう言い出したのは三歳になって半年程経った頃だ。本当は『パパ』と呼ばせたかったのだが、部下達が『親父』『親父殿』『旦那』『大将』と呼ぶものだから、まったく浸透しなかった。


「そりゃまたどうしてだ?」


 この頃には既にイルダナーハの魔術に対する適性は判明していた。魔術師になれば歴史に名を残すであろう潜在能力を秘めているらしく、騎士団の中では誰が家庭教師になるかで揉め、日夜決闘騒ぎで喧しかったのを覚えている。

 ルーグとしても、才能があるならば魔術師になれば良いと考えていたので、今回のイルダナーハのお願いは想定外のものであった。将来のことを考えれば、断った方が良いだろう。内心でどうやって断ろうかと考えていたのだが――


「ぼくは、親父みたいな剣士になるんだ」


 ――その一言が堪らなく嬉しかったので、ずっと練習していた素振りをその場で教える。もっとも軽い訓練用の木剣も満足に振れずに泣き出した息子が堪らなく愛おしかった。


「かか。泣くな。子供用の剣を今度、カレナに造らせよう」

「カレナお姉ちゃんに?」

「…………あいつ、三十二にもなってガキにお姉ちゃんとか呼ばせてんのか。引くわ」

「ぼくも沢山練習すれば、親父殿みたいに強くなれる?」

「ああ。俺の次には強くなれるさ」


 それは明確な嘘だった。ルーグは素振りなんて非実戦的な練習をしたことはルーグを拾うまで一度もない。一〇歳の時に飯に釣られて兵士になってから、ずっと実戦の中だけで鍛えて来た。ルーグを拾ってからは熱心に素振りをするようになったが、正にこの瞬間の為であり、別に強くなる為ではない。


「どれくらいで親父の次になれる!?」

「毎日続けてれば、二〇年くらいだ」


 完全に適当な数字だった。が、イルダナーハは納得したようで「がんばる」と笑った。

 その言葉の通りにイルダナーハは飽きることなく、雨の日も雪の日も剣を振り続けた。

 ただ、十年もすれば天井が見えて来る。身体が出来あがり始めると、体格や闘気の質と量で周囲との差が広がり、イルダナーハは剣士として平均的な存在になった。

 聡い少年はそのことに気が付くと、訓練を魔術中心の物へとシフトし始める。一抹の寂しさを覚えながらもルーグはその判断を褒め、申し訳なさそうな息子の頭を撫でて笑った。

 更に時は流れ、一六になったイルダナーハは学術都市アルカニアの研究機関に勤めることになった。高名な教授の元に付いて教えを受け、後々は自分の研究室を持つのだと楽しそうに語る息子と同じくらいルーグはそれを喜んだ。

 学者になることに、一抹の反対もなかった。息子が何時死ぬかもわからない軍に入るなどと言い出したら、そちらこそ許さなかっただろう。


「イルダナーハ。祝だ、受け取れ」


 息子が旅立つ前夜、ルーグは成人祝いも兼ねて一本のナイフを渡す。


「杖でなくて悪いな。どうしても、俺のコネは鍛冶方面に強くてな。その代わり、品質は保証する。亜龍の類であれば鱗を何度貫いても平気だろう」

「親父。ありがと。それと、ごめん」

「あ? 何を謝ってんだ? 寝小便が中々治らないことか? 庭木を切り刻んだことか? それとも、お母さんが欲しいって駄々を捏ねたことか?」

「それは子供の時の話だろ?」


 今も十分子供だ。と、ルーグは言わなかった。


「俺、親父みたいな剣士になれなかった」

「かか。それこそ、子供の時の話だ。イルダナーハ。俺が強過ぎるだけで、お前が気に病むことじゃあない。まあ、少し残念ではあるがな。最近、剣は振ってるか?」

「知ってる癖に。振ってるよ。素振りだけは、続けてる」

「親孝行にはそれだけで十分だ」

「そっか。じゃあ、あっちに行っても素振りだけは続けるよ。そうすれば、あの一振りだけでも親父に近づけるかな?」

「そう言う可能性もあるかもな」

「はは。じゃあ、続けてみるよ」

「お? 言ったな? じゃあ、次に会った時、俺がその成果を見てやろう。サボっていたら一発でわかるからな? なんて言っても、俺は剣帝だからな」

「怖いなぁ」


 そんな話の後、親子は下らない会話を夜更けまで続けた。

 その後、元々臥せがちだった皇帝の崩御を切っ掛けに、国内の情勢は一変することになる。長年戦いに戦いを続けて勝ち取った筈の平和は、戦争を知らない王子・王女達の強欲に塗れた。命を数字としか考えない宮廷貴族達がその助勢を行い、民草は飢え、反乱や一揆が多発し、魔物が跋扈し、邪教がはびこり、大陸中が混沌のどん底へと転がって行く。

 全ての兄弟を殺して血塗れの玉座に皇帝が座してもそれは変わらなかった。

 凡愚と言うのは、無能な癖に貪ることだけは得意で嫌になる。

 ルーグが皇帝を斬ろうと思った回数は一度や二度ではない。既に、彼が敬愛した先々代皇帝の意志は、現皇帝には微塵も残っていないのだから。だが、既に全盛期を過ぎ、剣帝と言う称号以外の実権を奪われたルーグが謀反を起こした所で混沌は加速するだけだ。

 嘗ての自分達のような英雄をルーグはただ待った。

 そして今日、乱世が生んだ英雄達と対峙する。

 どいつもこいつも若く、未熟で、未完成で、目も当てられない。

 だが、血沸き肉踊る闘争でもあった。

 一つの目標に向かって我武者羅に突き進むその姿は、かくも美しい物か。

 そして、その中にイルダナーハがいる。

 あの小さかった息子が、自分を越えようと剣を握り締めて歯を食い縛っている。

 それが堪らなく嬉しい。

 たった一振りに全てを賭ける息子を、ルーグは歓喜と共に迎え撃つ。

 交錯は一瞬。

 二本の剣が銀閃を描いてぶつかり、凄まじい衝撃と轟音が帝都中を一瞬で駆け抜けた。


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