承
戦いは熾烈を極めた。少なくとも、四人にとってはそうだった。瞬きすら許されない全力疾走を何度も繰り返し、形振りも構わずに、周囲の被害も厭わずに、陣形を組み、呼吸を揃え、持てる力の全てを振り絞ってルーグへと剣を、拳を、魔術を放つ。
ルーグはそれを一人で捌き、時に攻め込み、確実に四人を追い詰める。
満身創痍の若者四人と高齢の為か若干域を荒げる剣帝との勝負は、何とか互角と呼べるだろうか? 全盛のルーグが相手であれば、とっくに四人は斬り殺されているに違いない。
それでも、四人は必死に食らいつく。
「四素三界!」
杖で空中に魔方陣を描いたイルダナーハが放つは火・水・風・土の四大元素を、天界・魔界・現界の三界のそれぞれの特性を持たせた一二の刃を放つと言う、先の龍の腕に負けず劣らずの大魔術だ。
が、
「アルカニアの秘匿魔術はこの程度か!?」
ルーグの足止めすら適わない。ゆっくりとイルダナーハへと歩み寄りながら、飛ぶ虫を払うように右手に握った剣で一二の斬撃を切り落として行く。何の変哲もない鋼の剣も、ルーグにかかれば全てを断つ魔剣と化す。
大魔術と魔刃がぶつかり颶風が荒巻く。常人ではただ立つのも難しい魔境と化した宮殿前広場を駆ける影が一つ。
破戒僧ダモンだ。
「ジジイ! いい加減くたばれ!」
「この程度で俺の前に立つとは――」
荒れ狂う斬撃の嵐をくぐり抜けたダモンが繰り出した正拳突きを、ルーグはこともなさげに左手で受け止めて一喝。その場に剣を突き刺して開いた手で拳を握り――
「――蒙昧極まるぞ! 破戒僧!」
――震脚。踏みつけたレンガ張りの地面が砕け、その力を存分に伝えたルーグの拳がダモンの鳩尾を殴り付ける。
「がっ!?」
人を打ったとは思えない鈍い音と共に、ダモンの口から血が混じった唾液が吹き零しながら水平に吹き飛んで行く。元暗殺者にして破戒僧ダモン。四人の中では一番とうがたっており、近接格闘においては無類の強さと経験を持っているはずだが、ルーグが相手では分が悪い。
だからこそ、四人は力を合わせて戦う必要がある。一人でも欠ければ直ぐ様に形勢はルーグへと傾き、ゲームセットだ。
「癒しを!」
吹き飛ぶダモンを視線で追って、すかさずサクラが癒しの魔術を放つ。
黄金の林檎と呼ばれる特殊な金が実る霊樹を守るエルフの一族の姫である彼女は、精霊を介した補助や回復魔術のエキスパートだ。狩りで鍛えた弓の腕も中々な物だが、戦いが始まって以降、その能力の全ては仲間達の回復へと割り振られていた。ルーグの攻撃はそれだけ過激で油断がならない。また、そうしてサクラを治療に専念させることで、ルーグは手数を減らしてより攻めやすい状況を維持し続けているようだ。
無論、回復に集中するサクラを落としやすくしていると言う面も強い。今まではその彼女を守るために誰かしらがカバーに入る必要があったのだが、今回は少し状況が違う。
ダモンを殴る際に剣を手放したルーグは今、丸腰だ。
ならば、とシャムシールはサクラの補佐ではなく攻撃へと転じた。シャムシール・エ・ゾモロドネガルは帝国に滅ぼされた王国の末裔であり、同じような境遇の者達をまとめて打倒帝国のために立ち上がった解放軍の象徴である。幼い頃から帝国に勝つ為に様々な教育を受けて育ったエリートであり、これまでの道中で幾つもの勝利を積み重ねて来た。
その自信と共にルーグへと強く踏み込む。
「素直で読みやすい奴だ」
が、その勝利の記憶が仇となった。ルーグは振り下ろされる宝剣の一撃を手甲で流す。金属同士の衝突音はまったくならず、シャムシールの手にも何かを斬った感触は伝わって来ない。力が全て逸らされたのだ。今までの打ち合いでは見なかった繊細なその業に、鋭い刃の一撃はするりと逸らされ地面へと落ちる。
「はっ!」
ルーグはそのまま反対の手でシャムシールの髪の毛を掴んで自由を封じると、躊躇なく右膝を整った顔へとぶつけた。
「がっ!?」
骨の砕ける嫌な音が耳朶を叩く。
「シャム!」
シャムシールの名を叫びながらサクラは逡巡する。治すべきはダモンか? それともシャムシールか? シャムシールを今治療した所で、直ぐ様次の一撃を喰らうだけだろう。だがダモンを直したとしても、シャムシールの救援が間に合うとは考えにくい。
どちらを救うべきか?
或いは、どちらを見捨てるべきか?
「悩めば、破れる」
その躊躇を見抜くが早いか、ルーグはシ懐からナイフを三本取り出すとサクラへと飛ばす。スローイングナイフと言えど、刃は刃。理に至ったルーグの投擲が狙いを外すことはあり得ない。
「かふっ?」
エルフらしい細い体を守る革鎧の上から、三本のナイフがサクラの身体を貫く。感じるのは痛みよりも熱さと苦悶。何らかの臓器が裂けたのだろう、今すぐに死ぬことはないが、これで治療先の選択肢は三つ。悩ましい選択だ。
いや。もう悩む必要はないか。
地面へとシャムシールの頭を叩き付け、ルーグは剣を地面から引き抜く。
終わりだ。
死にぞこないが三人。最早勝負になるわけもない。
「イルダハーナ!」
ただ一人残った義理の息子の名前をルーグは叫ぶ。
「その程度か? 俺一人を超えられぬようでは! 解放は! 救国は! 夢のまた夢ぞ!」
対して、イルダハーナの返事は蹴撃。いつの間にかルーグの背後に回っていたイルダハーナのハイキックを「ほう。闘魔合一か」と、少しだけ興味深そうに剣帝は手にした剣の腹で受ける。今まで一度も崩れることがなかったルーグの体勢が、僅かに揺らいだ。
その秘密は一目瞭然。イルダナーハが纏うオーラの量が膨れ上がっているのだ。そして、ありえないことに、それは魔気と闘気の特徴を両立していた。
生命力である闘気と、世界を改変する魔気は相成れない存在であり、同時に扱えば互いに反発して無駄に消耗されてしまうと言うのは子供でも知っている常識だ。が、その衝突の際に発生する反発の力をコントロールして利用する技術が存在する。
それこそが“魔闘合一”だ。
猛り爆ぜるその獰猛なオーラは、闘気・魔気を単独で使用するのとは次元の違う力を発揮する。その習得難易度は極めて高く、ルーグですら獲得しえなかった秘奥中の秘奥である。
「二十歳そこそこで、よくぞそこまで!」
目にも留まらぬ速度で周囲を飛び回るイルダナーハに、ニヤリとルーグは頬を緩める。人間の動体視力を超えて動く息子の姿に、しかし剣帝が危機感を覚えている様子はない。掛け声と共に剣を振り、続けざまに放たれるイルダナーハの攻撃と魔術を打ち払う姿は剣術を覚えたばかりの子供のように楽しそうだ。
「っく!?」
対してイルダナーハの表情は苦しい。闘気と魔気を同時にントロールするには膨大な集中を用いるし、本来は反発しあう力は使用者であるイルダナーハにも返って来る。それに加え、闘気と魔気も無限ではない。特に剣士としての道を諦めなくてはならなかったほど、イルダナーハの闘気は絶対量が低い。限られた時間ないで義父を超えなくてはならい重圧が心に焦りを産む。
「魔闘合一。幻の技と言われているが、俺は少なくとも四人の使用者を知っている。無論、全員斬った」
見えていないはずのイルダナーハの宝杖による攻撃を、ルーグはいともたやすく弾いて見せる。そして泳いだ息子のどてっぱらに、容赦のない前蹴りをすかさず突き出す。闘魔合一に至ったイルダナーハの防御能力をルーグの闘気が上回るなど本来ありえないのだが、効果は抜群だった。
親子の愛情を感じさせない必殺の蹴りにイルダナーハの身体がくの字に折れて吹き飛んでいく。
「がっ!?」
単純な肉体スペックの差が、絶対的な勝敗の差ではない。人間の上位種である龍も、精霊も、邪神も、帝国の前に立ち塞がった全てを斬ったからこそ、ルーグは最強であり、剣帝と呼ばれているのだ。
その実力差を覆すには、ただ肉体的に上回るだけではまったく足りていない。
「立て! イルダナーハ! このままでは仲間が死ぬぞ! よもや、この程度ではあるまいな!」
皇帝御用達の宝石店へと突っ込んで行った息子に、ルーグが吼える。
「だあああああ!」
応じ、イルダナーハの咆哮が轟き、荒れ狂うオーラが商店を吹き飛ばしながら立ち上がる。口と鼻から血を垂らしながらも両足で立つイルダナーハのオーラはその量を増しており、ルーグは怪訝そうに眉根を寄せる。が、息子の足元に転がるダモンの姿に納得した表情を見せる。
あの瀕死の破戒僧がイルダナーハへと闘気を渡したのだ。イルダナーハの闘魔合一は、歴戦のルーグですら見たことのない領域へと至っているが、熟達した武芸者であるダモンの闘気の殆どを受け取ったと考えれば不思議はない。
生命力である闘気の受け渡し自体は難しい物ではない。が、死にかけのダモンが、その殆ど全ての闘気を受け渡すと言うのは決死の覚悟が必要だったに違いない。
「意気や良し。が、根性で勝てるほど俺は甘くないぞ?」
しかし命を賭せば勝てるほど、最強は弱くない。
最後の力を振り絞るように燃え上がるイルダナーハを見ても、ルーグは自分の方が勝っている確信があった。
「イルダナーハ! 使え!」
そのイルダナーハに向かって一振りの剣が投げ込まれる。
宝剣クリカラ。揺ぎ無い世界の守護者が所持していたと言われる神代に鍛えられた仙剣七宝が一つ。今は亡きゾモロドネガルの権威を象徴する刃であり、その所持者は綺麗な顔が見る影もなく潰されたシャムシール・エ・ゾモロドネガル。
最早、まともに立つこともできないシャムシールは、自身の希望をイルダナーハに託すことにしたようだ。今のイルダナーハであれば、神代の剣の力をより発揮することが出来るだろう。
「七宝か。まだ、足りんな」
流石にあのレベルの武器となれば、闘気で強化したとは言え数打ちの軍の支給品では少々分が悪い。が、ルーグが自らの勝利を疑うには足りない。
あと一つ、或いは二つ、ルーグの予想を上回ることができなければ勝利は薄いだろう。
イルダナーハとて、それは重々承知。
「だが、行くぞ! 親父!」
しかし不利を悟りながらも、イルダナーハが飛び出す。
音すら置き去りに走る息子の姿は見えずとも、歴戦の戦士としての経験が叫んでいる。
馬鹿みたいに正面から向かって来る、と。
ならば正面から捻じ伏せるのが、最強の戦い方だ。
にやりと笑い、ルーグは剣を構えようとするが、上手く腕が上がらない。
見れば、足元から延びた植物の蔦がルーグの身体を這っている。植物――精霊の魔術、サクラだ。生死の狭間で若きエルフは治癒ではなく、イルダナーハの、自分達の勝利の為にルーグの動きを止めることに力を使ったようだ。
「見事。が、まだまだぁ!」
身体を捻って拘束を振り解きながらルーグは笑う。この一瞬の拘束は今のイルダナーハを相手取るには小さくはない。が、絶対でもない。まだ、強者であると言う自覚と共に剣帝は笑う。精々、五分に持ち込まれた程度のことであり、五分であるならば勝つのは剣帝たる自分であると言う自負があった。
剣帝として、一人の親として、剣を握った息子にだけは負けるわけにはいかない。
「だあああああ!」
果敢に剣を振りかぶり、獅子が如く吼える息子をみて剣帝は笑う。