第3話『目覚め』
区切るところに困って長くなってしまいました。
読み応えがあると捉えて頂ければ……w
何も見えない。音が聞こえる。硬い何かが体に触れている。何の匂いだろう。親しみ慣れたわけではないけれど、覚えのある、これは。
瞼を、開く。
そこは、森だった。
いや、単に木が見えたからという理由だけで森と判断するのは早いかも知れない。もしかすれば林かも知れないし、偶々偶然そこに一本の木が生えているだけかも知れない。尤も、森と林の明確な判断基準など、秋斗は知らないのだが。
今視界に映っているのは、たった一本の木。それも枯れた木だった。
瞼を開けた筈なのに、秋斗の視界は晴れなかった。どうも、何かを頭に被せられているらしい。今の秋斗から見える世界は、驚くほどに狭い。
寝かされていた――勝手に寝ていただけかも知れないが――上体を起こす。すると、かちゃかちゃと金属が擦れ合うような、否、事実金属が擦れ合う音が聞こえてきた。腰に巻くベルトの金具から発せられるような音では、決してない。そんな一部分から聞こえてくるものではなく、全身から、包み込むように聞こえてくる音。
――……。
そんな風に自分自身を誤魔化しても意味が無いことは、秋斗にも分かっていた。
だが、そうせざるを得なかった。
一体何処の誰が、素直に受け止められると言うのだろう。
鎧を着て、枯れた木の乱立する森に横たわっているという状況を。
何故、どうして。
そんなありきたりな言葉しか思い浮かばない程に秋斗は混乱していた。
最後の記憶は、自室でアポカリプスをプレイしていた時のもの。
そう。あの運営のメッセージ。一連の文章の意味は、何なのか。そしてそれは、今秋斗が置かれている状況と関係があるのか。
何にせよ、まずは状況を確認しなければ。
秋斗はいい加減邪魔になってきた兜を外すべく頭に触れるも、そもそも構造が分からない上、手にも籠手が着けられているようで、細かな作業は出来そうになかった。
まずは手を自由にする為、籠手から手を引き抜く。
日本で鎧を――それもゲームなどでよく見るような全身鎧を――着る機会などそうそうあるものではない。その為、ただ籠手を外すという行為を終えるのに一分程掛かってしまった。
何とか籠手を外し自由になった両手で、兜を掴む。
こちらは籠手よりも厳しかった。
どうも金具やベルトで留められているようなのだが、兜なのでその部分を目視で確認することが出来ない。何処をどう弄れば良いのか分からないので、手当たり次第に弄っていく。
地べたに座り鎧を着た大人が一人、がちゃがちゃと兜を弄っているその姿は、周囲から見れば中々に滑稽なものであろうが、秋斗にそんなことを気にしている余裕はない。
あまりの外せなさに若干の焦りを感じ始めてからおよそ五分。どうにか兜を脱ぐことに成功した秋斗だったが、その代わりに被っていた兜はそれぞれのパーツに分かれてしまい、何処が何処のパーツと繋がって兜の形を成していたのか分からなくなってしまった。自力でもう一度着用するのは不可能のように思える。
何はともあれ、無事兜を外し、充分な視界を確保した秋斗は周囲を見回す。
とはいえ、視界が広がったところで周囲の景色が変わるわけではない。目から入手出来る情報は兜を被っていた時と大して変わりはしなかった。
大して変わりはしなかったが、あくまで大してだ。新たな発見もあった。
一つは、ここはどうやら森だろうと確認出来たこと。
そしてもう一つ。
それは、秋斗の傍に落ちていた。
確実に1メートルは超えているであろう剣身。幅は30センチ程だろうか。およそ人が使用する物とは思えない黒塗りの大剣。
秋斗には、その大剣に心当たりがあった。
アポカリプスで秋斗――否、リウスがメインで使用していた武器。今目の前にある大剣のデザインはそれと酷似していた。
現実的に考えて、もっと小さい方が使いやすいように思うのだが、そこら辺はゲームならではと言ったところか。実用性などは二の次らしい。尤も、実際に使ったことがあるわけではないので確かなことは言えないが。少なくともアポカリプスの中では使いにくい部類に入る武器だった。
そして、今気が付いたことだが、剣だけでなく鎧も、リウスが使用していたものと同じように見える。多分、きっと、状況から察するに、紛れもなくリウスが使用していたものなのだろうが。
大剣に手を伸ばし、柄の部分を素手で握る。
光沢のある黒い剣身。実際に使用する武器というよりも、美術的な価値がある骨董品といった感じだ。綺麗に磨かれたそれは、素手で触れることに多少なりとも抵抗を感じる程には美しかった。
地面に座ったままの姿勢で、秋斗は大剣を持ち上げる。
剣がおかしいのか、それとも剣以外がおかしいのか。秋斗が予想していたよりも遥かにその大剣は軽く、そして容易く持ち上がった。
金属特有の光沢ではなく、おそらくは人工的に磨かれたが故の光沢。光を反射する剣身を覗き込むと、そこには見慣れた自分の顔があった。
パッと見て、日本人には見えない。だがそれは紛れもなく自分の、秋斗の顔だ。しかし、その顔には明らかに異質な部分、それは、不細工だとか醜いだとか、そういった類のものではない。
人の体にあるはずがないもの。あってはならないもの。人類の歴史をどれだけ遡っても、生来、頭から角の生えた人間はいなかっただろう。
耳の上辺りから前に向かってカーブを描きながら生える黒い角は、一見ヤギの角のようにも見える。
普通であれば違和感しかないのだろうが、血縁関係上、日本人より少し彫りの深い顔の秋斗には、思いの外似合っていた――いや、違和感がなかった、と言った方が正しいだろう。
とは言うものの、秋斗は、自分のこの顔があまり好きではなかった。
世間的には、秋斗の顔は好みこそあれど、整った部類に入るのだろう。しかし、それが理由で迫害、とは言わなくとも、感覚的には近しいことをされた秋斗としては、普通の、日本人の顔が良かったと思わずにはいられなかった。まぁ、思っただけだったが。
無邪気な差別、純粋な悪意ほど恐ろしいものはない。
今思えば、人格の形成にはそういった経験も影響しているのかもしれない。
だが、そんなことも全て、この状況では関係のないことだ。
鎧の所為か、座っているのが辛くなってきた秋斗は、いつもの癖で右足を使わずに立ち上がろうとする。だが、すぐにその必要がないことに気がついた。
「……動く。……まあ、今更か」
自宅から何処とも知れない森に移動していた上、リウスが使っていた鎧を着用し、付近にもアポカリプスで使用していた大剣が落ちていた。さらに頭から角まで生えているのだ。今更動かない筈の足が動くようになっていたところで、大した問題ではないだろう。
立ち上がり、これからどうするべきかを考える。
やはり早急に確認しなければならないのは、ここは何処なのか、ということだろう。
日本ならば良し、海外であっても許容範囲内といったところか。
だが……仮に日本や海外であった場合、それ以外のことに説明が付かない。
この際移動させられた方法は抜きに考えるにしても、着せられていた鎧。落ちていた大剣。生えた角。そして、動く右足。全てに説明が付かない。
この場合、多少強引にでも説明を付けるとするならば。運営の言っていた『実用に耐え得る』という言葉を考慮するならば。
「……リウスの体と装備を引き継いで、別の世界に転移した、ってところか」
勿論、もし本当に体を引き継いでいるのなら、何故リウスのアバターと同じ顔ではないのか、という疑問は残るが、角を考慮するとなると、そう考えざるを得ない。
そういえば、リウスには翼もあった筈だが。
思い出して、背中、というより腰の辺りに触れてみるが、そこには硬い鎧の感触しかない。アポカリプスでも、この装備の時は翼は外に出ていなかった。それはここでも同じなのだろう。
体に関しては後々確認するとして、だ。自分が置かれている状況を正しく確認しなければならばい。
場所の確認は現状しようがない。地球ではないだろうという予想は付くが、完全に否定する確証もない。
日付や時刻の確認もしたいが、それよりも優先すべきはこの森――と言うには些か木が枯れ過ぎているような気がしないでもないが――を抜けることだろうか。
今持っている物は、着ている鎧に外した籠手とバラバラになった兜。持ち運ぶには不便過ぎる大剣。
籠手は着用するにしても、兜と大剣は手で持っていかなければならない。両手が塞がり不便なことこの上なかった。
ゲームではアイテムボックスやメニュー画面があったのだが……。
と、秋斗が考えたその瞬間、一瞬、体の自由を奪われるような、外部から脳に直接干渉された感覚を受ける。
その感覚が消え去った頃には、秋斗は何故か、アイテムボックスとメニュー画面、そして、魔法とスキルの使用法を熟知していた。
「……メニュー」
半信半疑ながらに呟くと、見慣れたアポカリプスのメニュー画面が表示される。
装備確認、アイテム一覧、その他諸々の項目。
秋斗は真っ先にタッチパネル――というより、質量を持つホログラムと言った方が近いか――のようになっているそれを操作し、ログアウトのボタンがないか探す。が、所謂オプションの項目は、メニュー画面から消えていた。
ある程度予想していたことでもあった為、然して気を落とすこともなく、秋斗は続いてアイテムボックスの確認に移る。
空中に穴があり、そして、剣を持つ右手をその穴に入れるイメージ。
すると、剣と手首が空中に消える。手品でも見ているようだった。どうも魔法まであるらしいので、今更と言えば今更だが。
見えなくなった右手を開いて剣を手放すと、空中から手を引き抜く。手首は元に戻り、剣は無くなっていた。
今と逆の手順も行い、剣が取り出せることを確認する。どうやら取り出す場合は、取り出したい物を念じれば良いらしい。
剣をしまうのと同じ方法で兜もアイテムボックスに仕舞う。
「四次元ポケット、みたいなものか」
便利なものである。
もしこのアイテムボックスがアポカリプスのものと同じであれば、中には秋斗がこれまで集めた武具やアイテムが山程入っているはずだ。
食料、という曖昧なものを想像し、空中に右手を差し込む。何かを掴んで取り出すと、右手には楕円形のコッペパンのような物――というよりコッペパンだろう――が握られていた。
籠手を着けている状態なので細かな感触は分からないが、食品サンプルのような硬さは感じない。香りにもおかしなところはない。
口に運び、齧ってみる。
食感も、味も、特別変わったところはない。
「食べられるみたいだな」
アポカリプスで買い込んでいた食糧がそのまま使えるのなら、当面食糧について困りはしないだろう。尤も、保存が効くのか、という疑問点もあるが、それも今は確認しようがない。
パンを食べ切り、アイテムボックスから新たに取り出した水袋で喉を潤す。
取り敢えず、可及的速やかに確認しなければならない事柄の確認を終えた秋斗は、一先ずこの森を出るべく、両の足で歩き出す。
その時だった。
「――きゃああぁああぁあ!」
遠くから叫び声のようなものが聞こえてきた。
声のした方向へ顔を向けるも、枯れているとはいえ木が多く、遠くまでは見通せない。
声のした方へ向かうか、無視するか。
「……知らない場所である以上、人がいて困ることはない、か」
困っている人を助けよう。そんな考えは、微塵もなかった。ただひたすらに、自分の為に。
数秒の思考の後、秋斗は極めて利己的な思考のもと、声のした方向へ向かうことにした。