霧の中の攻防
……くる。
男が全身に魔力をみなぎらせながらこちらに向かって駆けだした。
今までよりも速い速度だ。
だが、それもまた実物ではなかった。
残像だ。
こちらに向かって駆けてくるその姿は、本物ではないらしい。
目に映る姿はどう見ても本物にしか見えていないが、実際にはこちらの背後をとって背中を斬りつけるように攻撃を繰り出してきていた。
移動しながらの残像なんてものもあるのか。
これまでの数度の攻撃では、その場から動かない姿が残っていたことで虚を突いたつもりなのだろう。
奴は言っていた。
今まで攻撃を躱された経験がないと。
だが、それに備えての移動しながらの残像という技も持っていたみたいだ。
普通ならば、どうしたって視界で動く人の姿に惑わされてしまう。
この血の霧があったおかげで、俺はなんとか対処することに成功した。
魔剣を後ろに回して短刀による攻撃を防ぐ。
カキンという音がしてつばぜり合いになり、そして男が距離をとった。
そのときだ。
俺の周りにいた傭兵たちが動いてしまった。
どうやら、傭兵たちは俺を守るために動いたようだ。
急に赤い霧が周囲を覆うという異常事態が起きているうえに、木の上から駆け下りてきた奴と交戦状態になっているというのに対応しようというのは普段の訓練が行き届いている証拠だろう。
だが、この場の状況で言えばそれがあだとなった。
なぜなら、傭兵たちは残像の動きに対処してしまったからだ。
正面から俺のほうに向かってくる残像と、実際には背後に回っている実体。
俺は一瞬で体の向きを変えて後ろに振り返ったのにたいして、傭兵たちが俺を守るために正面から走ってきていた奴に剣を振るったのだ。
しかし、その剣は当たらない。
目に見える相手に剣を当てたように見えたにもかかわらず、何の手ごたえもなく空振りしたことで戸惑いが生まれる。
そして、その戸惑いが大きな隙となった。
背後にいたはずの男が再び移動し、正面へと戻ったのだ。
そして、傭兵にたいして攻撃を繰り出す。
男は最初、動きを追うことができるアイを攻撃すると言っていたが、どうやらそれに固執するつもりはないようだ。
臨機応変な動きが厄介すぎる。
傭兵たちの体が邪魔で向こうを攻撃できない。
「なに!?」
だが、相手の攻撃を防ぐことができた。
それが男にとって予想外だったのだろう。
驚きの声が上がる。
「お前らはどいてろ。こいつの相手は俺がする。アイは傭兵たちを守れ」
「す、すみません、団長。お願いします」
傭兵に向けられた攻撃を防いだのは俺だ。
傭兵たち自身の体が邪魔だったがなんとか防ぐことができた。
そして、すぐに声をかけ、傭兵たちには離れさせる。
今回はとっさに防げたが、それはたまたまうまくいっただけだからな。
そばに人がいないほうが戦いやすい。
「盾? 空中に盾か。本当にやりにくい相手がきたものだ」
傭兵たちに対する男の攻撃を防いだのは真っ赤な盾だった。
空中に突如として現れたそれは強固なものではなかったものの、短刀の攻撃を受けて砕けつつも守りの効果を発揮してくれた。
それは霧に含まれる血でできた盾だ。
黒死蝶を使って俺の血を散布した。
それにより周囲の空間は赤い霧で覆われている。
そのおかげで、俺はその空間内であれば相手の動きを正確に把握することができている。
だが、これだけがこの赤い霧の効果ではなかった。
赤い霧は俺の血であり、ノルンそのものでもある。
ノルンは言った。
この場はすでに自分の腹の中である、と。
つまり、ここら一帯はすでにノルンの支配領域みたいなものなのだろう。
そして、ノルンはもともと魔剣という形あるものだった。
血でできた魔剣。
しかし、別に剣という形にこだわらずにいろんなものに変化することが可能だった。
たとえば、ヴァルキリーのような姿になったり、猫になったり、鎧になったり。
つまり、血を材料にしてたいていの形あるものに変化できる。
ならばと思って、とっさに行ったのが血の霧を盾にするというものだった。
目の前に広がる赤い霧が俺の血である以上、それは可能だと思ったからこそのとっさの行動だった。
壁となった傭兵たちの体を魔剣の届かない側から斬りつけられそうになり、試したこともなくやっただけだがうまくいった。
薄い板のような盾だが、相手の攻撃を一撃でも防げるのであればそれで十分だろう。
なぜなら盾ならばいくらでも作り出せるのだから。
傭兵たちが距離を取り、改めて一対一の形となって男と向かい合う。
それを相手も受け入れたのか、今度は残像を二体生み出して動いた。
左右に分かれた男の残像がこちらを挟み込むようにして攻撃してくる。
だが、それは完全に無視して正面から地を這うように走り寄る本物の動きにだけに意識を向けた。
そんなに姿勢を低くしてどうしてそれほど速く走れるのかと思う動きでこちらに近寄り、足を刈るように短刀を振るってくる。
それを魔剣では防がない。
俺の足元にある霧を操作して盾を生み出し、その盾で攻撃を防いだ。
薄い血の盾はパリンとでも音をたてて衝撃を受けたガラスのように粉々になる。
だが、それで十分だ。
それだけでも、俺は狙われていた足を一歩引く時間を稼いでくれた。
そして、その引いた足で地面を蹴り、体重を乗せて魔剣を振る。
地面すれすれにいた男にたいして縦一閃に振るった俺の魔剣が相手を切り裂いた。
いける。
最初は全然動きすら追えない相手だったが、俺の力が通用する。
当主級の相手であっても戦える。
俺は男との戦いを通じて、確かな手ごたえを感じたのだった。
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