地獄の準備期間
「ぐえ、苦すぎるよ、これは……」
「それはまだまだ序の口だね。致死量よりもはるかに少ない。今後はそれを徐々に増やしていくので、早く飲み込みたまえ」
「……本当にこれを飲むの? しかも、毎日? 冗談でしょ……」
「冗談ではないさ。わが同志アルス・バルカはこれと同じことをして耐性を手に入れたのだ。君ならできるよ、アルフォンス君」
「本当にアルス兄さんは頭がおかしいんじゃないの? 自分で毒を飲むなんて普通は絶対にやらないよ」
名付けを受けて、東方へと行くまでの間の準備期間。
そこで僕は何をしているのかというと、毒を飲まされていた。
バルカニアが誇る変人中の変人であるミーム・リード。
医者でもあり、研究者でもあるこのミームという男は、アルス兄さんのことを同志と呼んでいろんなことをしているらしい。
そのミームが僕の前に次々と毒物を並べていた。
ミームが容器から取り出した毒を僕は飲み続ける。
目的は毒に耐性をつけることだ。
東方の中でも動乱が続いている小国家群に行くと決まった後、アルス兄さんからやっておいたほうがいいこととして勧められたのがこれだ。
危険で、周囲に信頼できる味方もいない場所へ行って戦に参加する。
そこで生き残るためには強さだけでは駄目だと言われたのだ。
古来より、毒は多くの人の命を奪ってきた。
あるいは、剣で斬るよりも多くの人の命を消し去ることができる武器として毒は存在している。
そんな毒が戦場で使われることもあれば、食事や水に混ぜられたりすることもあるかもしれない。
それらを完全な形で防ぐことは難しいだろう。
だったら、どうするか。
かつて、アルス兄さんはそのための対策として自分で自分の体に毒を入れたらしい。
正気を疑う行いだと子どもの僕でもわかる。
けれど、それは成功したらしい。
【毒無効化】。
これはアルス兄さんが作り出した魔法だ。
呪文を唱えると、毒に対してほとんど無敵になれる魔法だという。
自分で毒を飲み、体に塗りつけながら体得した毒耐性をさらに呪文化までしてしまった話を聞かされても、正直信じられなかった。
だが、その魔法は現実に存在する。
しかし、僕は【毒無効化】という魔法を使うことができない。
アルス兄さんに名付けをしてもらったわけではないからだ。
だから、自力で何とかしろ、と言われてミームが派遣されたというわけだ。
かつて、アルス兄さんに協力して毒を提供し続けたのがこの頭のおかしい研究者だったからだ。
「……毒を飲んだ時に起こる体の防衛反応、特に魔力の動きに気を付ければいいんだよね?」
「うむ。その通りだ、同志の弟よ。我が同志がかつて言っていた。毒が体に入ったら、魔力が反射的に反応するのだ、と。それは全身の皮膚表面であり、また、口や鼻の穴から食道や胃、そして腸などの粘膜部分だそうだよ。あとはお腹にある肝臓や腎臓などの内臓にも魔力が集まるようだね」
「ようだねって、他人事みたいな言い方だね?」
「もちろんさ。私にはわからないからね。ただ、同志はその魔力の防衛反応をつぶさに感じ取り、そして、それを逆手に取った」
「……毒を飲んだ時に体は無意識に魔力を使って守ろうとする。だから、その魔力の動きを自力で再現できれば、あるいはそれをさらに強力にできれば毒に強くなれる、か。よくそんな危険なことを前情報なしにできるね」
「同志の行動力は他の者にはない得難い資質だよ。まあ、同志の弟である君にならできるさ、アルフォンス君。ささ、早く次の毒へと進むのだよ」
そういって、ミームは新しい毒物をお湯に溶かして僕へと手渡してきた。
そのグラスから立ち上る臭いは何といえばいいんだろうか。
思わず鼻をつまんだら、二度と手を放したくないというほどの悪臭を放っている。
これを飲まないといけないのか……。
しばらく、手にしたグラスを見つめながら茫然としてしまう。
ただ、いつまでもそうしているわけにもいかない。
ミームは僕が既定の毒を飲み終えるまで帰らないからだ。
グッと我慢してグラスの中の液体を飲み干す。
鼻につく悪臭。
その悪臭による吐き気をなんとか耐えた。
だが、すぐに喉の奥が焼けるように熱く、痛くなる。
本当に大丈夫なんだろうか?
このまま死んじゃうんじゃないかとすら思った。
だけど、これはただ飲むだけじゃダメなんだ。
あまりの気分の悪さに精神をズタボロにされながらも、それでも、自分の体の状態へと意識を向ける。
とくに、魔力へと集中する。
これ以上ないというほどに細かく細分化した最小単位の魔力。
それが、体に入ってきた毒を打ち消すために動くのを観察し続ける。
たしかに、今まで何種類かの毒を飲んだけど、その直後の魔力の動きというのには共通点がありそうだった。
ミームの言う通り、皮膚や粘膜にも魔力が集まるし、腎臓や肝臓にも魔力が移動している。
体のどこへどのくらいの魔力が振り分けられて、毒から身を守ろうとするのか。
その無意識の動きを観察し、それを人為的にまねして効果を再現する。
ひたすらそれを繰り返していた。
来る日も来る日も毒を飲み続ける。
だんだんと飲む量が増えているから、どれだけ魔力の流動に気を付けても毒は甘くもならないし、喉も痛くなる。
けれど、それをずっと続けて春になるかという頃になると、だんだんと致死量をはるかに上回る毒を飲んでも平気になっていったのだった。
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