原初の願いと目的の達成
「アルスが生まれる前は本当に毎日腹が空いていた。といっても、そのときは俺もまだ名付けもされていない子どもの頃だけどな。それでも今でも覚えているよ。毎日が地獄だった。だから、ずっと願っていたのさ。誰か助けてくれって。神に祈りを捧げていたよ」
ヘクター兄さんが酒を飲みながら昔のことを語る。
グラスに入った氷が傾き、カランと音をたてていた。
多分、今のバルカニアに住んでいる大人たちにとっては、このヘクター兄さんの言うことはよく分かるだろう。
たまに大人同士で酒を酌み交わしている場所に行くと、だいたい似たような話をしているからだ。
昔は大変だった。
今の若者はわからんだろうがな、なんて管を巻いていたりする。
そして、実際、若い世代はそのことを信じられないと言っていたりする。
なにせ、ここ10年以上はもうそんな不作になったことはないのだから。
それに、食糧事情が改善しただけではなく、バルカを始めとしてフォンターナ全体の生活水準は大きく変わった。
昔は食べるものもなく物々交換で生活していたなんて話を聞いたら、どこの未開地の話だと思ってしまってもおかしくない。
そのためか、若者に昔話をする大人はいったいいつの話をしているんだと少々煙たがられたりもするとかしないとか。
だが、たしかに20年前まではそれが当たり前だった。
日々、腹を減らして、いつ死ぬかわからない状況。
死と隣り合わせの生活が続いていたのだ。
そのことを俺以上にヘクター兄さんは覚えているのだろう。
「大変だったね」
「ああ、本当にな。夜、寝るときはいつも思っていたよ。このまま目を閉じたら二度と目覚めないんじゃないかってな。だから、寝るときはいつも母さんに抱きついて寝てたっけな。そんなときだな。神への祈りが通じたのは」
「……ヘクター兄さんの力が発動したってやつだね?」
「そうだ。あの日の夜、俺は確かに感じた。何かが母さんに宿って、その結果、母さんのお腹の中に新たな兄弟ができたことをな」
それが、ヘクター兄さんのいう俺の誕生秘話だ。
毎日、神に祈りを捧げながら藁の上に布を敷いただけの寝床で親子で並んで寝ていたある日の出来事。
窓のない光の差し込むはずのない貧乏農家の家の中でなぜか寝ている母さんの体の上から光が降り注いだそうだ。
そして、その後、母さんが妊娠していることがわかった。
荒唐無稽な話だと思う。
実際、両親ともそんな光の降り注ぐ光景は見ておらず、幼い長男が幻でも見ていたのではないかと結論づけていたそうだ。
それはごく当たり前の意見だろう。
だが、ヘクター兄さんには確信があったという。
まだ名付けもされていない幼いヘクター兄さんが魔力を用いてなんらかの魔術を発動させた。
それが実際にあった事実なのかどうかは今となってはわからない。
もしかしたら、両親の言うようにただの幻だったのかもしれない。
だが、間違いなく奇跡は起きた。
実際に、その後に生まれた子どもは普通ではなかったのだから。
赤子の時点で意識を持ち、さらには別の世界の記憶を持った俺が生まれてきたのだ。
であれば、そのときのことがヘクター兄さんの妄想だったとは断言はできないだろう。
「俺はヘクター兄さんの願いを叶えられたかな?」
「ああ、もちろんだ、アルス。食べるものに困らない生活。そして、平和にのんびりと暮らしたいという俺の願い。それをお前は叶えてくれた。それも、天空王国なんていう国まで作っちまう完璧な形でな」
「ま、その願いは俺の願いでもあったしね。俺もヘクター兄さんと同じだよ。平和に過ごしたい。ただそれだけが俺の思いでもあるからね」
ヘクター兄さんの願いは腹を満たすこと、そして平和だった。
食べるものがない。
しかし、それでも戦があった。
理由はよその土地から食料を奪い取ること。
あるいは、領地の人減らしの意味もあったのかもしれない。
不作が続いたことで、余計に各地で戦いが起こっていたのだ。
そして、その戦に父さんも何度も駆り出されていた。
だからこそ、幼い子どもであっても、いや、子どもだからこそ平和を願った。
ただただ平和に生活したい。
それこそが、ヘクター兄さんが子どものときからの願いだったのだ。
どうやら、俺はその願いを叶えられたようだ。
空に浮かぶ天界バルカニア。
そして、そのバルカニアを中心に独立した国ができた。
フォンターナ連合王国の一員でありながらも、他の土地とは隔絶し、そしてお互いに争い合わぬと協定も結んでいる。
絶対に争いが起こらないとは言えないまでも、これまでのことを考えると平和であると言えるだろう。
俺がこの世界に生まれてきた意味はあったと思う。
ヘクター兄さんと話しているとそれが実感できた。
別に俺は神の使いでもなんでもないし、これまでたくさんの戦いで多くの命を奪ってきた。
だが、それでも地獄のような日々を経験したヘクター兄さんの人生を間違いなく助けることができたと言えるだろう。
「ありがとうな、アルス」
「俺の方こそ、ありがとうだよ、ヘクター兄さん。この世界に生まれてよかった」
「……そうか。まあ、とにかく乾杯だ。平和と天空王アルスのこれからに、乾杯」
「乾杯」
ここまで頑張ってきたかいがあるというものだろう。
ちょっとしんみりしながら、俺はグラスを突き出してきたヘクター兄さんにこちらも手を伸ばしてカチンとグラスをあわせて乾杯する。
こうして、俺はこの世界に生まれた目的を達成した。
決して、完全な形ではない。
まだ、地上ではこれからも争いが起こることがあるだろう。
だが、それでも貧乏農家へと転生してきてから試行錯誤を繰り返し、戦い、レンガで城を造りつつ、平和な国まで手に入れることができた。
これから、この国がどうなっていくか、地上に住む兄弟や息子たちがどうなるかもわからない。
いろいろな問題がまだまだあるだろう。
が、このときばかりはゆっくりしよう。
そう思いながら2人で平和な街を見ながら酒を楽しんだのだった。
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