黒焔戦術
「やったか?」
動き出した時間の中で思わず私はそう口走った。
黒焔狼の魔力は先程の攻撃で確かに減っている。
多数の当主級が魔力を込めて攻撃を行えば、いかに精霊といえども影響を受けないはずがない。
だが、不安要素がないわけでもなかった。
というのも、たとえ時を止めていたとしても攻撃した対象の体が【黒焔】である、という点が問題だった。
私や他の者たちは全員武器を失っている。
先程、黒焔狼の体に突き立てた武器を全員が手放していたのだ。
戦闘中に自身の武器を手放すなど、本来はありえないことだろう。
とくに、当主級たる実力者が持つ武器はそのどれもが逸品であり、なかにはラインザッツ家から下賜された家宝の剣であったりするのだ。
それらを放り出すなど武人にはありえない。
が、それでも今回ばかりは話が違った。
手放さざるを得なかったのだ。
黒焔狼に突き立てた幾本もの剣はたしかにやつに損害を与えたはずだ。
だが、それらの剣は今、燃えていた。
【黒焔】化した氷精の体は、その身に突き立てられた剣すらも燃やしていたからだ。
貴重な剣が燃えていくのを見ながら、我々にはどうしようもなかった。
口惜しい気持ちがないわけではないが、それでも予備の剣を手に取り、黒焔狼が消えゆく姿を見る。
だが、その時、異変が起こった。
周囲の景色が一変する。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
黒焔狼に気を取られ過ぎていたのかもしれない。
私は自身に忍び寄るものに全く意識が向いていなかったことをこのときになって気がついたのだ。
「くそ。なんだこれは……」
「植物……。これは、幻想華が更に伸びて拘束しようとしているのか」
私の他にも周囲から口々に声が上がる。
そのどれもが焦った声色だった。
それもそのはずだ。
戦場に於いて最悪の状態である、身動きが取れない状態。
今まさに、そんな状態に追い込まれていたのだから。
「まさか、この黒焔狼は囮だったのか? 幻想華をここまで広げるための……」
いや、そうとしか思えない。
この黒焔狼はあくまでも囮で、本命は幻想華だったのだ。
カイル・リードの精霊によって生み出された幻想華なる植物がその蔦を伸ばしていつの間にか周囲を覆い尽くしていたのだ。
そして、その蔦が我々の体を拘束している。
だが、なぜ?
さっきまではそこまで幻想華が広がっているようには見えなかった。
我らが黒焔狼を攻撃していたのは【刹那】という呪文を使っている間のことだ。
あの攻撃は止まったときの中での攻撃であり、現実では一瞬すらも時間が経過していない。
だというのに、今は私やほかの仲間である当主級の者たち、そしてその他のラインザッツ兵までもが植物によって体をがんじがらめに絡め取られていた。
慌てて地面に目をやると、そこで気がつく。
あちこちの土がめくれて盛り上がったような穴があったのだ。
「地中か? この幻想華は地面の中を伸びていたのか。もしかして、あらかじめある程度が戦場となるこの平野の地下に広がっていたとでもいうのか?」
幻想華の蔦はあちらこちらで地中から地上へと這い出て、ラインザッツ軍に襲いかかっていたのだ。
これは先程カイル・リードが魔力を使っただけであったのであれば、いくらなんでも成長が早すぎるのではないだろうか。
であれば、事前にこの地に仕掛けていた可能性がある。
ラインザッツ軍はまんまとその罠の中に入り込んでしまったのだ。
そして、その幻想華が地中から飛び出す瞬間を目眩ましするために、相手は様々な手を打ってきた。
最初に空から岩の巨人を落とし、こちらの目を上に引きつける。
その次はリード軍に迫った我らに対して、見たことも聞いたこともない黒焔狼という炎の精霊をぶつけて、そちらに注意を向けさせる。
それら全ては地面への警戒をなくすためだったのだ。
「だが、こんなもの効きはしない。我らはシュナイダー様に【浄化】をかけていただいているのだからな」
私の近くにいた仲間がそう叫ぶ。
確かにそのとおりだ。
幻想華の特徴として、その植物の特性ゆえに相手を麻痺や睡眠、毒状態に陥らせる。
だが、【浄化】であれば防げるはず。
げんに今もそれらの影響は見られないのだ。
問題ない。
確かに幻想華は我らの体をつたって伸び続け、拘束はしている。
だが、状態異常にならないのであればどうにでもなる。
異常なほどの締め付けをみせる幻想華の蔦だが、手にした剣などで切り裂いていけば拘束を脱することは可能なのだ。
「ガウッ!!」
体に巻き付く植物に対して、なんとか手を動かし剣で切れ込みを入れる。
私を含め、その場にいた者はすべて同じように今の状況を打破しようと対処していた。
そんなときだった。
人間ではないものが発した音が耳に届いた。
なんだ?
嫌な予感がする。
今の音はなんだ?
右手に持つ剣で体にある蔦を切っていた私は嫌な汗をかきながら周囲を見渡した。
いや、見渡すというほどあちこちを見る必要もなかった。
ただ、その音がした方向を見るだけでよかったからだ。
そこには黒焔狼がいた。
すでにその身に宿した魔力の塊は散り散りになっており、いつその体が消滅するかわからない状態。
というよりも、その炎の精霊は消え去る寸前だった。
だが、ただ消えていくだけではなかったのだ。
その足元が燃えていた。
真っ黒な炎で燃えていた。
対象を燃やし尽くすまで消えないと言われる【黒焔】によって幻想華が燃えていたのだ。
我らの体に巻き付いているその蔦とつながった、地中から出てきて戦場全体を覆っている幻想華が黒い炎で燃えていたのだ。
「も、燃えているぞ! 幻想華が【黒焔】によって燃えているぞ。に、逃げるんだ。今すぐ、蔦の拘束を切って幻想華が広がっている範囲から脱出するんだ」
声を張り上げて私は叫んだ。
だが、それは自分で言っていて無茶だというのも分かっていた。
幻想華は今も変わらず伸び続けているのだ。
私たちの体をより拘束しようと、伸び続けている。
やられた。
あの黒焔狼は囮ではなかったのだ。
やつが姿を現したのはきちんとした意味があった。
それはラインザッツ軍を絡め取らんと成長する幻想華を燃やすこと。
決して消えない黒い炎でその植物を燃やしてしまうことこそ、向こうの狙いだったのだ。
だからこそ、岩の巨人を落としたのかもしれない。
ラインザッツ軍を混乱させ、引き止めて、上に注意を向けさせる。
それ以外にも、炎で死なない命なき戦闘要員として使うために、あえて幻想華の範囲内に落としたのだ。
「刹那。くそっ。まだ使えないのか。刹那!!」
そして、私はこの絶体絶命の危機から逃げる手段が無かった。
【刹那】は時を止めて行動する最高の魔法だ。
その【刹那】を使えれば、幻想華の蔦を切り裂いて逃げられる。
だというのに、魔法は発動しない。
なぜなら、この【刹那】は強力な魔法ではあるが、連続で使用し続けることができないという欠点があるからだ。
一度【刹那】を使用すると、次の使用までに一定の時間が経過しなければならない。
その間隔は決して長過ぎるというほどではないが、短いわけではなかった。
そして、私は先程【刹那】を使ったばかりだった。
黒焔狼という未知の相手を倒すために、【刹那】を使った直後なのだ。
唐突に、これまでのことが頭によぎった。
ラインザッツ家の一員として、数多の貴族家と戦い、覇権貴族であるリゾルテ家を追い落として、これからさらなる栄華を極めるはずだった。
つい昨年まではご当主様とラインザッツ家の未来を祝って酒を酌み交わしたばかりだったのだ。
だというのに、これはなんだ?
なぜこんなことになっているのだ。
私は目の前に広がる真っ黒な炎と、その炎によって発する熱波を全身で感じながら、いつの間にか意識を失っていたのだった。
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