傭兵団のその後
「しょ、書類仕事が多すぎる……」
「それはそうですよ、アルス様。昨年の秋の終わりから春になるまでずっとフォンターナ国内の仕事を放置していたのですからね。仕事が溜まっているのは当然でしょう」
「そうかもしれないけど、フォンターナの街にはリオンやカイルがいたんだからこんなに書類を積み上げるようなことはないだろ?」
「いいですか、よく聞いてください。仕事というのは根本的に地味なものばかりなのです。アルス様はこの国の宰相兼大将軍として事実上国の動きを任されているのですから、こういう仕事が多いのは当たり前です」
「そりゃごもっともだけどな。もうちょっと東方で働いて帰ってきた俺を労ってくれてもいいんじゃないのか、リオンさんや?」
「……お言葉ですが、アルス様は向こうでどれほどとんでもないことをしてきたのかわかっているのですか?」
「え、うん、まあ。わかっていないわけではないんだけどね」
「本当でしょうね。アルス様が東方でしたことを教会が正しく知れば、ナージャと同じく神敵認定されてもおかしくはありませんよ」
季節はすでに春になり、暖かな気候に移っている。
俺やバイト兄のように転送石では帰還できない東方遠征軍を引き連れて戻ってきた俺はようやく羽を伸ばせると思っていた。
リリーナを誘って温泉宿にでも行こうかな、と思っていたところでリオンに呼び出されてこうしてフォンターナの街に舞い戻って仕事に追われている。
決済すべき重要な案件などが書類としてまとめられているが、それが頭が痛くなりそうなほどの多さで参っていたというわけだ。
それを見て愚痴を吐く俺にリオンが言う。
確かに、リオンの言う通り、東方ではかなり無茶をした。
タナトスの里帰りのために向かっただけなのに、東方にある国と一戦交えたかと思うと、その相手と取引まで結んでしまったのだ。
しかも、その取引内容は限りなく黒に近いグレーだと言わざるを得ないだろう。
なにせ、教会に無断で勝手に命名して魔法を広げたのだから。
東方では教会のような組織はなかった。
いや、宗教組織というのはあるのだそうだ。
が、名付けや魔力パスなどといった魔導システムを使った組織というのはなかった。
だから、そこに俺がつけ込んで教会の利益を先に食った。
教会がそれを知れば間違いなく怒ることだろう。
だからこそ、便宜上はバリアントは俺の領地ではなくアトモスの里攻防戦における前線基地であるとし、統治者を地元住民に任せたのだ。
あそこはあくまでも現地の協力者がいる場所であり、こちらの領地ではない。
ゆえに、教会が東方に進出することにフォンターナ王国としては積極的に協力できないし、その責任も一切ない。
すなわち、向こうでどんなことが行われていても俺は関知していない、と主張しているわけだ。
俺が名付けをできると知っている者は教会にはほとんどいない。
数少ない例外であるパウロ大司教には多額の喜捨を行うと同時に、シャーロットから譲ってもらった東方の宗教書の写本を提供している。
とりあえずは大丈夫なはずだ。
まあ、ナージャと同じことをしているという意味では言い逃れできない事実でもある。
勝手に命名の儀の魔法陣を利用している点は相違ない。
神敵認定されるのはさすがに困るな。
「しかし、ナージャもなかなかしぶといな」
「はい。ナージャ率いるマーシェル傭兵団はいまだ健在です。神敵認定された時期が遅かったのもあり、支配している城を中心に守りを固めたようですね」
「こちらが裏から回した情報が結果的には仇となった形かな?」
「そうですね。ナージャの持つ【収集】によって魔法どころか継承権までもが奪われるという事実が伝わった結果、貴族や騎士たちが尻込みした模様です」
「……まずったかな? 奪われた継承権がナージャを倒したらもとに戻るのか、あるいは失われるのか分からない。そりゃ、そう聞いたら自分で戦おうって気はなくなるよな。誰か勇気があるやつがナージャを始末してくれるのを待つほうが賢い選択だ」
「それにマーシェル傭兵団に一番近いギザニア家も動いていませんしね」
リオンが集めた情報を見ながら話し合う。
今や神の敵であり魔王でもあるナージャは教会から睨まれてもはや風前の灯かと思っていた。
が、実際は冬を越してもなんとか生き残っているようだ。
教会はナージャを神の敵として認定し、懸賞金までかけた。
それによって傭兵団の団員たちはかなりの数が逃げ出したようなのだ。
が、それはまた別の面を現すことにもなる。
残った傭兵団は、賞金首となって逃げることすらできない幹部とそれに従うしかできない構成員だけになり、かえって結束が固まったらしい。
そして、そんな中核となる構成員がどっちつかずの傭兵たちを脅して逃げられなくしているようだ。
金や酒といった即物的なメリットで心情的に離れられなくしたり、傭兵たちの家族を脅しの材料などにして逃げられない状況を作った。
そうして、規模は縮小したが背水の陣に追い込まれたマーシェル傭兵団は一致団結して襲ってくる勢力と戦ったのだそうだ。
が、それに輪をかけて討伐困難にしているのがナージャのもつ【収集】の特性だった。
貴族や騎士はなぜ戦うのか。
それは自分たちの既得権益を守るためである。
地位や名声もそうだが、特に重要なのが継承の儀によって受け継がれている力そのものでもある。
それがナージャに敗北すると奪われてしまう。
そのことが知られるようになると、段々と本腰を入れてマーシェル傭兵団と戦おうとする貴族軍がいなくなったのだ。
他の誰かがやってくれるだろうから、自分たちが危険を冒さずともいいやという考えなのだろう。
さらにそれを後押しする存在がいた。
マーシェル傭兵団が最初に滅ぼして手に入れた土地のヘカイル家。
そのヘカイル家の隣りにあったギザニア家は傭兵団によって何人もの騎士を殺されている。
本来ならばこのギザニア家は激怒してナージャと戦うはずの存在だ。
が、なぜかギザニア家当主は動かない。
それはギザニア家の当主が以前よりも遥かに魔力量が上がっているらしいことが関係している。
これもナージャの【収集】の特性なのだろう。
ナージャは貴族の当主を倒してその力を奪い取ることができる。
が、ギザニア家は貴族家の当主ではなく、自分が名付けをした配下の騎士がナージャによって倒された。
つまり、ナージャはギザニア家の騎士の継承権を持っていることになる。
ややこしい話だが、ナージャはギザニア家の騎士の座を奪ったことによって魔力パスがギザニア家当主ともつながった。
ギザニア家の当主がナージャの親である、という形でだ。
つまり、ナージャが強くなればなるほど、ギザニア家の当主も強くなるということを意味していたのだ。
ギザニア家の当主はこのことにいち早く気がついた。
自分の体だからこそ当然だろう。
そして、思ったはずだ。
ナージャが強くなれば自分も強くなるのであれば、それはそれでありかもしれないと。
もともと、ただの傭兵団を率いていたナージャがヘカイル家を狙ったのは、へカイル家が決して強大な勢力をもつ貴族家ではなく、そこそこレベルだったこともある。
そして、その隣にあったギザニア家もお察しだ。
つまり、ギザニア家はあまり強くない勢力であり、しかし、近年のメメント家やラインザッツ家、あるいはリゾルテ王国の大規模な争いの中を乗り切らねばならない存在だった。
危険を冒してマーシェル傭兵団と戦うくらいなら、下手に刺激せずに放置したほうがいい。
そこで周囲に向けて、こう宣言したのだそうだ。
ギザニア家の専守防衛に努める、と。
それは暗にマーシェル傭兵団を攻めないと言っているようなものだった。
ナージャはこのことを正しく理解した。
マーシェル傭兵団がギザニア領を攻撃しなければ、相手は何もしてこないと宣言したのだ。
周囲をすべて敵に囲まれているという状況から、少なくとも隣り合う領地と争い合うことがなくなればそれだけでも助かる。
こうして、神敵であるはずのマーシェル傭兵団とギザニア家はなんの取引を交わすことも無く不戦同盟を結んだような状態になったのだ。
こうなると余計に他の貴族が軍を出してまでマーシェル傭兵団を討伐しようと動く気はなくなる。
教会が神敵として認定したナージャに協力すれば同じく神敵になるが、相手にしないというだけであれば自分たちが神の敵になることはない理論なのだろう。
冬が終わったにもかかわらずナージャがしぶとく生き延びている原因はここにあったのだ。
「教会はそんなこと許さんだろうけどな。どうするんだろうな?」
「わかりません。が、教会は戦力を持ち合わせていません。どこかに神の敵を討つための要請を出すのではありませんか?」
「……変なことを言わなきゃいいけどな。とりあえず、こっちは先に宣言しておこうか。パウロ大司教にフォンターナ王国は内政に注力するって伝えておこう」
「それがよろしいかと」
パウロ大司教は俺のことを知っているから無茶振りしないと思うが、教会組織がどういう対応をするのか分からない。
なので先手をうってフォンターナは自国内のことに力を入れることを宣言する。
マーシェル傭兵団に対しては今のところ経済封鎖もしているようなので、いずれ干上がる可能性もあるからな。
こうして、リオンなどから情報を伝えられながら、俺は再びフォンターナ王国での仕事に取り掛かることにしたのだった。
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