疾風のごとく
「あの、バイト様。本当にアルス様はこんな雪が降り始めた時期に出陣する気なんですか?」
「あん? なんだ、エルビス。お前、アルスの言うことが信じられねえっていう気か?」
「いえ、そうじゃないですよ、バイト様。だけど、ほら。ここにいる連中みんな体を震わせているじゃないですか。本当にパーシバル領なんて遠いところまで行けるのかなーって気になったんですよ」
「……ま、たしかにそうだな。あいつの考えていることは俺もよくわからんときがある。けど、今回は大丈夫だ。ほら、アルスのやつが来たぞ」
もうすぐ冬が来る、という時期になってフォンターナ軍が動くことになった。
寝耳に水ってこういうことを言うのかもしれない。
バルトニアへとやってきたフォンターナ家当主代行になったアルス様が急にそう宣言したんだそうだ。
俺はアルス様を信じている。
崇拝しているとさえ言ってもいい。
農民から一代で騎士になったと思ったら、気がついたらいつの間にか貴族様の当主代行なんてことまでになっていた。
もうそれも一年くらい前のことになるのか。
ちょうどメメント軍と戦っているときにアルス様がフォンターナの街に帰還したと思ったら、知らないうちに当主代行の地位に収まっていた。
俺も他の連中もびっくりしたもんだ。
そして、そのきっかけとなったのがフォンターナ家の先代当主カルロス様が亡くなった事件だ。
王様を護送していたカルロス様がパーシバル家の刺客に襲われて無念の死を遂げた。
喪に服して、地震なんて不幸があったのにしっかりとフォンターナ領をまとめたアルス様がそのかたきを討つために動いた。
多分、喪に服す期間が終わったからすぐに動きたかったんだろう。
それだけ、アルス様にとってカルロス様の死は許せないことだったんだろう。
……だけど、やっぱり不安ではある。
だって、雪が降ったら普通はほとんど移動できなくなるんだから。
どうやって遠いパーシバル家の領地まで行くのか。
仮に行けたとしてもそこで戦えるのか。
さらに言えば、戦った後どうやってフォンターナまで帰ってくるのか。
無事に帰ってくることができるとは思えなかった。
が、バイト様に聞いてみるとやっぱりアルス様にはきちんと考えがあるみたいだ。
多分大丈夫なんだろう。
そう思っていると、集まった騎士たちの前にアルス様が現れた。
角の生えたヴァルキリーに乗る姿はすごくかっこいい。
次の新年を迎えたらもう14歳になるんだったっけ?
最初にそのお姿を見たときと比べるとかなり身長も伸びてだんだん大人っぽくなってきたように思う。
ちょうど今は大人と子供の境目って感じだろうか。
だけど、俺達の前に見せるその姿はこの場にいる誰よりも力強い。
この人についていけばたとえ他の誰が無理だと言っても大丈夫だと思わせる信頼感みたいなものがある気がする。
そのアルス様だが、後ろにはたくさんのヴァルキリーを引き連れてきていた。
全て角ありだ。
アルス様が生み出した使役獣のヴァルキリー。
その中でも角ありは特別な存在だ。
なにせ、使役獣なのに魔法が使えるんだ。
アルス様はこの角ありは特別なものにしか任せないと言われている。
実際、兄であるバイト様もバルト家として独立したときに与えられたヴァルキリーはすべて角なしだったという有名な話があるくらいだ。
無類の強さを誇る魔法を使う角あり部隊に直接命令できるのはアルス様と弟のカイル様だけだという徹底ぶりだ。
ザワッ……。
その角ありを見ていたときだ。
思わず声にならない声を出してしまった。
俺だけじゃない。
他の連中もそうだ。
今、アルス様はなんと言った?
「全員、角ありに乗れ」
アルス様は間違いなくそう言った。
聞き間違いではないかと思ったが、どうやら俺の耳がおかしくなったわけじゃなかったようだ。
なぜなら、アルス様の言葉を間違いなく聞いたのであろう角ありヴァルキリーたちが、俺たち一人ひとりのところへ自ら近づいてきたのだから。
……乗ってもいいのだろうか。
ものすごい高価な使役獣の中でも群を抜いて高い魔獣型である使役獣に俺が乗ってもいいんだろうか。
誰もがそう思っていた。
だが、俺達の主が颯爽とその背中に騎乗した。
バイト様だ。
やはり、バイト様はこのことを事前に聞いていたんだろう。
フォンターナの街まで乗ってきたご自身の愛獣(角なし)を優しくなでてから、アルス様に授けられた角ありへと乗ったのだ。
それ見て、他の者達も我も我もと動き始める。
「騎乗術」
正直、まだ頭は混乱している。
だけど、体が動いた。
アルス様は命令を素早く行動に移すことを何よりも望まれるのだ。
自分の足りない頭では理解できないからといって、チンタラしていてはいけない。
俺の主であるバイト様が持つ魔法【騎乗術】を唱えてから角ありの背にまたがる。
この魔法をバイト様が開発してくれて本当に助かったと思う。
これがなかったら、俺なんてこのヴァルキリーにまともに乗れないのだから。
だけど、呪文を唱えればどこへでも行き、騎乗しながらでも武器を扱うことができる。
いや、こいつの場合は角があるからちょっと気をつけないといけないかもしれないが。
「氷精召喚」
俺たちがみんな角ありに騎乗したことを見届けたアルス様が再び口を開いた。
その瞬間、全員の体がビクッと震えた。
もちろん、俺もそうだ。
だってそうだろう。
アルス様がフォンターナ家の上位魔法である【氷精召喚】を使ったんだから。
俺はあのときその場にはいなかったから直接は見ていない。
だけど、何度もその話を耳にタコができるくらい聞いた。
アルス様が西にあったアーバレスト家と戦った時の話だ。
アルス様は【氷精召喚】の魔法を使い、アーバレスト家の実に3万にのぼる軍勢をたった一人で全滅させたのだ。
今でもその話は語り草になっている。
その【氷精召喚】が俺たちの前で使われたんだ。
ビビるなっていうほうが無理ってもんだろう。
……いや、けどあんま怖そうな精霊じゃねえな?
同じく【氷精召喚】を使えるようになったバイト様の氷精を訓練中に見せてもらったことがあったが、大きな氷の狼でめちゃくちゃ怖かった。
だけど、アルス様の精霊は青い光の玉がフワンと浮かんでいるだけだ。
あんまり怖そうな見た目じゃないんだな。
っていうか、あの氷精ってやつを召喚してどうするつもりなんだろうか、アルス様は。
俺や周りのやつが不思議に思っている間にも変化が起き続ける。
呪文を唱えたアルス様の周りに出てきた氷精だが、それがどんどん増え続けているんだ。
おいおい、どこまで数が増えるんだよ。
次々と数が増える青い光の玉のような氷精。
それがもう数十を超えて数百以上になったころには完全に数を数えるのもやめてしまった。
大丈夫だよな?
別にアルス様はこれで俺たちを攻撃しようってわけじゃないんだよな。
いや、信じているんだよ?
信じてるけど、もう周り全体を氷精たちに囲まれて完全に逃げ場もなくなってんだから怖いんだけど。
「フォンターナ軍、出るぞ。俺に続け」
「おう!!」
「え?」
だけど、俺がちょっぴりビビっているうちに急に事態が動き始めた。
アルス様が出陣の合図を出して、バイト様や他の当主級の騎士たちが返事をする。
その次の瞬間にはすべてのヴァルキリーが動き始めたんだ。
俺は何もしていない。
これは多分あれだな。
ヴァルキリーがアルス様の命令を聞いているんだろう。
数の多いヴァルキリーの集団が一切乱れることもなく動き始めたんだから。
こ、このまま行くのか?
つーか、このヴァルキリーたちすごいスピードで走り始めたぞ。
分かってんのか?
雪降ってんだぞ、君たち。
ヴァルキリーは寒いのも暑いのもへっちゃらだってのは知っているけど、俺たち人間は違うんだよ?
そこんとこわかっているのか、と騎乗しているヴァルキリーに問い詰めたい。
「って、あれ? 寒くない?」
「寒さは大丈夫だ、エルビス。集団の周りに出した氷精が周囲の寒さを吸収してくれている」
「あ、アルス様。お、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな。今回はあのパーシバル家との戦いになる。相手は強敵だけど手柄をあげるいい機会だ。頑張れよ」
「はい。あの、さっきの話ですけど、すごいですね。氷精が寒さを吸収するなんて知りませんでした」
「俺の【氷精召喚】は数だけは多く出せるからな。そういう小手先の技が得意なんだよ。進軍する集団を取り囲むように氷精をだして寒さを抑える。っていっても、あくまでもあんまり寒くないってだけで風の影響はあるだろうけどな」
なんてこった。
あのアルス様が俺の漏らした声に反応して話しかけてくれた。
しかも、今も俺の名前を覚えてくれているなんて。
嬉しすぎてしょんべん漏らしそうなんだけど。
あ、そんなことを考えてたら騎乗している角ありが俺に角を当てて抗議してきた。
大丈夫だよ。
さすがに漏らしたりしないから安心してくれ。
その後、ちょっとだけアルス様と話をさせてもらった。
どうやら、ちゃんと冬期の移動について対策があったようだ。
今回は角ありを使って進軍すること。
そして、寒さ対策はアルス様の【氷精召喚】を利用することを。
その作戦の全貌を聞いて俺は驚いた。
アルス様のとった作戦はこうだ。
パーシバル家の領地にある迷宮街を攻撃するために、遠距離から一気に急接近して攻勢に出る。
そのために、魔法の使える角ありヴァルキリーを投入したのだ。
角ありが使える魔法の中で、俺も使える【瞑想】というものがある。
この【瞑想】は呪文を唱えてから寝ればどんな疲れもバッチリ取れるというものだ。
だけど、別の使い方もできる。
それは【瞑想】を使いながらも動き続けるという方法だ。
【瞑想】を使えばたとえ体を動かし続けていても疲れにくい。
これを角ありが使っているとどうなるか。
ものすごい速度で走っているにもかかわらず【瞑想】のおかげで疲れにくいので長時間高速で走り続けることができるんだそうだ。
しかも、集団で移動する際に風が当たる場所を順番に交代するように走ることで更に疲れを抑えられるらしい。
アルス様はスリップストリームがどうとか、ドラフティングがどうとか言っていたがよくわからなかったが、ようするに順番に風除けの役割を果たしながら集団で走ると速く走れるらしい。
だから、バルト家が持つ騎兵団も自前の角なしではなく、角ありへと交換させられたんだろう。
これによってフォンターナ軍の動きは従来にないほどの速さを手に入れることができるという。
なるほど。
だからなのか。
今のフォンターナ軍には歩兵と呼ばれるものが一人もいない。
全員がヴァルキリーに騎乗しているのだ。
つまり、この軍は文字通り「騎士しかいない軍」になる。
アルス様の持つバルカ軍やバイト様のバルト軍が中心だけど、ほかにも何人か領地持ちの当主級の騎士がいる。
だけど、その騎士たちは供回りは限られているようだ。
まあ、それは仕方ないと言えば仕方ないことだと思う。
だって、バルト家みたいに【騎乗術】がないと、たとえ騎士と言えどもヴァルキリーに騎乗できないだろうからだ。
バルト家は全員【騎乗術】でヴァルキリーに乗れるからこの作戦では主力だそうだ。
それにしても、この完全騎兵団の移動速度は本当に速い。
普通、歩兵や輜重部隊がいれば軍の動きは鈍足になるんだから。
だけど、この騎兵団は通常であればパーシバル家まで軍として移動すれば数ヶ月はかかるんじゃないかという距離をわずか数日で駆け抜けた。
信じられなかった。
実際に自分で移動しているのに、こんなに短期間で目標地点の迷宮街までやってこられるなんて夢のようだ。
だけど、事実だ。
俺たちフォンターナ騎兵団は誰も予想しない超短期間でフォンターナ領からパーシバル家に強襲を仕掛けることに成功したのだった。
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