太古の暦
「うわ、相変わらず汚いな。おーい、キリ、いるのか?」
「んー、ちょっとまってー。今、忙しいんだ」
「いや、お前、いっつもそんなこと言っているだろ。いいから顔出せ。どこにいるのかわかんねえよ」
「もー、なんだよー。って、あー、アルス君じゃないか。久しぶりだね。どうしたの? 今日はカイル君は来てないのかな?」
「カイルは来てないよ。それより、ちょっと話がある。その書類の山から出てこい、キリ」
バルカニアに戻ってきてグランと話したあと、すぐに俺はとある場所に向かった。
それはバルカニアという街の南東エリアにある建物のひとつの天文台と呼ばれる場所だった。
南東エリアには教会や孤児院の他に学校や職業訓練所がある。
そして、そこには図書館もあり、その図書館の周りにはいろんな研究者みたいなやつらが住んでいる。
以前、カイルのリード姓を餌に各地から一芸を持つ者を集めたことがあった。
画家くんや医者のミームなんかが来たときのことだ。
そのなかに、今俺が会いに来たキリもいた。
キリは占星術、つまり星を見る研究をしていたという。
もともと、どこかの貴族に雇われて星を見て占うという仕事を生業としていた一族だ。
といっても、この占星術は魔法ではない。
あくまでも、星を見ながら占うというもので、魔法的な効果を発揮するものではなかった。
一応、星を見て占うやり方そのものはあるが、それも貴族を相手にしてやる場合には相手を不快にさせないように受け答えするスキルが必須だったという。
そんな占星術師の一族として生まれたキリだが、その一族のなかでも変わり者として通っていた。
なぜならキリは女性だったからだ。
どうやら占星術を覚えて貴族の相手をするのは男兄弟のする仕事であるらしく、キリがそれを継ぐことはできなかった。
が、それ自体はキリにとってはどうでもよかったらしい。
キリは単純に星の動きを追いかけることが楽しいという天文バカだったからだ。
そんなキリがあるとき、最果てにある北の領地のフォンターナ領の中のさらに新興のバルカ騎士領で人材集めをしているという話を聞きつけた。
なにやら、われこそはという技術を持つ者を募集し、そこでバルカの騎士のお眼鏡に適えば魔法も授けてくれるというありえない条件だった。
この話を聞いて、キリはこの機会に賭けることにした。
どうやら、キリの一族の中でキリの天体に関する知識は誰よりもずば抜けていたらしい。
あまりに優秀すぎて一族内で持て余していたところもあったようだ。
親兄弟はキリがバルカに行ってみたいという話を聞いて、いくら攻撃魔法がない格の低い名付けだとしても女であるキリが名を授けられるはずがないと思ったそうだ。
それなら一度快く送り出してやって、挫折を味わって帰ってきてもらおうと考えた。
そうすれば、そろそろお転婆な面が落ち着いて嫁に行く気にもなるだろうとでも考えていたのだろう。
だが、そんな家族の思いとは裏腹にバルカにやってきたキリと直接面談した俺はすぐに採用を決めて専用の研究所も用意したというわけだ。
ちょっと話をしただけでもキリの天体の知識は非常に深いものであると感じたからだ。
対して、キリのほうもバルカに来たことを大いに喜んでくれた。
なぜなら、バルカにははるか遠方を見ることができる双眼鏡が存在していたからだ。
それを知り、俺から双眼鏡を見せてもらってテンションが上ったキリは、その後、バルカニアにいるレンズ職人と顔をつなぎ、天体望遠鏡の研究も始めた。
結果、俺もアドバイスしたのだが双眼鏡ではなく筒が一つの形をした口径の大きな天体望遠鏡試作機も完成させている。
「……というわけで、高精度の時計を作ることになったから、ついでにしっかりした暦が知りたい。資料を出してくれないか?」
「うーん、本当にそんなに高精度の時計なんて作れるの? それにね、素人のアルス君にはわからないかもしれないけれど、暦にもいろんな種類があるんだよ。どの暦を使うのさ?」
「いや、実はあんまりどれが暦として正しいのかよく知らないんだよな。どれが一番正確なんだ?」
「そーだねー。一般にわかりやすくて大衆向けなのが月を基準とした暦なんだけど、これは結構ずれるんだよ。月の光がない新月の日とその次の新月の日を一区切りにするのはわかりやすいけど、一年を通してみると数日ほど日数がずれるから、数年に一度は一年の中で一月分増やす必要がある。そういう意味では使いやすいけれど正確とは言えないねー」
「なら月じゃなくて太陽基準にした暦ならいいんじゃないの? 月の満ち欠けみたいに学のない農民でもわかるっていうようなものじゃないけど、もうちょっと正確なものができるんじゃないのか?」
「おー、さすがよくわかっているじゃないか、アルス君。そうだね、太陽を基準とした暦は月よりも正確だ。だけど、それでもやっぱり誤差はでるんだな、これが。数年に一度は一年の日数を調整する必要があるんだよね」
「……それくらいなら許容範囲じゃないのか?」
「なに言っているのさー! 正確な暦がほしいって言ったのはアルス君じゃないか。そこで諦めてどうするんだ。さあ、月や太陽を基準とするよりももっと正確な暦がないか、聞いてみてよ」
「おお、天才天文学者のキリ様にお聞きしたい。もっと正確な暦をどうかこの無学な私に授けていただけないでしょうか」
「ふふ、いいノリだね、アルス君。よし、それでは発表しようじゃないか。実はこのバルカに来て、天体望遠鏡が完成したからこそ使える暦があるんだよ」
「うん? 天体望遠鏡があるから使える暦?」
「そーそー。実は肉眼では見えない星がいくつかあってね。それを基準にした暦のほうが月や太陽よりも正確なんだ。大昔は使われていたそうなんだけど、今は使われていない太古の暦だよ」
「大昔に使っていたのに廃れたのか。てか、それなら何かしらの不具合があったんじゃないのか?」
「ううん、そうじゃないんだ。実はこれでも昔はわたしの家も貴族だったらしいんだ。といっても、もう魔法は失伝しているけどね。で、昔は我が家の魔法を使ってその見ることのできない星を観測して基準にしていた暦があったんだよ。だけど、我が家の魔法が無くなって、それが原因でその暦も使われなくなっちゃったんだ」
「え、キリの家ってもともと貴族家だったのか。けど、暦自体が正しいのならそのまま使ってればよかったのに」
「あはは、そうだよねー。でも、暦は権力者の都合で使われなくなるものもあるからねー。一度途切れたうえに貴族でも無くなったから存続しなかったんだ。復活させようとも頑張っていたんだけど、さすがに見えもしない星を基準にしたものをもう一度暦として認めさせて戻すのは難しかったってわけ」
「なるほど。それで双眼鏡を見てあんなに喜んでいたのか。で、その天体望遠鏡でキリの暦の正確性は証明できそうなのか?」
「ふっふっふ。実はそろそろこの話をアルス君にも持っていこうと思っていたんだよー。ほら、これを見てよ。ここ数年で起きた日食や月食の記録なんだけど、月や太陽の暦で予想される日食なんかの日付にはズレが生じているでしょ。でも、太古の暦だとずれてないんだ」
「ふーむ、なるほど。次に起こるはずの日食とかの予想が正しいほど暦も正確であるってことか。ふむふむ、たしかに月とか太陽が基準だとちょっとずれているっぽいね」
「でしょ。で、もう少しでまた日食が起こるんだよ。それも、今度は太陽が完全に隠れる皆既日食ってのがね。どうかな、アルス君。それがわたしの予想通りに起こったら我が家の暦をバルカで使うっていうのは?」
まじかよ、近いうちに皆既日食が起こるのか。
キリが俺に見せる資料を読んでいくと各暦ごとに少しずつずれている日食や月食の記録があり、どうやら太古の暦のほうが正しいらしい。
というか、こういう情報があるならもっと早く知っておきたかった。
下手したら見逃していた可能性もあるのだから。
俺はキリからもたらされた情報に驚きながらも、おそらくはこれは正しく起こる出来事なのだろうと感じていた。
キリにはもしちゃんと皆既日食が起こったら暦を復活させると話をつけてから、慌ててフォンターナの街の執務室へと戻っていったのだった。
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