命の水
「本を出す? カルロス様のか? ちなみにだが、それは誰に読ませるための本なんだ?」
「え……、誰ってフォンターナ領のみんなだけど……」
「だから、そのみんなっていうのは誰を指しているんだ、アルス? 各地を任されている騎士たちでいいのか?」
「いや、騎士だけじゃなくて領民たちにもカルロス様のことを知ってもらって、ついでに俺がそのあとを継いだのは正当なものだと説明をつけるつもりなんだけど……。駄目かな、父さん?」
「駄目だろうな。お前、父さんは今も文字は簡単なものしか読めないってこと忘れてないか? そのへんの農民たちも本なんかあっても読めるわけないだろ。騎士向けに本を出すっていうんなら別に反対はしたりしないが、フォンターナ領全体に本を配布するってのは明らかに無駄だぞ、アルス」
俺がペインと話をして決めたカルロスの葬儀について、その後、他のものにも話していたら父さんから反対意見が出た。
もちろん、カルロスの葬儀そのものに反対が出たわけではない。
だが、大衆向けにカルロス本を配布するというのは却下された。
理由は単純にして明快な「庶民のほとんどは文字を読めない」ということだった。
考えてみれば当たり前である。
文字の読み書きや計算ができない人に教えるための学校を作っているのだから当然である。
以前聖書を販売しようとして諦め、アダルトな絵を売り出したのは他でもない俺なのだ。
しかし、そのことをすっかり忘れてしまっていた。
だが、そうなるとちょっと方向転換する必要があるかもしれない。
俺が私利私欲のためにフォンターナ家を乗っ取ったのではなく、あくまでもカルロスという貴族家の当主をリスペクトしているということを庶民レベルで広めたいのだ。
特にフォンターナ家直轄領などは徴兵制までもを導入しているのだ。
大衆人気はあったほうがいい。
しかし、本がだめとなると何か代わりに俺がカルロスを尊敬してたことを証明し得る方法はないだろうか。
それも文字などを使わずに一般人にもわかりやすい形でだ。
「それなら、何かにカルロス様の名前をつけるっていうのはどうだ?」
「名前? カルロス様の名前をなにかにつけて、それが意味あるのかな?」
「父さんはあると思うぞ。ほら、前にお前がカイルの名前をダムに使ったことがあっただろ。あれのおかげでバルカ騎士領では今まで無名だったカイルの名前がそれなりに広まったんだ。あれがなかったら、いくらアルスの弟だからって、10歳にもなっていない子供が軍の指揮を任されても兵士たちはついていかなかったと思うぞ」
「……あのカイルダムにそんな効果もあったのか。けど、カルロス様の名前を何につけるのがいいのかな。すでにある既存のものに名前をつけてもあんまり意味なさそうだし、だからといって、今からカルロス様の名前を使った建物をたてるとなると時間がかかることになるし」
「うーん、そうだな。建物に名前をつけるのもいいけど、別にほかのものに名前をつけるのも悪くないと思うんだけどな」
「どういうこと? もしかして、父さんにはなにか考えがあるの?」
「いや、別に大した考えはないよ。アルスに色々言ったけど、別に父さんは頭が良くないから」
「考えついたことがあるなら言ってくれないかな。なんでもいいから」
「そうか? まあ、大したことじゃないんだけどな。グランさんみたいに新しく作ったものや自分の作ったものに名前をつける造り手もいるだろ? だから、これからフォンターナ中に広まっていくものにカルロス様の名前をつけさせてもらうってのはどうかなって思ったんだ。そうすれば、その品を見るたびにカルロス様のことを思い出すし、ずっと名前が残ることになるだろ」
「なるほど。日常的なものに名前をつけるのか。だけど、下手なものにカルロス様の名前を使うのも問題になるかもしれないけど……。というか、これからフォンターナ領全体に広まるものなんかそう簡単にないだろうし」
「いや、一応あると言えばあるぞ。間違いなくこれからどんどんフォンターナ領に広まる商品が。酒だ。アルスが去年開発した蒸留酒はこれから間違いなく広まっていくと父さんは思うんだ」
「そうか。酒があったか。確かに酒なら人名をつけてもいけるかも」
父さんに言われて思わず膝を打った。
たしかにそうだ。
今までこのあたりでは蒸留という技術がなかった。
それを俺が新しく導入して、蒸留酒という今までなかったものを作り出したのだ。
それにカルロスの名前をつける。
いいかもしれない。
カルロスも結構酒が好きなやつだったしな。
なんなら、カルロスが愛した酒だ、なんて言葉をつけて売り出すのもいいかもしれない。
フォンターナ領の領地を短期間で拡大した英雄的貴族のお気に入りだった酒といえば、売上が上がるかもしれない。
「ちなみに、父さんだったら蔵で寝かせている蒸留酒のどれがカルロス様の名に相応しいと思う?」
「そりゃ、間違いなくあれだろ。何度も蒸留して度数を上げて、炭で濾過したやつだ。なんだったっけ? あれはお前が作ったんじゃなかったか。たしか、ウォッカとか言っていたような」
俺が尋ねるとすぐさま答えを返してきた父さんの返答。
それは俺が作った酒だった。
といっても、原案は俺ではない。
あくまでも、前世の記憶から引っ張り出した蒸留酒の知識からできたものだった。
ウォッカといえば、ロシアなどの寒い地域でよく飲まれていた度数の高い蒸留酒だ。
蒸留を一度で終わらすことなく、何度も繰り返す。
そうして、非常に高い濃度の酒を作り出し、さらにそれを白樺炭などで濾過するという製法が取られるお酒だ。
もっとも、その製法をきっちりと知っていたわけではなかったので、あくまでもその知識をヒントに試しに作ってみただけだ。
だが、これが人によっては結構評判がよかった。
バルカニアではかつてグランの作った炉によって上質な炭を作る職人を育てていたこともよかったのだろう。
そのバルカの炭を使って濾過したウォッカもどきの酒は非常に度が強いにもかかわらず、癖が少なく割合飲みやすい酒になったのだった。
水や果汁などに薄めて飲めば、度数が高すぎて飲めない人でも楽しむことができる蒸留酒として完成したのだ。
それにウォッカは寒い冬の時期があるこの地域にも合う可能性がある。
飲めば体がカッカと熱くなるし、度数が高いゆえに水のように凍ったりしないのだ。
前世では命の水なんていい方をされているという話を聞いたこともある。
北の領地を統べることに成功した氷の貴族であるカルロスが凍ることのない命の水を作り上げた。
蒸留酒を広げていく際に使うエピソードとしても十分通用するのではないだろうか。
それに酒なら文字の読めない庶民でもわかりやすい。
意外といいアイデアなのではないかと思う。
こうして、俺は試作段階が続いていた蒸留酒作りの多くをウォッカあらため「カルロス」という酒に集中し、騎士などの上流階級向けのカルロス本と庶民向けの新酒の販売を通してカルロスをヨイショしつつ、俺の正当性も訴えていくことにしたのだった。
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