紙と文字
「あれ、何をしているの、アルス兄さん? バルカニアからフォンターナの街へ引っ越ししないといけないんじゃないの?」
「ああ、カイルか。いや、フォンターナの街への引っ越しはするよ。けど、今はまだ何の建物も建ってないからな。それができてからの話さ」
「向こうにいなくていいの? 新しく住む建物を建てないといけないんでしょ?」
「ああ、別に今回は俺が出向いて直接建物を作る必要はないしな。他の連中に任せてるよ」
「そっか。まあ、急に引っ越すのは難しいよね。領地の仕事の引き継ぎとかもあるし」
「ま、うちはカイルがいるからそのへんのことは割と楽だけどな。俺が戦でいない間もなんとかしてくれてる実績があるから、安心して任せられるし」
「ボクにそこまで期待されても困るんだけど。グラハム家の人達もいなくなったから人手不足なんだよ?」
「頼りにしてるよ、カイル。ヘクター兄さんもエイラ姉さんと離れずにすんで喜んでたし、兄さんと一緒に協力してバルカニアを運営してくれよ」
「うん、わかったよ、アルス兄さん。……で、さっきから何をしてるの? ずっと紙に文字を書き続けているみたいだけど、本でも作るつもり?」
「ああ、これか。いや、自分の本ってわけじゃないんだけどな。【記憶保存】で覚えた内容を書き写しておこうと思って」
ウルク家とアーバレスト家との戦いが終わり、俺はバルカニアへと帰ってきた。
今後はフォンターナの街に住む必要があるとはいえ、それなりに準備がかかる。
カルロスも領地にいる騎士たちにすぐさま移り住めというほど鬼ではなかったようで、多少の猶予期間が設けられていた。
そこで、俺はバルカニアにあるバルカ城の執務室でひたすら文字を書き連ねていたのだ。
何を書いているかというと本を丸写ししているのだ。
といっても、手元に別の本があり、それを筆写しているというわけではない。
【記憶保存】という魔法を使って覚えた本の内容を紙へと書き起こしていた。
なぜそんなことをするのか。
それは俺が【記憶保存】した本がすでにこの世に無くなってしまっているからだ。
俺は西のアーバレスト家との戦いで、アーバレスト領を西進してアーバレストの騎士の館を次々と落としていった。
バイト兄を先頭に騎兵で突撃し、見つけた騎士の館を手当たり次第に攻略していたのだ。
そして、その落とした騎士の館で食料を補充したあと、館へと火を放った。
これはなるべくアーバレスト領に被害を出すことで、もしかしたらフォンターナ領へと向かって軍を進めていたアーバレスト家の軍勢の目を引き付けられないかと考えたからだ。
が、騎士の館へと火を放つというのはやはりもったいないという思いもある。
領地を任される騎士というのはどこもそれなりに歴史があり、様々な貴重な品を持っていることが多いからだ。
そのなかには当然本もあった。
貴重な物品なら多少は持ち出せるかもしれない。
武器などであれば自分たちでも使えるからだ。
だが、本は持ち出せなかった。
敵地であり、作戦進行中の余裕のないなかでかさばる羊皮紙の本を持ち運ぶことなどできなかった。
が、本を焼くというのはなんというかものすごくもったいなかった。
もしかしたら、この中には歴史的にも学術的にも重要なものがあるかもしれない。
というわけで、仕方なく自分の頭の中に保存することにしたのだ。
目にしたものを一瞬で完全に記憶することができる【記憶保存】という魔法を使って。
だが、この行動には大きな欠点があった。
記憶した本の内容を再び現世へとよみがえらせるためには自分の手で書き起こさねばならなかったのだ。
ぶっちゃけて言うと、恐ろしくめんどくさい。
この世界の貴族的な表現方法盛りだくさんの文章なども多く、全く馴染みのない文章を間違いの無いように書かねばならないのだ。
しかも、紙とインクを使っているので、パソコンなどのように誤字脱字をすぐに修正することも難しいときた。
正直、最初のほうですでに心が折れかけていた。
「ってわけで、俺はしばらくの間、文章の書き出しに時間を取られるかもしれない。緊急事態があったときは声をかけてくれないか、カイル」
「それはいいんだけどさ。一つ質問してもいいかな、アルス兄さん?」
「ん、なんだ?」
「前から気になっていたんだけど、なんで植物紙にインクを使って文字を書いているの? なにか理由があるの?」
「は? どういう意味だ? インクじゃなくて別のもので書けってことか? もしかして鉛筆とか他の筆記用具を作れとかいう話か?」
「うーん、そうじゃなくてさ。別にインクなんかなくても文字は書けるでしょ?」
「……お兄ちゃんにはカイルが何を言いたいのかわからないんだけど。つまり、どういうことだよ?」
「だからさ、こうやって紙に魔力を通せば文字が書けるよね? 筆記用具なんかなくてもいいんじゃないの?」
え?
なにそれ。
カイルが何も持たない手で一枚の紙を手にして、その紙に魔力を通した。
するとその紙には文字が書き込まれていたのだ。
なんのマジックだよ。
慌ててその紙をカイルから受け取って紙を見つめる。
……インクとは違うようで、どちらかというと紙を焼き付けて印字しているような文字のようにも見える。
カイルの魔力に反応したのか?
もしかして、この紙を作るときに魔力回復薬を使っているのが関係していたりするのだろうか。
「なんでそんなことができるの、カイルくん?」
「なんでって言われても、やったらできただけだよ。普通できないの?」
「俺の中では紙に文字を書くのはインクが必要だという認識があるからな。魔力を通すことなんて考えもしなかったよ。よく気がついたな、カイルは」
「図書館で筆写している人たちにも言われてたからね。字の書きすぎで腕とか肩とかがしんどいって。だから、手を使わないで字をかける方法を考えたんだ」
「そうか。だけどこれは楽だな。魔力を通すだけで字がかけるなんて手間が省けるよ」
「うん、そうだよね。魔法化したらみんな喜んでくれたよ」
「……はい? 魔法化って、なんのことだ、カイル?」
「え、だから文字を書く魔法のこと。頭で考えた文章を紙に書き出す魔法。【念写】って言うんだよ」
【念写】。
紙を手にして考えた文章を書き出す魔法。
それをカイルはすでに呪文化させていたらしい。
俺たちが西に東にと移動してドンパチやりあっている間に。
まじかよ。
すごすぎるよ、カイルくん。
俺も真似して次々と紙に魔力を送り込み、【記憶保存】した文章のコピーを書き出していった。
文字にあわせて魔力をコントロールするという技術が必要になるが、今まで手で書くという手間がないぶんだけ恐ろしく作業効率がいい。
というか、カイルが【念写】という魔法を作ったということはリード家の人間は全員これが使えるのか。
こうして、知らない間にバルカには印刷技術がわりの魔法が誕生していたことに俺は気がついたのだった。
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