臨床試験
「そういえば、さっきミームさんと言っていたのは何のことですか、バルカ様」
「さっき言っていたこと? 何だっけかな」
「治療効果を確かめるために実験するとかどうとか、二人で話していたじゃないですか。もしかして、生きた人間までを実験材料にしようとか考えているんじゃないでしょうね」
「そりゃ今現実に行われている治療法の効果を確かめるには実際の病人にやらなきゃ話にならないよ。何当たり前のことを言ってるんだか」
「うわぁ。そこまでやるつもりなのですか、お二人は。さすがにそれは私も手を貸せませんよ。人体実験なんて恐ろしいことは」
「言い方が悪いだろ。臨床試験だよ。実際の病人に対して治療のデータを取るかわりに治療費の負担を軽減するだけだ。格安で治療を受けられるんだからウィンウィンの関係だと思うよ」
「……本当ですか? 夜な夜な怪しげな薬を調合して嫌がる人に無理やり飲ませたりはしないんでしょうね、バルカ様」
「そんなことしないよ、画家くん。ミームはともかく俺はまともな感覚を持つ真人間なんだから」
「……まあ、そういうことにしておきましょう。ということは、実際に病気を持つ患者さんに対して治療をして、治ったか治らなかったかを調べてデータ化するってことですね。そうなると絵を描く必要はないから、自分には関係なさそうですね」
「いや、そうだな。画家くんも臨床試験には参加してもらおうか。病気によっては特徴的な身体の変化が現れるものもあると思うから、それを描写してもらうことにしよう」
「……そんな、しまった。藪蛇だった。バルカ様、わたしは絵が描きたいです」
「安心しろ。これ以上ないってくらい描かせてやるからな」
「うう、本当になんでこんなことになったんだ。夢の画家生活がこんなことになるなんて……」
「泣くほど嬉しがってくれて俺も嬉しいよ。ああ、それとさっきの臨床試験の話だけど、単純に治ったか治らなかったかだけをみるつもりじゃないから。データ取りもお願いすることになるから覚えておいてね」
「え、違うんですか。どうするんです?」
「ミームにはもう説明してあるけど、比較試験ってのをやろうかと思う。そっちのほうが治療効果がよく分かるはずだから」
まだ人体解剖図は完成していない。
だが、画家くんが解剖が終わったあとの臨床試験について関心を持ったようだ。
どうせミームだけに任せるわけにもいかないので、今のうちから画家くんも巻き込んでおこう。
そう思って今から少し話をしておくことにした。
治療効果の判定について。
俺はあまり詳しいやり方を知っているわけではないが、前世ではテレビなどで医学情報を取り扱うものも多かった。
その中で聞いたことを思い出してミームへも説明しておいたことがある。
それは、治療の効果を確かめる方法として、単純に病気を持つ患者に治療をして治ったか治らなかっただけを論じるのは正確ではないということだった。
実際に治療をして治るのであればそれは有効な治療法ではないか。
テレビで見たとき、俺はそう感じたことがある。
だが、実は全く効果がなくとも治るケースというのもあるのだそうだ。
例えばどこかの医大の教授といった偉い先生に診てもらい治療をしてもらったら、普通は「これでよくなるだろう」と根拠などなく思う人が多いのではないだろうか。
あるいは、病気によく効くという話がある薬を飲んだ場合もそうだ。
実際には効果がないものであったとしても、人は思い込みだけでも治ってしまうことがある。
プラシーボ効果とかいう現象だ。
おそらく、この世界でもよくわからない医者が自分なりの治療をしているが、このプラシーボ効果で治っている人も多くいるのだと思う。
治療をしたら体が治った、というだけでは実際に効果があったのかプラシーボ効果が働いたのかわからないのだ。
故に、比較して効果を検証する必要があるらしい。
薬の効果を調べるのであれば、効果を調べたい薬を飲んだ場合と、飲まなかった場合を調べる必要があるのだ。
よりきちんとしたデータがほしいなら、毒にも薬にもならない偽薬を飲ませることもあるという。
同じ病気の患者を2つのグループに分けて、薬を飲んだ場合と偽薬を飲んだ場合でどの程度治る確率が違うのか、あるいは同じなのかを検証する。
そうして、2つのグループの結果を比べる比較試験という方法を用いてこの世界の治療方法の効果の程を確かめてみようと思う。
まあ、実際にはもっと細かい手順が必要なのだろうがそのへんはよく知らないのでこのくらいでも十分だろうと割り切っておこう。
「えっと、ようするに実際に治療をするグループとそうじゃないグループを比べるってことですね。めんどくさくないですか、それって」
「ま、どうせ臨床試験はするつもりなんだし、これくらいはやっておこう。武器軟膏の話みたいになっても嫌だしな」
「武器軟膏? なんですか、それ?」
「間違った実験方法で間違った治療方法の効果が証明されて広まる話だよ」
武器軟膏というのは前世の中世時代にあった話だ。
戦場で武器によって傷つけられた患者を治すために、患者の体ではなく武器の方へと軟膏を塗っていたのだ。
これが当時は実験によって治療効果を確かめられて最先端の治療方法として認められていたらしい。
普通に考えたら、武器に軟膏を塗って人の体が治るはずがない。
だが、なぜ当時そんなことになったのか。
それには理由があったのだ。
この話では当時の実験のやり方が間違っていたことが原因に挙げられる。
その時は、患者の体に軟膏を塗った場合よりも武器に軟膏を塗った場合のほうが治る割合が高くなったのだ。
なぜ、そんなわけのわからないことになったのか。
それは当時の軟膏、つまり薬に動物の糞や泥など人体に悪影響を与えるものが練り込まれていたからだ。
つまり、この話を正しく理解すると、中世時代の一般的な治療を受けるよりも、武器に軟膏でも塗って人の体は自然治癒力に任せておいたほうがはやく良くなるということだったのだ。
「ま、そういうわけでデータを取るなら間違いのない方法でやりたい。協力してくれるよな、画家くん」
「まあ、話を聞く限り、面白半分で人体実験をしようってわけじゃなさそうですしね。わかりました。協力させてもらいますよ、バルカ様」
どうやら画家くんは納得して協力する気になってくれたようだ。
だが、果たしてこの臨床試験は実際のところ、どの程度の影響があるものなのだろうか。
回復魔法などが存在している時点で、俺の知る常識とはかけ離れている。
武器に軟膏を塗っても治る魔法がある可能性もある。
ミームではないが、どんな結果が臨床試験から得られるのか、始める前から少しワクワクしていたのだった。
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