悪魔
カイルとビリーに言われて、俺はこの日初めてヴァルキリーに固有魔法があることを知ることとなった。
【共有】、それがヴァルキリーの魔法だそうだ。
【共有】という魔法を持つヴァルキリー同士で魔力と授けられた魔法をやり取りしているのだという。
本当にそんなことが可能なのかとも疑問に思った。
だが、どういう理屈かはわからないが実現不可能な魔法というわけでもないのだろう。
というのも、俺もそれに近い技術を知っているのだから。
他者に名前をつける名付けという行為によって、他人へと自身の魔法を授けて、その対象者からは魔力を受け取る。
この魔導システムとヴァルキリーの使う【共有】という魔法はどこか似ているのではないかと思ったのだ。
遠く離れた相手であっても遠隔でやり取りすることができるのだ。
もっとも、自分でそんな魔法を作れと言われても、俺には全くイメージできないので作りようがないのだけれど。
そんなことを考えながら、俺が牧場からバルカ城へと戻ってきたときだった。
「いた! バルカ様。ようやく見つけましたよ」
「ん? ああ、どうしたの、画家くん?」
「今日という今日は言わせていただきます。わたしはもうあの仕事を続けていけません。ぜひお暇をいただきたい」
「またかよ。もう何回目だ、そのセリフは」
「何度も言わせていただきます。もう限界なんです。わたしは画家になる夢を志して、このバルカニアへとやってきたのですから」
「だから、絵を描く仕事をしてもらってるんじゃないか」
「あなたはあれが絵描きの仕事だと? 本気でそう言っているのですか、バルカ様」
「絵を描く仕事なんだから間違いではないでしょ。それに人体の構造についてしっかりと理解するのは絵描きにとっても大切なことだと思うよ。画家くんは目を閉じても絵を描けるって豪語していたけど、もっとデッサンの練習をしたほうがいいんじゃないかな?」
「あれが絵を描く練習だとバルカ様は本気でそう思っているのですか? あのようなことは天に唾する行いだ。いずれ災いが降り注ぐに違いありません」
「大丈夫だよ。教会のパウロ司教にも許可もらったし。神様も許してくれるよ」
「ああ、なんということだ。神はわたしになぜこのような試練をお与えになるのだ……」
「いいから、はよ仕事に戻れ。ほら、いくぞ、画家くん」
「いやだ。戻りたくない。バルカ様は自分でやらないから知らないのですよ。なぜ、わたしが人の臓腑を描き起こさなければいけないのですか」
「医学の発展のためだよ。みんなの命にかかわる重要な仕事だ。さ、戻るぞ、画家くん」
俺に話しかけてきたのは絵描きを志してバルカニアへとやってきた画家のモッシュという青年だ。
彼は目を閉じても精巧な絵がかけるというアピールをもとにカイルの持つ魔法を授かりにバルカへとやってきたのだ。
その画家くんに俺が目をつけた。
最初は地図作りでもさせようかと思ったのだが、実際に雇ってみてから別の仕事を与えている。
それは人体の絵を描くという仕事だった。
といっても、画家くんが非常に嫌がっているように、単純なデッサンをさせているわけではない。
彼には人体解剖した人体の部位を詳細に絵に描き起こす作業をさせていたのだ。
まあ、嫌がるだろうとは思っていたが、こうして何度も職を辞すると俺に言いに来ている。
なぜ、ここまで嫌がる画家くんに人体の不思議の解明をさせているのかと言うと、このあたりの医学が非常に未発展だからに他ならない。
このあたりにも薬草などを使った薬を作る者などがいるのではあるが、そのどれもが民間療法みたいなものなのだ。
もちろんそれらの医療をバカにするつもりは毛頭ないのではあるが、「本当にそれは効果があるの? 逆に人体にとって害にならないの?」と思うものもそれなりに多くあるのだ。
特に衝撃を受けたのが、今年あった戦での出来事だ。
フォンターナ軍でも当然命を失った者や傷を負った者もたくさんいる。
その中で、手当てと言って治療を行っている光景なども眼にしたのだ。
だが、その中に驚くべきものが存在した。
動物の糞を入れて薬を調合している者がいたのだ。
俺の中では当然、動物の糞などは不衛生極まりないものだ。
だが、それが意外と治療効果を発揮する可能性がないとは言えない。
なにせ、この世界には魔法が存在し、俺の知らない魔力回復薬などといったものも実在するのだから。
もしかしたら、動物の糞が特効薬の材料になりえるかもしれない。
魔法を使う動物がいる以上、完全否定することはできない。
が、だからといって、俺が傷を負ったときにそんな薬を塗りたくられたくはない。
そういう思いがあったがゆえに、俺は医学を少しでも進歩させたいと思ったのだ。
その第一歩が画家くんによる人体解剖図の作成というわけである。
まずは、この世界における人類の構造がどうなっているのか。
それを知っておかなければ、治療効果について述べることもできないだろう。
そう思って、新たに雇った画家くんに仕事を押し付けたのだった。
「バルカ様、わたしにお慈悲を。もう本当に限界なんです。無理です。辞めたいんです」
「そうか。……ところで画家くん、話は変わるけど、実は最近こんなものを手に入れてね。キレイな青色の絵の具の材料になるものだとかいう話だったんだが……。まあ、仕事を辞めるなら君には関係ないかな。忘れてくれ」
「バルカ様、ちょっとそれを見せてください。……ああ、これは、幻の鉱石と言われるものではありませんか。こ、このようなものがわたしの目の前に」
「ずいぶん貴重なものだという話だったからね。高かったし、手に入れた量も限られている。もう二度と手にはいらないかもしれないな」
「ああ、……ああ、……っく。しかし、わたしは……」
「さ、もういいだろう。それはバルカ専属の絵描きのために手に入れたものだ。返してもらおうか」
「い、いやです。これは返せません。わたしがこれを使って絵を……」
「何言ってるんだ。バルカを出ると言っていたのは君だろ。さあ、返してもらおうか」
「……ああ、神よ、お許しください。わたしは……、わたしは悪魔に魂を捧げなければならないようです」
「誰が悪魔だ、だれが」
「バルカ様、わたしはバルカ様のお仕事を続けようと思います」
「辞めたいとか言ってなかったっけ?」
「いえ、そのようなことはありません。わたしはこのバルカに雇われた栄誉ある画家なのです。いずれ誰もが認めるような名作を描くのです。今、やめるなどありえません」
「そうかそうか。じゃ、仕事場に戻ろうか。君の絵描きとしての仕事が待っているよ」
「はい……、わかりました……」
辞める辞めるとうるさい画家くんだが、どうやら無事に残ってくれるようだ。
彼の画家としての才能はどれほどのものかは俺にはわからないが、絵が精密で細かいところまで妥協せずに描いているということは俺でも分かる。
せっかく人体解剖図を描くのであれば、適当に済まさずに描き込む彼に仕事を任せたい。
こうして、今日もバルカの絵描きは悪魔に魂を売り渡しながら貴重な絵の具の材料を手に、人体の解剖図をかきあげていくのであった。
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