剣奴脱出3
ギャラリーは私達の試合に興奮し、歓声を上げている。
劣勢の中、研ぎ澄ました鋭い一撃で、格上の相手に勝利する少女は、見ている者達に大きな感動を与えた。
私は膝をついて、折れた棍を杖代わりに、倒れないように耐えている芝居をしている。
ディアナの突きが生身の人に与えるであろう、ダメージを再現して、しっかりと敗者を演じているのだ。
「それまで。場外により、ディアナ殿の勝利とする」
組合の声にギャラリーはさらに沸き、指笛や賛辞の声が鳴り響く。
リュー君は、私が倒れた事に動揺したのか、探知の糸を私がダメージを負った辺りに集中させている。
ブラドは興味を失ったのか、修練場を出て行く後ろ姿が見えた。
私は重い足取りで修練場を出たが、ディアナの刺すような視線が絶える事はなかった。
―
お祭り騒ぎの冒険者組合を抜け出して、タニアの家まで退避した。
「ユズさん! 怪我や痛いところは、本当に無いんですね」
私の演技を心配したリュー君が、しつこく気を使ってくる。
「大丈夫だよ。ほら、なんともないでしょ?」
服の側面にある大きなスリットの布をずらして、肋が無事である事を見せると、リュー君は真っ赤になって後退りした。
「だ、駄目です! こ、こんなところで肌を見せては!」
私の肋に狼狽する要素があるとも思えないが、リューの反応は、いちいち乙女だ。
過去の経験がトラウマ化しているリュー君の心は、強固な貞操観念によって保たれている。
「私の演技、なかなかだったでしょ?」
武国、欲国、新月国を経て、私が記憶した人の数は10万人に届く勢いだ。
人の喜怒哀楽衣食住生死の膨大なサンプルがあり、それを再現する技能もある。
木剣で肋を破壊されたヒトの呼吸、血色、筋肉の動きを演じる事など、容易いのだ。
「ユズさんが普段しない事なので、驚きました。もう少しで、相手の方を倒してしまうところでしたよ」
さっきの試合終了後にリュー君の探知の糸は、私だけでなくディアナの急所にも向けられていた。
相手に気付かれる事無く、ロックオンして、急所を弾で射抜くのが、リュー君の戦闘スタイルだ。
私が基礎を発案して、タニアとの冒険者業で磨かれた技は、危険地帯の生物を一撃で狩る。
間合いが遠ければ、タニアすら圧倒しそうな実力が、リュー君にはある。
「リュー君。タニアからも言われていると思うけど、冒険者は自衛以外、町では殺意を見せないものだよ。命を奪った者と奪われた者がその後どうなるか、リュー君はもう知っているよね?」
「はい。取り返しのつかない事になります。さっきは体が勝手に動いてしまいそうだったので、自分でも驚いています。次は無いように気をつけます」
リュー君は私の言う事を聞きすぎる。
先程放った殺気は、リュー君の感情から出たものだ。良い結果にならない行動であったにしろ、リュー君が自発的に求めた事だ。
人は感情を抑制されると、反発するものだ。表に出さなくても、反抗心は必ず宿る。
しかし、リュー君は私の言葉に少しも反抗しない。私のようになりたいというリュー君の望みが、呪いのようにリュー君を縛っている。
私はリュー君の呪いを解く方法を見つけられていない。それどころか、他人の人生を意のままに操る事に、正当性を見いだそうとしている。
今はただ、リュー君を呪いから救い出してくれるヒーローが現れるのを待っている。これ以上、呪いが深くならないように、私の中身が漏れないようにしている。
「私に用事のあるお客さんが来るみたい。リュー君、組合長に伝言をお願いできるかな?」
「今からですか? わかりました」
リュー君には席を外してもらって、客を待った。
―
真剣を携えて、ディアナが現れた。
ヤクトの地理や事情に疎いであろう彼女が、私を探す事が出来たのは、探知の術に長けているからだろう。
恐らくは、熱記憶や空間記憶といった、痕跡から目標を辿るタイプの術を使用していると思われる。
扉を壊されても困るので、招き入れた。
「あなたは何故負けたのですか?」
勧めた椅子に座る事もなく、ディアナから問いを投げつけられる。
言葉のトーンは穏やかだが、心中は激情と焦りが入り乱れている。
「負けようとしている相手に負けるにはどうしたら良いのか、その方法を試してみたかったからかな」
ディアナは高速で抜刀すると、美しい刃紋の長刀を私の首に寸止めした。
「そんな下らない理由で勝負を汚したのですか! あなたも剣星位六十二の代理ならば、その役目を正しく果たしなさい!」
声は強く凛々しいが、心は至って冷静で怒気のカケラもない。剣士の矜持も偽りで、方便として語っている。なんと嘘に塗れた子だ。
「私は勝負事の高潔さよりも興味を優先する性格なので。それに、剣士ではなく冒険者なので、儲かる方を選ぶかな」
さりげなく、私に負けを指示した存在がある事をほのめかす。
「商売道具の体を壊してまでやるのですから、よほど実入りが良かったのでしょうね。ただ、あなたは判断を誤った。わたくしが直ぐに剣星位を狙いに来るとは思っていなかったようですね。その体で、真剣勝負になれば、命はありませんよ」
ディアナは言葉とは全く異なり、剣星位など欲していない。私から何か引き出したい。そういった感情にとらわれている。
「私の命は、あなた次第という訳だね」
「さすが、お金の為に武を使う者は、交渉事に聡いですね。命を散らしたくなければ、わたくしに協力しなさい」
「協力しようにも、体が治らなければ何もできない。私ら頭を使う仕事はあまり得意ではないよ」
「あなたが操術士である事は分かっているのですよ。そんな痩せた娼婦のような体で、武術を扱える訳がありませんよ。恐らくは生まれつき操術が使える深操体質なのでしょう? 体の操作さえ術力を使う者ならば、その体であの技を繰る事が出来ます。それに、深操体質ならば、骨や筋肉の修復も早いと聞きます。あなたは、後数日で回復するはずですよ」
ディアナは勘違いしているが、私の体に支障が無い事は見抜いていた。
人は、理解不能な出来事に会うと、今までの経験の中から答えを導こうとする。
ディアナは、私の体質を操術と決めつけていた。
操術とは、術力を物体に浸透させ、意のままに操る術だ。
以前、ブラドの部下と闘技会をやった際、刃しかないナイフを大量に仕込んでいる人がいた。
後の調べで、そのナイフは飛魚刀という武器である事が分かり、操術士には一般的な武装なのだそうだ。
武器を操る為に全く肉体を使用しない、そんな操術士の体は、確かに貧相だった。
「それで、私が協力しないといけない事とは、何なのかな? 人の命を奪う事でないならば、大体の事は出来るよ」
ディアナは、長刀を鞘に納めて椅子に座った。
「あなたには剣奴連国に来てもらいます。協力してもらいたい事は、向こうで話します。何、心配しなくても、時期が過ぎれば帰ってもらって結構ですよ」
計画通りに事が運んだようで、ディアナの心には余裕が出てきていた。
私がこれまで出会った文明界人は、大体私の真実に到達し、私をどうにかしようという人は居なかった。
ディアナのように勘違いして、利用しようと私に近づいて来た人は初めてだ。
私は今までにない程の好奇心が湧いている。
剣奴連国、俄然、行ってみたくなった。




