武刻脱出7
文明界では国家間で平和条約を結ぶ事がある。争いによって益を生む事がないと認識し合っている国家が用いる生存戦略だ。
和平で益が生まれる程度に、文明界は満ち足りているのだ。
奪い殺す以外に生存が許されないような過酷な世界ではないが、武国という国は戦争を生きる糧にしている。
武国が戦争する表立った理屈は単純だ。今あるどの国家より、武国は優れていると思っている。無能な他国家は民を緩やかに殺しており、武国はその救済をしているのだと言う。
武国は武力で他国を制圧し、民を解放しているらしい。
だからこそ、狩猟元帥シュラが平和条約を口にするということは、武国への反逆に他ならない。
狩猟元帥領内のオビトは自治を認められているように見える。しかし、平和条約を結ぶ権限は持っていないだろう。
武国内のどの領地でも、そのような事例があった事は無いのだ。
「平和条約を私と結ぶ価値があるかどうかは置いおくとして、その発言は武国としてのモノですか? それともあなたからのモノ?」
「武国は関係ありません。全ての狩人を束ねる者としての言葉です」
内心を恐怖で満たした狩猟元帥が笑顔で答える。
事の重大さに気が付いているのはタニアだけだ。
狩猟元帥の発言が真実ならば、武国ではこれから分離独立の内戦が始まり、隣接する欲国西部への影響も計り知れない。
「あなた達は武国から独立して、私と和平を結ぶと言っているように聞こえますが、間違いありませんか?」
「ユズカさんの仰る通りです。僕達はあなた達とだけは敵対したくない。他の何を敵に回そうともです」
狩猟元帥は恐怖に満ちており、その思考は複雑に乱れているが、発した言葉に嘘は無いようだ。
「敵対したくない割には、あなたの案内人は攻撃的でしたよ」
「嘘を言っても無駄なので、真実をお話ししますが、僕はあなた、いや、あなた達を認識してから、あらゆる手段で情報を集めました。特にどれ程の脅威であるのかは入念ね。案内人のシキは、あなたの理性と本音を理解する為に、敢えて感情的になってもらいました。まさか、制動術具が発動するとは思いませんでしたが」
涼しい顔で狩猟元帥は裏を明かす。
「それで私は交渉相手になると判断された訳ですか」
「気分を害されているようなので白状しますが、僕達がどれ程策を練り、あなた達を利用し貶め、挙句殺そうとしても、全て無為に終わると思っています。双方誰一人死ぬ事無く、僕達の策は徒労に終わります。だから和平を結ぶ以外に手段は無いと考えているんですよ」
私にとっては以外な答えが返ってきた。人心を掌握し、策に長けた狩猟元帥であれば、必ず厄介な交渉をして来ると思っていた。
私には感情や嘘を見抜く能力はあるが、人の思考を読み取る事は出来ない。加えて世界の情報に疎いので、交渉事は出来ればやりたくなかった。
「和平を結んでも、互いの都合で反故にすれば無意味なのでは?」
「僕の調べだけで、あなた達には小手先で一国を滅す力があることがわかっています。そんな上位者である者が武国の法に従い、僕等が責を問われないように振る舞われた。法に従う必要の無い者が法に従うのは、僕等の生存になんらかの価値を見出しているからだと思っています。ですから、あなた達は和平を結べば一方的に破ることはしない。問題なのは僕が信用してもらえるかどうかです」
狩猟元帥は狩人を守る事を第一に考えている。それだけは明確に伝わって来る。何が彼をそうさせるのかは分からないが、恐怖の根幹には狩人を失いたく無いという気持ちがあるようだ。
「和平を結んだとして、何が変わりますか? 私はあなた達と敵対していないし、あなた達も私に攻撃していない。特に変化が必要だと思いませんが?」
「僕達が避けたいのは、何かと戦いになる場合、相手陣営にあなた達がいる事です。それを事前に知り、戦いを回避したいのです。あなた達の状況を定期的に知る方法があれば、僕達の言う平和条約は完成します」
私との戦闘は絶対に避けたい。立場が逆なら私もそう思う。私としても争いが避けられるなら、それに越した事は無い。
「別に居場所を教えるくらいならいいですよ。私はあなた達と戦いたくないし、武国も敵に回したくないです。連絡手段はどうしますか? 何かそちらで希望があれば沿いますよ」
「良かった。和平の証は、連絡手段の術具をお渡しする事とさせて頂きます」
狩猟元帥の懐から、巻貝のような形をした術具が取り出され、敷物の上に置かれる。黒斑のオビトが術具をお盆のような物にのせ、私の目の前まで運んだ。
「これは離れた狩人が連絡し合う術具ですね」
「ご存知のようですね。木霊笛という術具です。単独では距離が離れ過ぎると使用出来ませんが、中継用の術具を持った狩人が、世界の各都市に潜伏しています。あなた達ならば、直ぐに発見出来ると思いますので、狩人に近づいてから使用すれば、距離に関係無く使用出来ます」
なんか昔の電話みたいな仕様の術具だ。使い方はオビト達を見ているので良く知っている。
オビトが木霊笛を使って諜報活動や戦争をしているのであれば、組織としての強さは段違いだろう。
「さて、私の用事は後、キリンという名前を返せば終わりなんだけれど、当人はこの森城にはいないようなので、行き先をご存知なら教えてもらえますか?」
「キリンは今、深界にいます。残念ながら直ぐに戻ってくることは出来ませんので、お会いになりたい場合は、外界の奥に進んで頂く事になります」
深界と呼ばれる場所が、外界のどの辺りを指しているのか不明だが、私の知覚内にキリンちゃんはいない。
キリンちゃんの戦闘能力では、破壊神の舌圏内で生命維持する事は出来ないだろう。黄色い沼も恐らく無理だとすると、大地溝帯の辺りだろうか。
「場所を教えてもらえれば、私が1人で行きます」
「キリンの居所は極秘なので、僕しか知りません。後で案内しますよ」
狩猟元帥のそんな言葉で、場はなんとなく収まり。多少の談笑をした後、一旦解散となった。
――
キリンちゃんに会うという用事の為に、私達はしばらく森城に滞在する事になった。
10人は寝起き出来る一区間が私達の居住スペースに割り当てられ、私達は適当に部屋を選んで落ち着いていた。
森城では狩の内容によって狩人が数人のグループに編成され、同じ区画で寝起きを共にする。
私達は一種の狩猟グループとして扱われており、区画内の行動であれば、特に制限は無い。
飛行艇で運んだ荷物は、森城の規定で持ち込みが禁止されている物以外は、持ち込むことが出来た。
事の重大性に気が付いているタニアが、落ち着かない様子で私の部屋に居る。
「まずいぞ。武国の内戦なんて起きたら、欲国西部に難民が押し寄せて、無茶苦茶になるぞ」
「まぁまぁ、そんな事よりドリスさんの借金みたな奴、取り立てなくていいの?」
「猟証の取り立てなんて、それこそ後でいいんだよ! 早く内戦の事を冒険者組合に伝えないと、ヤクトなんざ一月で廃墟になるぞ」
「私の予想だと内戦にならないから、そんなに心配しなくていいと思うよ」
タニアははぁ!?という目つきで、私の方を見ている。
「どう考えたら内戦にならないんだよ! 武国はそんな甘い国じゃない。逆らう者には徹底した絶滅戦をするんだ。それで滅んだ国が幾つもあるんだよ」
「狩猟元帥が今の領地を維持しようとするならそうなるね。でも、狩猟元帥がやろうとしている事は、新天地への大移動だと思うんだよね。確証は無いけど下準備は終わっている感じがするね」
「新天地ってどこだよ。そんな都合の良い場所無いだろ」
「新天地は多分ここだよ。皆んなで外界まで逃げて、新たな国をここに作るつもりじゃないかな」
隠されてはいるが、森城には以前になかった大量人員受け入れのインフラが構築されつつある。
領地防衛であれば、全森城から戦力を防衛ラインに移動させるはずだが、そういった準備も無い。
「お前、それ、どれくらいの確度なんだ」
「八割かな」
「ハチって、それほぼ確定だろ。お前には大移動の仕掛けが見えてるんだな?」
「中核になる要素が全く見えないけど、端々には確度の高い情報が揃っているよ」
タニアは少し冷静さを取り戻して、窓の外を見ている。
「時期はいつなんだ?」
「恐らく1月以内には起きそうだね」
「そうか、なら冒険者組合への連絡は後でいい。あたしは少しやる事が出来たから、お前の用事が終わったら単独行動させてもらう。その間はお前がリューンクリフと一緒に居てやれよ」
窓の外で高い木の上にある物見小屋に登るリュー君の姿が見えた。
こうして見れば好奇心旺盛な普通の子供だ。思えば最近リュー君と過ごす時間はあまりなかった。
あの森を出てしばらく経ったが、私にも失いたくないモノが増えていた。




