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月禍脱出10

 たった1試合でお通夜ムードになってしまった。


 元々、拳闘元帥軍の戦意を削ぐ事が目的なので、現在の状況は大成功と言っていい。


 弱い者イジメという行為は、相手に共感を持っていない事で成立するわけだが、私の場合は共感どころか少しの感情の揺らぎまで感じ取れるので、場と共有している不快感は凄まじい。

 こうなる事は分かっていたので、闘技場を作ってみたりして、気を紛らわせていた。


 強者の矜持がある人達を頭から抑え付けているので、場に蔓延しているストレスオーラが酷い。

 シキの強さが場内で最高クラスであった影響も大きい。あれ程の力と技量があり、最後まで諦めない姿勢もすばらしいのに、私の舐めプレーで処られた事が皆の心に突き刺さっている。

 さらに、私は相手に最もストレスを与えるであろう仕事を残している。彼等が最も信頼している最強の存在を、目の前で叩き潰すというフィナーレが待っているのだ。


 グライドという名の剣士が観客席から戻って来ようとしている。シキに先番を譲るという流れだったので、彼が二番目に闘うことは必然だ。

 武を本分とする集団の一員である為、逃げ出すという選択は難しいだろう。勝ち目の無い闘いをしないことは本来勇気ある賢い行いだが、集団の中では自身の無価値を証明してしまう。

 私に向かって来る事に迷いは無いようだ。闘わずして負けを認めるより、闘って死する覚悟なのだろう。非常に厄介な相手である。一種の殉教に近い。

 これを許せば、闘って散る輩が後を絶たないだろう。


 私に出来る対抗策は何もさせないまま、一撃で眠るように意識を断つ事だ。

 場に何の感情も生じさせる事なく、私の前に立った事を無為にする。闘いに重きを置く相手に対して、最も残酷な仕打ちとなるだろう。

 気は進まないがやるしか無い。拳闘元帥軍の無力化は今日中にカタをつけておきたい案件なのだ。


「グライド、お前じゃ無理だ。俺に代われ」


 観客席から馬鹿でかい声があがる。声の主はこれまでただの観衆であった1人の男だ。


 男は頭の形がそのままわかるほど張り付いた銀髪に、褐色の肌、裸の上半身は高密度に絞られた筋肉に鎧われており、何かの動物の皮で作られた腹巻とズボンが合体したような衣服を身につけている。


 銀髪の男はスタスタと歩いて舞台端にいるグライドの横を通りすぎる。グライドに小声で「俺が負けたらお前の好きにしていいぜ」と残して、私の目の前に立つ。


 三白眼にサメの様なギザ歯をのぞかせた口、凶相の塊の様な男の顔が、こちらを見ている。

 身体構造から血鬼に近いが、血鬼術による構造変化の兆候は見られない。恐らく吸血鬼なのだろう。

 一瞬、拳闘元帥かと思ったが、会場には後5人ほど吸血鬼らしき人物がいる。この銀髪の男、組織の長というにはあまりにも粗暴であり、周りの反応も微妙だ。


 なんの合図も無く男が動く。元々、審判などを有した正当な試合ではないので、いつ誰が闘うかは自由だ。


 男の移動速度は今の私の回避限界を超えている。


 タコちゃんの分体を服として纏っており、重力制御で地面への加重を軽減している私は、マッハ2程度の急加速が限界だ。それを超えてしまうとタコちゃんの分体強度と重力制御術の処理限界を迎えてしまう。

 また、相手はマッハ2以上の速度で攻撃をしてくるので、タコちゃんの分体を容易に破壊出来る。


 非常にマズイ相手だ。私の我儘でタコちゃんの分体を失う訳にはいかない。

 既に高速会話でタコちゃんの分体を私の口腔内に避難する依頼をしてある。重力制御術を維持したままの避難なので、5秒程の時間が必要だ。


 5秒間の間、私は無防備だ。タコちゃん分体の抜けた私の服は粉々に飛び散りほぼ全裸だ。

 バトル漫画の衣類はどんな攻撃を受けても最後の一線を超えないが、実際にはそんな都合の良い事にはならない。

 素肌を晒している私に構う事無く、銀髪の男は拳を打ち込んでくる。まあ、厳密には打ち込んではいない。寸止めだ。私に直接拳を当てると、拳打の威力と同等の反発力が相手に返る。そんな事をしてしまえば、拳は瞬時に砕けてしまう。


 相手は私のことを良く見ている。シキとの戦闘で回避の限界と、棒の打ち込みから腕力と身体強度を把握している。

 把握しているのであれば、銀髪の男が今の攻撃を長時間維持出来ない事も理解しているだろう。

 そもそも、拳が砕けてしまうような速度で打ち込んでいるのだ。無理をしていない訳がない。


 拳打の嵐が作る衝撃波の塊が、少しずつ私の体を押し始める。重力制御が効いているので、私の足の裏が生む摩擦は、私の体重ほど過激なものではない。

 身動きが出来ないので、体重移動や筋肉の収縮で衝撃波に耐えていたが限界がある。

 舞台の端から落とされた頃、予定していた5秒が経過した。服は着ていないが、タコちゃんに幻惑術をかけてもらい服を着ているように見せている。


 会場は沸いていた。圧倒的な相手に対して、自軍の者が押しているのだ。

 さらに言えば銀髪の男の技に熱狂している。この男は普段から実力を見せていなかったのか、驚きと感動が波になって場を支配している。


 私の予想に反して、銀髪の男は拳闘元帥なのだ。


 しかし、拳闘元帥の両手は深刻なダメージを負っている。既に手首の骨は砕け、拳は骨が皮を突き破っている。

 血鬼術があれば瞬時に肉体を再生する事が出来るはずだが、拳闘元帥はそんな素振りを見せない。私を殴り続けていたときも、血鬼術により何かは感じられなかった。

 何か事情があるのか、吸血が必要になるのでセーブしているのか不明だ。


「俺の負けだ。お前強すぎるわ」


 拳闘元帥はあっさりと負けを認める。沸いていた会場は、一転して静かになった。


「後はお前らの好きにしろ。帰ってもいいし、挑んでもいい。俺はやることが出来たからこいつに付いていくわ」


「はあ? 何勝手なことを言ってんの? 」


 突然の宣言に一番驚いたのは私だ。何やら付いて来るとか言い出している。負けた相手の仲間になるとか、バトル漫画の登場人物並みの思考をしている。

 別に私は誰かの従属を望んでいる訳ではないし、何か集団を作ろうとしている訳でもない。

 この手の戦闘狂と思われる人物に付きまとわれるなど、迷惑以外の何者でもない。


「お前、俺を殺すつもり無いんだろ? それじゃ俺を止めることは出来ないぜ」


 舞台上から見下ろすように、拳闘元帥がサイコパス発言をしてくる。マズイ奴に目を付けられてしまった。何処かで追跡不能にする他無い。


「あなたの処理は一旦後にします。他、誰か私と闘う方いませんか?」


 会場は沈黙に包まれている。目の前で自軍の長の裏切りを見れば誰だって硬直してしまう。


 もはや誰からも戦意を感じない。私の思惑は私の予想していない形で達成された。


 ――


 会場に残っているのは、私とタコちゃんとイリアとメイド、そして拳闘元帥だ。


 あれから、拳闘元帥は仲間の何人かと話しをした後、集まっていた猛者達はあっさりと解散した。

 話しの内容から察するに、拳闘元帥軍は解散らしい。当然、武国への裏切りになるので、各々身を守りつつ自由にするようだ。


 シキは迎えのオビト共に去っていった。グライドが狩猟元帥軍に連絡していたようだ。

 グライド本人はオビトと共に去ったので、狩猟元帥軍に合流するのだろう。最後まで彼の剣技を見ることはなかった。


「あなたが拳闘元帥ブラドですか?」


「もう拳闘元帥じゃねぇが、俺の名前はブラドだ。お前、新月国の血鬼か? もうお前らに用はねぇから安心しろ」


 あちらで血鬼と吸血鬼の顔合わせが行われている。敵対していた者同士が近くに居ると何かとトラブルが起きるものだが、片側の力が強すぎる場合は以外に平穏になる。

 ブラドの両手は既に治癒している。血鬼術ではない何か別の術を持っているようだ。


 さて、ブラドから逃げるタイミングだが、血鬼の2人と別れた後が良さそうだ。

 新月国と関わる間は動きに制限があるので、逃げる事に適していない。

 諸々カタがついた後、一気に逃げ去れば良いのだ。


「さて、ここにはもう用が無いので、拠点に帰ろうか」


「あの男を連れて行くのは反対です」


 イリアちゃんがもっともな事を言う。まさにその通りであり、私も付いてきてほしいと思ってないのだ。

 しかし、残りの予定を消化しつつ、奴から逃げる事は不可能なのだ。


「私も反対だけど、逃げ切るのは無理なのわかるでしょ? 」


 イリアはそれ以上何も言わなかったが、私がブラドを始末する事を希望しているようだ。

 当然、私はその手の事はしないので、希望は叶わない。


 会場はそのままにしておく。残すことで一瞬の威圧とする。

 自軍が壊滅させられた要因の建造物が、進行先に残っているという不気味さは、それなりの抑止力を生むだろう。


 ブラドは特に何をするでも無くて、言うでも無く、ただ付いてくる。

 森の中のキャンプ地に戻っても、その行動に変化は無い。何を考えているのか分からない辺りも、この男の厄介な部分だ。


 時間は既に夕方になっている。今日の残りのゲームを進行するかイリアに確認したが、パスするようだ。

 明日のゲームの手番を自分からにしてほしいとの提案があったので了承した。

 今はモランの様子が気になるのだろう。駐留軍の内、一軍が解散しもう一軍は混乱を極めている。

 攻められ側からすれば、現状を把握する事は自分達の存亡に関わる。


 私は焚火を起こして、何をするでも無く座っている。


 ブラドが音も無く接近している。木の陰から幽霊の様に現れると、私の向かいに座った。


「俺はお前に頼みがある。それを聞いてくれるなら、俺は何でもするぜ。お前の正体についても教えてやれる事がある」



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