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月禍脱出6

 血鬼とは人為で作られた種族だ。


 地脈の無い場所、特に外界は生命樹の変化に際限が無くなる。そんな環境でヒトを変化させ、作られた進化種が血鬼なのだ。


 血鬼の生命樹は中央光点が環状になっている。中央光点ではなく中央光円があるのだ。

 通常、生命樹は肉体領域と精神領域がきっちり別れており、お互いに混じり合う事は無い。

 しかし、血鬼の中央光円内は、肉体と精神の枝が混じり合って伸びており、特異な術や能力を発現しやすくなっている。


 分かりやすい例としては、極端な再生能力や、体の一部の霧化、翼を作っての飛行などがある。


 ただし、血鬼術にも欠点があり、使用すると生命樹自体を変質させてしまい、元の状態に戻れなくなってしまうそうだ。

 昔の血鬼は、血鬼でない人の血を大量に取り込み、戻るべき生命樹の形の道しるべとしたそうで、吸血鬼と恐れられた。

 吸血鬼は吸血によって、長い時間の生を実現したが、少しずつ歪む生命樹のせいで、極端に繁殖能力が低く、やがて数を減らした。


 吸血を行わない方法を模索した別の血鬼は、血鬼術の潜在能力の高い個体を血主とし、血主に生命樹の原型を記憶する事で、安定した血鬼術の使用を可能とした。

 血主からあまり離れられないという条件はあるが、実質、血鬼術は行使し放題で、血鬼の一団は大きな力を得た。

 やがて外界から、この地に至った血鬼の祖が、月光国を創ったとされている。


 血鬼の聖殿にあった文献と、タコちゃんの調べた血鬼術の仕組み、そしてイリアの血を取り込んだ事による生物情報から、血鬼の理解が完了した。


 私は今、血鬼の主であるイリアを、自分の精神世界に招き、そして何故か取っ組み合いをしている。


 取っ組み合いといっても、喧嘩に至っている訳では無く、喧嘩をした事の無い者同士が服や髪を掴みあって膠着する、無様な姿をさらしているだけだ。


 イリアは私の髪と服を掴み、頭を私の胸にめり込ませた状態で、罵詈雑言をぶつけて来る。


「バカ!アホ!死ね!居なくなれ!消えろ!ババア!カチカチおっぱい!」


 段々、許容出来ない内容の言葉になってきたので、そろそろ止めておく。


「そろそろ止めないと、イリアちゃんの大好きな人に、イリアちゃんの気持ちを言っちゃうよ?」


 ビクっとなったイリアは、顔面から崩れ落ち、そのまま床に張り付いて大人しくなった。


 耳まで真っ赤なので、よほど見られたくない顔をしているのだろう。


 血主とは言っても見た目通りの年齢なので、湧き上がる恋心を御する事は難しいのだ。

 それでも、血主の能力である感覚共有まで駆使して、自分の想いを誰にも知られる事無く過ごしている事は、組織の長として好感が持てる。


「………」


「そのままでいいから、話を聞いてね。私は戦争が始まらない事で欲求が満たされる。つまり、新月国と武国には私利私欲で介入しているんだよ。二国、厳密には欲国も含めた三国が、今の形を維持する事が重要で、それ以外は興味無いんだよ」


「………」


「戦争が始まらなければ、以前の平穏が戻ってくるかもしれないよ。ただ、私は私のやり方で戦争を止めるから、あなた達の望む形にならないかもしれない。私は血鬼の事は良く分かっているけど、あなた達の事は知らないからね」


 イリアは静かに立ち上がると、私の方を睨みつけてきた。目に涙を浮かべて、泣き出しそうな自分を抑え込んでいるが、血主の顔に戻っている。


「だから、げぇむでわたし達を測っているのね。血鬼は屈しないし、あなたには従わせないわよ!」


「誰かの支配、種族、国が欲しければ、こんな回りくどい事はしないよ。力と恐怖でねじ伏せれば簡単だからね」


「わかったわ。げぇむの続きをするわよ。出口を教えてちょうだい」


「入って来た扉から出れば戻れるよ。ここへの道は繋げておくから、内密な話があるときはいつでも来てね」


 イリアは何も言わず、私の部屋から出ていってしまった。


 ―


 イリアは既に用意されていた小さな天幕の中に寝かされている。

 メイドは心配そうにイリアの手を握っている。


「そんなに心配しなくても、もうじき目が覚めますよ」


 メイドのイリアに対する感情は強い。ほとんど喋ることの無いメイドだが、イリアに対する言葉は出る。

 特別な感情がメイドにはある。友愛か親愛か恋慕かはっきりしないが、一途な想いを感じる。


 イリアがメイドの手を握り返し眼を覚ます。


 私の姿を見たイリアが全身から汗を噴き出す。常時体温が高く汗をかきやすい体質のようだが、今の汗は緊張から来るもののようだ。


「目を覚ましたねイリアちゃん。色々知り合った私達だから、堅苦しい喋り方はやめにするよ。ゲームはお昼を食べてからにしよう」


 ◇◇◆


「イリア様、お体は大丈夫ですか?」


「大丈夫。あいつの支配は無理だった。ごめんね」


 リズはわたしの心配をあまりしない。本人曰く信頼しているからだそうだ。

 珍しく心配されているという事は、リズにもあいつの存在の異質さが理解できているということだ。


「こちらの手の内を言葉にして良いのですか? 不可視の何かがこちらを監視しているのでは?」


「もういいの。あいつに何をやっても無駄だと分かったわ。わたし達だけが及ばないわけじゃないの。武国も欲国も法国だって敵わない。だから無意味なことはもうしないの。出来る事は話し合いだけ。あいつは話の出来る天災みたいなものだから」


 リズはわたしの心境の変化に驚いている。つい先程までは、対処出来る相手だと思っていたのだから当然の反応だ。

 わたしは責任を持ってユズカと名乗る存在の異常性を伝えなくてはならない。


「それでは、まだ続けるのですね?」


「続ける。あいつに故郷をかき回されちゃたまらないよ。どういう訳か話し合いには応じるみたいだからね。というか話し合いしか無理。実は血鬼術は一切抵抗されていなくて、今も効いているんだよ。でも、あいつを操る事は出来ない。術の理屈が効かない存在なんて反則だよ」


 今まで理解出来ない存在に出会った事はなかった。それは血主の記憶にもないことだ。

 武国の拳闘元帥がベリルを破壊したときも、理解の外にあるとは思わなかった。


 ユズカと敵対するならば、武国全てと戦う事がマシに思えてくる。


 何処からか、凍火肉を焼く匂いがしてくる。危険地帯でユズカが料理をしているのだ。


 もはや、わたしの常識は通用しないのだ。


 ◆◇◇


 タコちゃんにお願いした作業はほとんど完了した。


 武国の最前線都市モランは、完全に手中に落ちたと言っても過言ではない。


 私もモランに駐留する軍の構造は把握した。指揮系統は単純で、大将と参謀が意思決定を行い、複数の将が軍を動かす。


 ただし、この構造は刀剣元帥配下の6軍に限られる。狩猟元帥の軍は、一切の人員を退去させてから動きは無い。拳闘元帥の軍は形が無い。軍内に拳闘元帥が居るのか居ないのかすら分からない。ただ、通常のヒトとは異なるモノが複数居る事は分かる。


 軍の監視はナガラで出来るほど単純な作業だ。私の広すぎる知覚域の中にあるモノの情報は、勝手に蓄積されのだ。

 作戦指示書から軍内カップルの数までお見通しだ。


 イリア達に昼食休憩を申し出た手前、なにも食べないわけにはいかないので、ベリルで有名な唐辛子粉でコーティングされた熟成肉を焼いたものを食べた。

 タコちゃんは辛いものが苦手のようなので、複数の乾燥キノコを出汁にしたスープを飲んでもらった。


 イリア達は既に食事を済ませて、例の高台に陣取っている。

 私としてはゲームにやる気を出してもらえて幸いだ。


 タコちゃんに残りの作業をお願いして、私は素早く高台に移動した。


 移動による衝撃波を出さないように動いたので、それほど速度は出していなかったが、イリア達にはいきなり現れたように見えたようで、驚かせてしまった。


「攻撃するつもりが無いなら、そんなに早く動かないでよ!びっくりするでしょ!」


「待たせるのも悪いから、少し急いだだけだよ。今度からもう少しゆっくり動くから安心して」


 私が殺しにかかるのではという懸念は、まだ晴れていないようだ。

 一度付いてしまったイメージの払拭は難しい。


「そんな事はいいから、げぇむを始めるわよ。私の手番で間違いないわね?」


「要件と対価の提示をどうぞ」


 私の部屋でゲームの趣旨について、再確認したので問題無いと思うが、またお触り系だったらと思うと緊張する。

 まあ、そういう系ならば応じなければいいだけだ。


「あなたがやろうとしている武国の進軍を止める方法を教えてほしい。対価は以前の武国進行があったとき、何があったか教えてあげるわ」


 なるほど、対価設定は通常であれば全く足りていないが、私の趣旨は理解した内容になっている。


 要求も対価も対話に持ち込む布石だろう。


「ふむ、要求を受けよう。対価が先だけど、長い話になりそうかな?」


「夕食までには終わるわ」


「そう、ではお茶の用意をしてから聞くことにしようかな。あなた達も飲む?」


 メイドが前に出るのをイリアが制す。


「前はお断りしたけど、今回は頂くわ」


 私の部屋を訪れる前のイリアには、迷いがあった。だが、今は迷い無く目的に沿って動き出している。


 私は控え目な速度で、即席ティーセットを運んで戻って来た。


「私はお茶の用意をしながら聞くから、話してもらっていいよ」


 イリアは第一声のための息を大きく吸い込んだ。

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