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欲廻脱出6

「これから実験に付き合ってもらう前に、リュー君に確認する事があるんだけど、いいかな?」


 リュー君は黙って頷き、緊張した様子で椅子に座っている。


「リュー君は昔いた環境から逃げ出してきたわけだよね? そこがどんな所かはわからないけど、飢えや死とは無縁な場所だったはずだ。そんな恵まれた環境を捨てて、今は私達の元に居る理由は何なのかな? この場所は、ひょっとしたら昔より酷い環境かもしれないよ? 君は穴から出て、別の深い穴に落ちただけかもね」


 私の意地の悪い質問に、リュー君は怖気付く事無く、真っ直ぐな視線を返してくる。


「僕が居た場所の人達と、ユズさん達では眼が違うんです。上手く言えないんですが、僕の周りには夢を見ているようにボンヤリと、それでいて暗く冷たい、そんな眼を持つ人しかいなかったんです。僕と同じくらいの年の子も、いつのまにか同じような眼になって、それが恐ろしくて逃げ出したんです」


 なんらかの直感によって行動したようだ。

 リュー君の体からは、厳しい生活環境にあった要素は感じられ無い。ヤクトの壁の中の人々よりも裕福な環境にあったと推測出来る。

 そんな恵まれた環境を捨てたいと思えるほど、精神への苦痛があったようだ。

 昨日のような事が日常的に起き、何者かの欲望のはけ口になっていた事は明白だ。それを受け入れる事が出来ない高潔さがリュー君にはある。


「リュー君は昨日のような発作を毎日のように経験しているよね? 周囲はその状況を受け入れている。少なからず苦痛もあるけど、快楽もあったはずだ。リュー君は何故、その快楽を享受出来なかったのかな?」


 恐らく最も踏み込まれたく無いであろう領域の質問をすると、リュー君が顔を真っ赤にする。

 だが、瞳は真っ直ぐのままだ。


「ぼ、僕くは昨日のアレが何かは知らないんです。誰も教えてくれなかったんですが、恥ずべき行為である事はわかります。皆アレを受け入れて、眼付きが変わっていくんです。僕が僕でないモノに変えられる、その恐怖に耐えられないんです」


 真っ当な知識を与えず無垢なまま、快楽に溺れさせ、簡単に命を奪う。

 完全に破滅に向かう欲を宿したモノが居る事はわかった。


「じゃ、最後の質問にしよう。飛行艇で死にかけた時、リュー君は生きたいと願ったね。逃げ出して追い詰められた。普通はもう終わりだと思う状況だ。その先を望んで、生き、何を求めるのかな?」


「僕は僕である事を終わりにしたくないんです。出来る事なら、自分で自分の未来を決められる、そんなヒトになりたいんです」


 独自の感覚によるものだろうが、リュー君は理に聡い。以前の環境で自分に求められていた事も、それが破滅を呼ぶことも、直感的に理解している。


「なるほど。リュー君は自分の生を誰かに明け渡すつもりはないわけだ。でも、私がこれからやろうとしている実験は、君を私の意図通りに作り変える行為だよ。以前の環境を超える苦痛があるかもしれない。心臓はタコちゃんの一部だから、殺生与奪の権利も他者に握られている。以前の環境となんら変化は無いと思うけどね」


 泣きそうな顔を隠すように、リュー君が下を向く。


「でも、僕には何も無くて…、ユズさん達に頼るしか無くて…、それで……」


「私がこんな話をするのは、私が善や正義で無いという事が言いたいんだ。少し力のある者は、だれかを従えたいと常に思っているよ。私もそんな私利私欲で動いているからね。ただ、私の欲は少し特殊なんだ。不利な者、弱い者が力を得て、強者に並ぶ事を欲している。つまり、私はレベル上げがしたいんだ」


 リュー君がキョトンとしている。訳の分からない理屈と単語に、理解が及んでいないようだ。


「れべる?ですか?よくわからないんですが、その、僕は具体的になにをすればいいんでしょうか?」


「全く育っていないリュー君の生命樹を、私好みに育成させてくれればいいよ」


 タコちゃん調べによると、リュー君の生命樹は全く成長していないらしい。恐らくは意図的なものだ。

 さらにタコちゃんとリュー君は心臓でリンクしているので、タコちゃんが正確な生命樹を読み取る事ができる。

 つまり、私がタコちゃん経由で、リュー君の生命樹育成を行う事ができるのだ。


「わかりました。僕、がんばります」


 表情は明るくなったが、瞳の奥に不安と恐怖が残っている。私の話が、例の発作に及んだ事が原因だろう。


「リュー君の昨日の発作は、暗示という精神を自在に操る術によるものだ。本来の性質によるものでは無いよ。長い年月を掛けて施されたものなので、簡単に解除することは出来ないけど、効果を弱める処置をタコちゃんにやってもらうね。レベル上げには邪魔なので」


「えっ!……あの、………はい」


 リュー君にとっては意外な申し出だったようだ。

 これまで自身に求められていた存在理由を、不要と言われた事に、驚き戸惑い、そして歓喜していた。


 ――


 食事に一休みした後、近くにある木々のない開けた場所に3人でやって来た。

 住環境を整えるために、下草は綺麗に刈り取ってベッドの材料にしてある。むき出しの地面を踏み固めて、テニスコート2面分程度の平らな土地が広がっている。


「それでは、まず、リュー君の生命樹の確認から始めようか」


 タコちゃんから銀の触手で作った情報表示盤、通称タコタブレットを受け取る。以前にユズツーを操作していたモノと同じで、表示内容はリュー君の生命樹だ。

 タコタブレットの内容をリュー君に見てもらい、本人が認識している生命樹と齟齬がないか確認する。


「生命樹をあまり意識したことは無いですが、僕が感じているモノと同じだと思います」


 生命樹の利点は、生物が経験や成長によって得る情報を規格化して共有できる事にある。

 例えば、早く走るという当人しか知り得ない情報を生命樹から読み取り、他者に適応する事で同じ結果を得る事が出来る。

 一度生み出された有益な生命樹情報は、後世に正確に伝わる上、更なる改良まで可能になる。

 ただ、生命樹の成長限界は、持って生まれた資質に大きく左右されるので、世界が完璧超人だらけになる事は無い。


「リュー君は今の生命樹がどういう状況にあるかわかるかな?」


「よくわかりません。凄く小さいんでしょうか?」


 リュー君の生命樹は、幹となる中央光点から細く短い枝が3本伸びているだけだ。


「小さいというよりは、全く成長していないが正しいかな。これが生命樹という名の植物なら、今は種から芽が出たところだよ」


 なんの訓練もすること無く、ただ成長しただけだとしても、日々の生活の中で生命樹の枝は伸び、幾つかの分岐が生じる。

 リュー君は、意図的に生命樹を成長させない環境にあった事になる。ただひたすらに何者かにとって都合の良い存在に仕立て上げられている。飼われていたと言っても過言ではない。


「生命樹を育てると、僕はどうなるんですか? ユズさんの望む存在になれるのでしょうか?」


「生命樹の成長は、生物の生存率を上げる行為だよ。生命の終わりは別の生命によってもたらされる事がほとんどなんだ。つまり、他の生命から自身を護る能力を得る事が、生命樹の成長なんだよ」


 リュー君からやる気が感じられる。可愛い見た目だが、やはり男の子だ。力を得るという行為には魅力を感じるようだ。


「僕は出来るなら冒険者になりたいんです。本で読んだ冒険者の物語にずっと憧れていて、一面が水しかない海や、火を噴く山、空を飛ぶ巨大な竜をこの目で見てみたいんです」


 頭の中は年相応だ。厳しい現実にあっても夢や希望を失っていない事がリュー君の強さの根幹だろう。


「冒険者は望めば誰でもなれるよ。ただ、生き残ることは難しいね。リュー君はまず自分の弱さを理解するべきだね。例えば、この場から私とタコちゃんが居なくなるとすると、リュー君には食料や水を得る手段がなくなるね。次に発作によって身動きが取れなくなる。最後に、この地に元々住んでいる獣に生きたまま食われ、明日を迎える事なく生き絶えるよ」


 途端にリュー君が青ざめる。冒険物語には無い、多くの冒険者が迎える最後を知り、それをイメージ出来たようだ。


「弱い者は生きる事が出来ないんですね。今まで考えたこともありませんでした」


「誤解のないように言っておくと、弱い事が悪い訳ではないよ。弱者がいるからこそ、強者は生きられるんだ。だから、弱者が居なくなることは無いし、弱いから死んでいい訳でもない。リュー君がこれから、強者として生きるか、弱者として生きるかわからないけど、どちらか選べるようにしようというのが、私がやりたいことなんだ」


 まだ、リュー君にはピンときていないようだが、やる気は萎えていないようだ。


「僕はまず何から始めればいいですか? 自分を護る力は得られるんでしょうか?」


「生命樹には、持って生まれた資質が大きく影響するんだけど、リュー君の生命樹は一般的に言って、資質の点で大きく劣るんだ。恐らく、生命樹を育成する訓練をしたとしても、同じ年頃の相手に全く追いつけないかな」


 膝をついて泣きそうな顔をしている。相当ショックだったようだ。

 リュー君には悪いが、私としては唆られる状況だ。資質で劣る者が、機転と工夫で強者と渡り合えるようになるなど、圧倒的胸熱だ。

 そんな可能性がリュー君の生命樹にはある。


「リュー君の生命樹は普通に育てれば凡庸だけど、育て方によっては何者も手に入れられない個性を得るかもしれない。まずは、生命樹の成長に何が影響するか調べることから始めようか」


 リュー君に手を差し伸べた。

 私の力がどう作用して相手を破壊するかわからないので、普段は絶対にしない。

 リュー君の手は暖かく、か弱い力が伝わって来る。


 私は初めてタコちゃんに会った時の事を思い出していた。



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