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欲廻脱出4

 油紙のような黄色い紙に羽ペンで自分の名前を書く。

 名前を書いた紙こそ、冒険者の登録書兼、契約書兼、誓約書だ。


 私の書いた内容をタニアがチェックする。この豪快な受付嬢は、元冒険者である事と手際の良さを買われて、冒険者組合の様々な仕事をこなしている。


 冒険者時代の通り名は、見切りのタニア。

 鋭い観察眼と並外れた反射神経を持ち、戦った相手の動きを瞬時に見切る事で、数々の猛獣や猛者を打ち破っている。

 冒険者に戻っても直ぐに一線級の活躍が可能らしいが、本人の硬い意志で冒険者の無期休業を取り下げようとしない。


 袖や胸元を紐で縛ってサイズ調節するタイプの服を着ているが、体格の良さと相まってお胸がはち切れそうなダイナマイトボディだ。

 メロン2個みたいな冗談のようなお胸をリアルで見たのは初めてだ。

 なんだろう。私がお嬢ちゃん扱いされるのって、そういうパラメータ差が原因なのだろうか。なんか腹立ってきた。


「登録書は問題無いね。今日からユズカは冒険者だよ。わからない事はあたしに聞きな。モノによるけど、大体はだだで教えてやるよ」


 タニアがカウンター裏にある棚に登録書をしまいながら、お節介を焼こうとしてくる。このままでは依頼にまで付いて来そうな勢いなので、早々に採集関連の依頼を受けて帰りたい。


「今ある依頼を見てきます」


 素っ気ない感じを出しつつ、依頼が張り出された壁板の前へ移動する。お昼前なので誰もいない。

 とにかく半径18km圏内の知覚が及ぶ範囲で採集可能なものを要求している依頼を受ける。

 暖かい時期なので、植物採集系の依頼が10個ある。

 全て知覚範囲内で採集できるものばかりなので、10個全ての依頼票を剥がす。

 依頼票を受付に渡し、受注票をもらえれば依頼開始となるが、タニアがあっさりと受理するとも思えない。まあ、こちらには秘策があるので多分大丈夫だ。


「この依頼10件を受けたいんですけど、いいですか?」


 依頼票をカウンターに並べてタニアを見据える。相変わらず、目の笑っていない笑顔だ。


「どれも採集依頼だな。ただ、今日冒険者になった奴に10件依頼を任すわけにはいかないね。それなりの依頼を受けるには、それなりの実績を見せてもらわないと」


「規約には違反していないと思います。実績が必要なのは色のついた紙の依頼でしょ?私の依頼はどれも白い紙です。同時受注数は実績と関係ないのでは?」


 食い下がる私にタニアの眉間にシワがよる。


「依頼は達成する確度が重要なんだよ。あたしは依頼が達成できそうだと思う奴には任せる。明日死ぬかもしれない無鉄砲な子供に、いきなり大量の依頼を渡すわけにはいかないんだよ」


 語気を荒げながらタニアがカウンターを叩く。

 まあ、言っていることは正論だ。しかし、ここで引くと資金の入手に時間がかかってしまう。例の秘策で攻める。

 草のカバンから黄陽桃を20個取り出してカウンターに置く。


「85番の依頼はこれで達成ですよね?この依頼が一番難度が高いわけですから、他の依頼を任せても問題無いでしょ?」


 タニアがぽかーんとした表情で黄陽桃を見ている。


 私は3日前から町の全情報を把握している。当然、10件の採集依頼がある事も知っていたので、事前に依頼品をいくつか用意しておき、冒険者の登録や依頼の受注でゴネられたときの切り札として持っていたのだ。


「おまえ!依頼主とグルだな!?これは違反行為だぞ!」


 タニアが激しく怒り捲し立ててくる。

 その昔、金持ちが冒険者としての箔付けに使った手口があったらしい。

 協力者に困難な依頼を出してもらい、事前に用意した依頼品を持ち込んで、冒険者の実績のみを重ねて、高位の冒険者に成りすましていたようだ。

 当然、今では禁止行為になっている。


「違いますよ。これは市場で手売りするために持ってきたものです。調べてもらっても構いませんよ。それに10件の依頼を受けさせてもらえるなら、これは取り下げます。なんなら、私に不正があったり、10件の内一つでも達成出来なかったら、あなたの言う事をなんでも聞くというのはどうですか?」


 声を荒げて、今にも殴りかかりそうになっていたタニアが、乱暴に椅子に座る。


「いいだろう。とことん調べやる。その黄陽桃は証拠品として置いていきな。達成報酬はくれてやる。そのかわり、さっき言った事になったら、ここで一年間、タダ働きでこき使ってやる!」


 カウンターに報酬である銀貨3枚を叩きつけて、タニアが睨みつけ来る。

 契約術を使用しないのは、私が侮られている証拠だろう。体一つでどうにでもなるという余裕と、お金持ちを持って逃げ出しても追わないという優しさを感じる。

 態度は高圧的だが、悪い人ではないのだ。

 本当に私の事を心配して、冒険者になる事を反対したのだろう。


 酒場兼食堂でもある建物内にいる、心地の悪さが最高潮なので、そそくさと外にでる。

 扉を出る最後まで、タニアの視線が私の背中に突き刺さっていた。


 ――


 多少揉めたが、目的は達成できた上に臨時収入まで得ることが出来た。

 私調べによると、銀貨3枚はおよそ3万円の価値に相当する。リュー君の食料や身の周りの物を購入するにちょうど良い金額だ。


 市場で購入するものは、あらかた決まっている。

 着替え、乳製品、穀物、肉類、香辛料など、目星を付けていた品を次々に購入する。

 食器や調理器具は不要なので、購入しない。加熱や切断は私が素手でやればいいし、鍋や保存容器は石や植物を加工すれば作ることが出来る。

 タニアが私の動向を追うために追跡者の算段をしているようなので、今日のところは町を出ることにした。

 追跡者は黒剥がしと呼ばれる冒険者だ。黒の依頼票、すなわち賞金首を専門で狩る冒険者だ。黒剥がしは町に出入りする人間の顔を把握しており、怪しい奴は追跡して住処を調べたりする。

 私に追跡が及ぶ前に町から出る。透過を使用して誰にも認識される事なく、市場を出て町の外周へ至る。街道をしばらく行って、山林に入り道無き道を進む行程だ。

 人目のある場所では高速移動出来ないので、 リュー君とタコちゃんの居る場所まで、片道2時間かかる。


 透過を維持したまま、帰路について1時間が経過した頃、リュー君の様子に変化が起こった。

 呼吸が荒くなり動悸が激しくなった。直前に何かあったわけではない。いきなり発作的に起こったのだ。

 焦燥感と恐怖、そして恥辱という感情が漏れ出ている。自ら抑えることの出来ない衝動を押さえ込んでいる感じだ。


「タコちゃん、リュー君に何かあったみたいだから、暴れたり、自分を傷つけようとした場合は眠らせてあげてね」


「了解した」


 私はタコちゃんの一部を着ているので、遠隔地でも意思疎通が可能なのだ。最低限のことだけ伝えて、帰路の足を早めることにした。

 まだ人目のある場所だが、ある程度加速する。周りの人には、突然強風が吹いたと認識されるが、緊急時なので許容する。


 ――


 残り行程を40分短縮して戻ったとき、リュー君は指を飲み込むように口に咥え、顔は耳まで紅潮させて、お尻を突き出して地に伏していた。


「ユズ。リューにかけられていた暗示が発動したようだ。暗示を掛ける際に用いられたであろう、精神術の痕跡と今のリューの精神が合致している。間違いないだろう」


 状況を見るに、リュー君は暗示によって何者かの性的玩具に変えられているのだろう。

 本来自己処理出来る性衝動を封じて、他者が処理しなければ解消されない歪な衝動に改変されている。

 この処置を行った変態は、相当に歪み、乾き、そして冷めている。


「タコちゃん、リュー君の血の中には、今の状態を引き起こした要素が含まれているんだ。心臓を使ってその要素だけ除去出来ないかな?」


「我々が心臓を直接制御する必要があるが、恐らく可能だ」


「じゃ、お願いします」


 タコちゃんの青い触手が、リュー君の胸の青い傷口と融合する。

 突然触れられたリュー君が体をビクビクと震わせる。今まで行われてきた事を思い出したのか、歪んだ表情で大粒の涙を零す。

 タコちゃんの処置に動きは無いが、リュー君の呼吸と動悸が少しずつ収まっていく。

 このまま元に戻るかと思われたが、リュー君が再び全身を激しく痙攣させる。


「ん!ん!んんん!!ん…ん…ん!」


 指を噛みちぎりそうな勢いで発する言葉遮り、目を見開いて体を反らす。

 やがて急速に意識を失い、失禁しながら地面に崩れ落ちた。


 ―――


 リュー君は新しい服に着替えさせて、石の台の上に草を敷いたベッドに寝かせている。

 私が触るとリュー君の体を破壊する可能性があるので、着替えや体を洗う事はタコちゃんにお願いした。服の洗濯やベッドメイキングは私が行った。


 空には星が出て、すっかり夜になってしまった。今日の晩御飯はお預けのようだ。


「リューの暗示には一体なんの意味があるのだ?何か理があるようには思えないのだが」


 タコちゃんの意見には同意だが、私は何故このような事が起こるのか知っている。


「あれは誰かの歪んだ欲のはけ口だよ」


「欲か。我々には理解出来ないな」


 こんな欲の形は、文明界の複雑な人の関わりの中でしか生じないだろう。私はこれに似た世界を知っている。


「欲は、雨のように突然降って誰にも制御出来ないものなんだよ。人にはそれぞれ、欲を受ける器があって、受けた欲を飲み干す事で満足が得られるんだ」


「それでは欲は独力で満たせるということか?」


 多くの欲は1人で満たせてしまう。それは真実だろう。


「人は欲を満たすとき、器に受けきれない欲も見ているんだ。そんな人は思うんだよ。誰かに自分の欲を受けさせる事が出来ないかとね」


「欲に終わりは無いわけか」


 欲に終わりは無い。欲による破滅があるだけだ。


「やがて人は、誰かに欲を受けさせる事が当たり前になるよ。その先は、誰かの欲を奪う事に向かうね。もう欲を受ける事が出来なくなった他人を見て、自分だけが満たされる事だけが全てになる」


 タコちゃんは何も言わない。


 夜の星々が静かに輝いている。ここには、欲から遠い静かな世界があるだけだった。

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