森林脱出4
今いる位置からでも巨大感の伝わる奇岩と大樹は、ここから微妙に離れた場所にあった。
延々と木々が生い茂っているので、いまいち距離感がつかめないが、現在がおよそ正午だとするならば、今出発すれば、暗くなるまでに行って帰ってくることはできるだろう。
恐らくこの周辺で、辺りを一望できるのは、あの場所だけだろう。
出来る限り早く現状を脱したい私は、この森が何処で何なのか誰かに説明してもらいたいのだ。
そしてあわよくば元に戻してほしい。
あるかどうかは不明だが、人里を見つけ到達することが出来れば、大きな進展が期待できる。
食べ物の再生システムが、複数を想定していることを考えると、私より先にここへ連れてこられた先達が居る可能性はある。
とにかく進展を求めて、行けるところまで行くことにした。
移動のための準備を始めた私は、例の果実を出来る限り多く運ぶ方法を考えた。
現在、水源が見つかっていないため、水分補給は果実に頼らざるを得ない。
目的地に到達するためには、数時間かかるだろう。道中の水分確保は必須である。
果実を取り落とした場合、即時ロストするので、落とさない工夫も必要になった。
果実をしっかりホールドできるポケット二箇所に一個ずつは確定だ。
ただ、果実二個では心許ない。
止む無く、お胸のバンドにホールドする方式も採用した。
慎ましやかなお胸で助かった。伸縮性のある楽なやつを着けていて正解だった。
見栄っ張りなボディラインになった自分の姿に、虚しい気持ちになりながら、私は移動を開始した。
木々は茂っているが、地面は至って平坦だった。
道中果実を一つ食べたので、微妙に左右のバランスが悪くなったが、さしたる障害もなく大樹の根元に到着した。
根元まで来ると、その巨大感は圧倒的だった。
卵のような形をした奇岩が地面から生えおり、大樹は奇岩の上に幹を伸ばしていた。根は血管のように分かれて、奇岩を締め付けるように伸び、そのまま地面に突き刺さっていた。
奇岩部分だけでも高さが30メートルはあるだろうか。大樹を合わせると40階建のタワーマンション並みに巨大だった。
大樹の枝はまるでキノコの傘のように広がり、独特の異様さを放っていた。
とにかく高所に至るべく、登れそうな場所を探していると、螺旋状のスロープになっている根があり、あっさり登ることができた。
奇岩の頂まで登った私の前に異様な景色が広がった。
現在位置を中心に東西南北に、それぞれ種類の異なる植生の森が綺麗に区画整理されていた。
私が歩いて来た、例の球体がある方角は、現在位置から見て東に位置している。広葉樹の森が広がっている。
南にはやたらトゲトゲした葉を持つ植物や、蔦が複雑に絡み合ってる立体的なジャングルがあった。
北はサイズがでかい針葉樹のような植物が規則正しく密生していた。
西は背の低い木が疎らに生えており、遠くに異常に幹の太い木、空に向かって根が伸びたような植物が群生していた。
目視出来る範囲に人里とおぼしきものはなかった。 そして動物のいる気配すら何処にも無かった。
かなりの高所であるはずなのに、空気の動きはまるでない。
この森全ての時間が止まっているようだった。
………
これから調べることは大量にあると言ってよい。謎は何も解決していないのに、世界だけが広がってしまった。
予想していたことだったが、私の望みでは無かった。
元居た場所でも私は世界の広さの一端だって認識してはいなかった。望んで狭い世界に満足していたのだから当然だ。私の知る小さな世界があれば良いのだ。
ここは言わば世界の広がりへの探求を強制されている。私にとっては苦痛の極みと言っても過言ではない。
これまでの行動もいわば苦痛を回避するためのものだった。眠れないという苦痛を回避するため、野宿を許容した。空腹という苦痛を回避するため、食料を探した。
だが、未知の世界を踏み進むという苦痛は避けられない。おまけに苦痛を和らげる術まで剥奪されている。私は趣味を欠いている。
だからこそ、最優先で確認することがあった。
昨夜、植物の再生を見て最初に頭に浮かんだが、直ぐに心の奥に沈めた考えだ。
「再生するのは植物だけ?私にも再生が適応されるのでは?」
心の奥底にあった不安が言葉になって吹き出した。
「私の苦痛に終わりは無い?」
私の苦痛に終わりはあるのか、それを確認するために、この場所までやってきた。
全てが終わるか、無限の苦痛が始まる。
どちらがマシなのか、私には判断できない。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
今確認しなければ、もうこの先機会は無いように思えた。
私の心は恐怖と罪悪感でこんなにも乱れているのに、体には全く影響が出ていない。呼吸一つ乱れていない。
肉体は既に何らかの変質を遂げているのだろうか。
私は奇岩の上から地面を見た。心が恐怖に塗りつぶされる。
元居た世界では、自分の生を諦めたことなど一度も無かった。今自分を破滅に導くものの正体がまるでわからなかった。
だが、それは紛れもないちっぽけな私の心のままだった。
変わっていない私の最後の一片を守るように、私は重力に身を任せた。
まだ、陽の光の射す明るい森で、私は闇の中へ堕ちていった。