猟域脱出12
オビトの黒マントを攫って以降、向こうから接触してくることは一切無くなった。
ユズツーと私達は何者に阻まれることも無く、快調に東への歩みを進めている。
攫ったオビトはまだ一度も起こしていない。理由は嫌な予感しかしないからだ。
オビトのボディチェックを軽くしただけで、盗聴器、発信機の類、自死の手段が体のありとあらゆる場所に仕込んであった。
私の知覚はその気になれば生き物の内部構造まで把握することが出来る。
目の前で眠る茶トラのオビトは、異物を仕込みまくって突撃して来た訳だ。
恐らく私に捕まることも織り込み済なのだろう。とんだルアーに食いついてしまった。
タコちゃんに協力して貰い異物は全て取り除いたが、依然として不安は残る。
異物の殆どが術具の類らしいが、効果が発動しても私には認識することが出来ないものばかりだ。
タコちゃんに確認してもらったが、既に起動済みのものもあったようだ。
幸いタコちゃんの内部に早めに引き込んだので、オビトに伝わった情報は無いそうだ。
オビトは仲間に精神操作をする徹底ぶりだ。起こしたら起こしたで、どんな爆弾が飛び出すかわからない。
オビト達の組織を侮っていた訳ではないが、ここまで情報管理が徹底された諜報集団だとは思わなかった。
茶トラの子には悪いが、決戦まで眠っておいてもらう。ユズツーが無事討伐されたら、シレッと返しておくことにする。
オビトの持ち物を間近で確認出来たので、術具の構造的な特性はかなり把握することが出来た。
術具にはエネルギー源と術の発生中核になる重要な構造が一箇所にまとまっている。
核となる部分から神経のように伝達構造が全体に広がり、術の効果発生箇所は単純で丈夫な作りになっている。
術具を無力化するには核となる部分の破壊が必要だ。竜に教えた方法も手段の一つだが、秘匿性が緩くなってしまい契約違反になってしまうかも知れないので、私が使用するのは避けたい。
ユズツーが狩られ際にオビトへのささやかな抵抗として、術具核狙いを実践してみるつもりだ。良い獲物として精一杯振る舞いたい。
私にとっては格ゲーで、はなからナメプをするようなものだ。負けると決めているので、せめて勝負中は魅せたい。
理想は相手が生き残る形の相打ちだ。
山脈の向こうに見えていた広大な荒野がいよいよ近くなって来た。景色もゴツゴツした白い岩石地帯から、下草が疎らに生えた荒地に変化した。
周囲にオビトの仕掛けらしきものは見当たらない。まだ、決戦地ではないのだろう。
通常のオビトの狩は、獲物を仕留めるための人員と物資を周到に配置してから行われる。黒マントが未だに着いて来ているが、ユズツーをどうこうするには火力が足りない。
そのうち地平線の向こうから大軍勢が押し寄せて来ることだろう。そうなれば軍勢相手にユズツー無双した後、総大将と一騎打ちをして果てるまでだ。
◇◇◆
久しぶりに味のある食事をした気がする。山のように盛ってあった料理はあたしとお屋形様の腹の中に消えてしまった。
食事をしながらシキとのやりとりもひと通り終えた。竜越者に挑む狩人は三人。お屋形様とあたしとシキだ。
十本足を使うのであれば、狩人は一旦一箇所に集まる必要がある。
「お屋形様。シキを柱城に向かわせました。半日後に到着します」
「ご苦労様。僕は十本足の最終調整に入るよ。張り切っていっぱい用意したから、下手な戦争より手間がかかったよ」
まるで子供がオモチャを自慢するような口調に、背筋が冷たくなる。これから振るわれる力は余りに大きい。
「竜狩りを思い出したかな? あれはああする他に無かったことだよ。竜の総意では無かったとしても彼等は僕達を肉扱いしたんだ。ならばより高位な捕食()者がどちらなのかハッキリするしかないだろう?」
「竜は1000人で狩る獲物です。準備と下調べも完璧でした。しかしそんな物は必要ありませんでした。あたしとお屋形様からお借りした足一本で十分だったのです。狩りとは、猟術とは何なのか分からなくなりました」
お屋形様が笑みを浮かべたまま目を細める。何か深く思索を巡らせているときの癖だ。
「物事はある高みに至らなければ見えない側面が多くあるよ。為すべき事に費やすものは何なのか、どれほど必要なのか、正確に見定めている者こそ前者の選択は多く、後者の量は少ない。しかし、狩は集団でするものだ。猟術の水準は一番低い者に合わせなくては機能しないね」
答えを求めるようにお屋形様が見つめて来る。
「お屋形様は一人で完全な狩がされたいのですか?」
お屋形様の創った(足)は狩人の理想を追求したものだ。理想とする動作全てが叶う最善の装置だ。
しかし、それは猟術を積んだ狩人の否定でもある。
「僕の理想は誰も犠牲にならない狩だよ。それは始めから変わっていない。さっきも言ったが猟術の高さによって見る世界が変わる。キリンは名に相応しい高みにいるね。足を任せるに相応しい狩人だ。少なくとも今回の狩に僕とキリンは同じ高さに居るよ。一人で狩るなんてとんでもない」
あたしの失礼な質問に真っ直ぐな答えが返ってきた。五年眠っていた狩人の誇りが目を覚ました気がした。
狩人の高みだと思っていた竜狩りは、足を得れば小鳥を捕まえるように簡単になった。抵抗できない竜を言われた数だけ狩り、仲間から全幅の信頼と賞賛を得た。
あたしの狩は突然終わりを迎えた。何「」もしていないに等しい中で、これ以上先はないと言われた。
仲間からの羨望もあたしを締め付けた。何もない小さな頂きで身動きできないことを悟られまいと、ありもしない先を見て、仲間を見ないようにした。
今、狩人として進むべき先があることに気がついた。あたしの居る頂きは、ただの小石に過ぎなかった。
竜越者を追って遥かな高みがあることはわかっていたが、そこに至る道はまるで見当がつかなかった。
しかし、お屋形様はその道を既に歩いていて、それ「」があたしにもはっきりと見えた。
「まだ猟術に先はあるんですね。それは竜越者を倒すに至るかもしれない」
「狩に終わりはないよ。生きる為のあらゆる糧は狩からもたらされる。皆で得よ。皆で分かち合え。オビトの古い言葉だね」
子供のころに村にいた婆さんの姿が重なって、ふいに笑いが込み上げてきた。
「ふふふ、辞めて下さいよ、お屋形様。年寄りみたいです」
「こう見えても今いる狩人の誰よりも年上だからね。さ、そろそろ十本足の所に行こうか。勘を戻しておいた方がいいね。狩で死にかけたなんて聞いて驚いたよ」
「あれは、アカガシラの群を一人で相手にしたので、本当に危なかったんです。アレを100人で狩る獲物と呼ぶのは誤解がありますよ」
「アレは正確には100人までしか相手をしてはいけない獲物だからね。一人が一匹を狩るしかないから誰か失敗すれば100人が全員死ぬ可能性だってある。100を超える群は相手にしないが鉄則だけど、キリンは何匹狩ったんだい?」
「187です。足を折られなければ全部狩れたんですけど、流石に無理でした。竜越者に助けられなければ死んでいました」
気がつくと狩談義が弾んでいた。竜越者の名を出した事でこれからの狩への緊張感を思い出した。
「アカガシラの群が浅い位置にいたのも竜越者の仕業かもしれないね。どれくらい深い場所から来たのか知らないけど、恐らく誰も止められないだろうね」
あたし達は奇跡的に相手をしてもらっているに過ぎないのだ。
「そういえば竜越者は二人かもっておっしゃってましたが、何故なんですか?」
「これは完全に勘なんだけどキリンが聞いた声に焦りがあったと聞いたときにピンと来たんだ。完全無欠の竜越者が焦る状況ってなんだろうって思ったわけだよ。恐らく同等の存在が他にいて、その相手に気を使ったんじゃないな。キリンを助ける事は気紛れで、他の竜越者は乗り気じゃなかったんだよ」
「シキの言っていた大規模な軍団は本当にいないんですか? 先程の話では複数かもということまでしかわからないですよね?」
お屋形様が笑いながら答える。
「あんな勝手気ままな竜越者が何十何百も領内を蠢いているなら、騒ぎは今頃国内中に広がっているね。僕は皆んなと逃げ出しているよ。もはやこれは願望に近いんだけど、竜越者は多分二人だよ。旅行気分で武国を縦断しているね。ただ、どちらも恐ろしく強く賢い」
狩はもうすぐに始まる。始まってしまえば止められない。同じ高みにある仲間と共に、全ての猟術を解放する。
今になって覚悟が決まったことに気づいた。我ながら情け無い。
「竜越者を狩り終えた後は、深界に挑むことにします。竜越者がどこから来たのか調べる必要がありますから」
「狩人の最高位ただ一人のキリンには獲物を自由に決める権利があるね。僕が口を差し挟むことはないよ。同じ狩人として言わせてもらえば、羨ましいね。僕の身はただ狩に向かうには重くなり過ぎてしまった。今や狩人では無く狩猟元帥だがらね」
狩人は狩で命を失うまで狩人を辞めないと誰かが言っていた。
あたしは狩で命を落としかけ、心の底で安堵した。若い狩人を死なせてしまう後悔の裏に、狩人のまま死ねると思うと安らかな気持ちが張り付いていた。
だが、竜越者があたしの運命を曲げた。安堵と後悔を打ち砕き、あたしの狩猟本能を魅了した。自らの狩名を渡すほどに胸が高鳴った。
今から一つ試させてもらうつもりだ。あたしがどれほど足りないのか確かめる。そして必ず竜越者の尻尾を掴む。




