猟域脱出10
白い山脈の尾根に沿って東へと向かう。辺りに竜の気配は無い。
竜との契約によってオビトの弱点を教えた訳だが、黄金竜が期待した結果にはならなかったようだ。
黄金竜は私が苦し紛れに嘘をつくと踏んでいたようだ。
まさか、真実のオビト対策が語られるとは夢にも思わなかったようで、私を不気味がった黄金竜は、あっさりと解放してくれた。
「竜が契約違反した場合はどんな感じになるんだろうね? 家畜になれなんて言ったけど、別に竜をどうこうしたい訳でもないんだよね 」
条件面はオビトへの配慮だが、違反によるペナルティは完全に勢いだ。
「竜との実契約者は我々になる。違反によるペナルティは契約者の認識に左右される。我々が家畜は食肉だと思えばその通りになる」
「そんな恐ろしい契約を竜は良く受けたね」
「考えは我々と同じだったのだろう。精神領域の大きさで我々を凌駕していると思い、条件を破っても影響がないと考えたようだ。我々を認識出来ない竜は判断を誤ったが、その事実に気がついていない」
竜が愚かで無いことを祈るのみだが、一応保険をかけておく。
「タコちゃん、竜が契約違反をした場合の家畜認識は、飼い主に殺生与奪権利があるけど、こちらからの明確な指示が無い場合は、自由にして良いってことにしといてね」
「了解した」
黄金竜から別の竜にオビト攻略法が伝わった場合、別の竜にも契約は適応されるらしい。竜族一同総家畜化したとしても、タコちゃんが明確な指示を出さなければ、絶滅はしないだろう。
もう竜と絡みたくない。ここまで面倒な生物だとは思わなかった。
現在位置は竜の住処ど真ん中なので、さっさと東に抜けてしまいたい。
竜の領域だけあって、オビトの追跡は完全に途切れているようだ。
あちらは恐らく、私の進路を予想して先回りしてくるだろう。
森城を抜けた後もかなり短時間で精度の高い追跡をしてきた。狩りをする組織力は相当なものだ。
―――
竜とあれこれあってから半日でオビトの追跡隊が知覚の端に現れるようになった。
現在、日が大分傾いて夕焼け色になり始めている。夜にはオビトに発見されるだろう。
そろそろ狩られてあげる算段をしないといけない。
オビトがどの程度まで、私の下手な芝居を理解しているか確認しておきたい。
ユズツーを追っているのか、まだ見ぬ私を追っているのかで大別は出来る。
私を追っている場合、芝居に気がついているが、私本体をどうにか出来ると思っている。このパターンが一番厄介だ。
私の単騎ステルス突撃で一番偉い人を分からせるしかない。後腐れがあり、国家的なものを敵回すので、面倒極まりない。
ユズツーを追っている場合は、単純に私本体の存在に気づいていないか、気がついた上で芝居に乗る気のどちらかだろう。
下手でも芝居をしているので、出来れば後者であってほしい。折角のお膳立てが無駄になるのは悲しい。
夕日が沈み、オビトの追跡隊12人が迫る。皆、揃いの黒いゴム製のようなマントを頭から被っている。
「オビトは遮蔽術を使っているな。恐らく竜の知覚でも見破ることは出来ない高位の術だ」
見えて無い系のものが見えている私としては困る。そもそも隠しているという事実が伝わってこないので、見えてる想定で行くか見えてない想定で行くか迷う。
今回はオビトの理解度を測るために見えていない程で行くことにしよう。ユズツーを発見させて様子を見る。
「竜に見つからない配慮じゃないかな。私には夕方くらいから見えてたよ。そろそろオビトにユズツーを狩ってもらいたいから事を起こすね」
「ユズの知覚は我々の理解を超えている。遮蔽術は術者の情報が外部に一切伝わらなくなる。見破るためには術から生じる微弱な空間のゆらぎを検知するしかない。オビトは高位の術も使用するようだ。戦闘では我々に感知出来ない術が出る可能性がある。十分注意してくれ」
タコちゃんには驚きの能力に見えるらしい。私としては術無効より、術が使える方が羨ましい。まあ、求めるものは中々手に入らないので、世界のバランスは取れている。
術は使えなくても術に対処できればいい。竜相手で術の起こりはなんとなく察知できるようになった。後は私にできる術への反撃があれば理想的だ。
「術って無制限に使えるものかな? 術者になんの消費も発生させないってことは無いよね?」
何かMP的なものがあるのだろうか? 宿屋で寝ないと回復しない系なら付け入る隙がある。ドリンクがぶ飲み系でもオーケーだ。
「術は生命樹に満ちる生命力を消費して行使する。術の乱発で生命樹に支障があれば、術者本人の生命活動にも悪影響が出る。軽度ならば意識の喪失などで済むが、最悪は生命活動が停止する。失われた生命力は生命樹の根が精神界から補充するが、使用量に関係無く丸一日程度の時間を要する」
戦闘中に回復の難しいMP制のようだ。これでいくらか悪さができる。
「術者は管理が大変だね。あ、オビトの術具はあたりが付いてるから大丈夫だよ。あれは私の故郷で言うところの電池式なんだ。対策も簡単だよ」
相手の種は割れたので、後はユズツーの壮絶な最期を演出するだけだ。
空には星が輝き始めている。闇の中にユズツーを立たせ、私達は空から月の様に見守っている。忍び寄るオビトの影は、もうユズツーを発見に至る距離に迫っていた。
◇◇◆
部屋の中は焼いた肉の香ばしい匂いと、香辛料の刺激的な香りで満ちていた。
「キリンは食べないのかい? 狩の成果はそれまでに作った肉体によって左右されるって言ってたのはキリンじゃなかったかな?」
骨付き肉をひょこひょこさせながら、お屋形様が食事を勧めてくる。
お屋形様への竜越者に関する報告は夜まで続いていた。狩の計画を練る時、完成に至るまでテコでも動かないのがお屋形様のやり方だ。食事も私室に運ばせて、食べながら報告を聞くという行儀の悪さだ。
あたしの分の食事も用意され、木霊笛の先にいるシキ達にも食事や休憩をさせている。
今の状況では食事が喉を通るわけがない。自身の報告によって、今相対している相手がどれ程なのか再認識した。自分達の無力さが明確になっただけだ。
「食事が大切なのは解ります。ただ、今の状況では食事より狩猟計画ばかり考えてしまって、何も食べる気がしないのです」
お屋形様の骨付き肉の動きが止まる。
「じゃあ、少しは食欲が出る話をしよう。まず今回の獲物は組織された兵士の類では無いよ。数も少ないね。僕の勘だけど2個体じゃないかな。シキが懸念するような、全ての森城周辺に、大量の敵が待機していて、たった一体の個体による陽動で1000の狩人が翻弄されているっていう最悪の事態では無いね」
お屋形様の言葉に木霊笛がすぐに反応する。
「あいつはウチらの事をよう調べとる! 武国の諜報を全部やっとる狩人の情報を持っとるんやで! 最低でも大国並みの組織が背後におるやろ!」
シキは早い段階で他国からの侵略を懸念し、外界で狩をする10万以上の狩人を退避させるべきだと進言していた。
「キリンが始め竜越者と話をしたとき、オビト語で話かけられたんだったね?」
「はい。少し北部訛りのあるオビト語で、近くに呼吸、鼓動といった気配のある音はありませんでした。恐らく声だけを術で飛ばしたものだと思います。声はアイラのものではなかったです。始めて聞いた声でしたが声から少し焦りの感情を感じました」
シキは何も答えない。何かを考えているようだ。
「シキは気がついたかな? キリンはまだよくわからない感じだね」
悪戯を企んだような笑顔でお屋形様が骨付き肉に齧り付く。
「あいつ…、何も考えてないやないですか! 確かに危険はないけど、これがホンマなら勝てる気がせんわ」
あたしだけ理解が追いつかない。恐らく狩以外の事実が関係しているようだ。狩から外れるとあたしは何でも疎い。
「今回の獲物は実に単純なんだよ。でも、恐ろしいほどに強い。まず、認識したものは何でも模倣出来る。半分モリビトの僕が全く理解できない術が扱える。そして竜も相手にならないほど強靭な肉体を持っている。あまりに存在が上位なんで、狩人はおろか武国さえ障壁だと思っていないんだよ」
「オビト語はキリンが連れてた3人から模倣したんやな。あの娘ら後でじっくり聞いたら、外界で声出してもうたって言うてたからな。なるほど、せやったら森城にある情報は丸裸なわけや。アイラの中身の模倣は狩猟記録からか。厄介な奴やな」
確かに研修中の3人は北部出身だ。竜越者は少ない声だけでオビト語が理解できるのだろうか。簡単には信じられない。
「竜越者は森城で狩人の法も把握しているよ。外界生物は生きて岩壁を越えてはならないと理解している。だから、次は発見されないように岩壁を抜けているね。ただ予想外に勘の鋭いキリンに追われてしまったので、今度は代理の獲物を見せてわざと狩られようとしているわけだよ。僕達はかなり気を使われているね」
あたし達は竜越者の掌で転がされているだけだ。悔しくても抗うことすら出来ない。
「何か少しでもあたし達で出来ることは無いのでしょうか? ここまで狩人を軽んじられては我慢できません。せめてアイラの姿を弄んだ分は取り返したいです」
「その通りやで! アイラの姿で無茶苦茶した挙句、ウチらに狩らせるやなんて許さへんで! なんかないんですかお屋形様!」
肉の残っていない小さな骨を指で挟んでお屋形様が目を細める。
「竜越者がアイラの姿を使ったのは、僕達以外の部外者に見られても、狩人の内紛に出来るようにという配慮からだよ。でも、勇敢な狩人を冒涜されて、我慢が出来るほど僕はヒトが出来ているわけではないからね。そうだね、竜越者に謝罪ぐらいはさせるよ。本来なら八つ裂きだけど、流石にそれは無理だからね」
お屋形様が指で挟んでいた骨が2つになって床に落ちる。骨の切断面は綺麗にえぐり取られていた。
「相手に動きが読まれてしまう訳ですから、狩の際は阿吽の型でいいですね。あたしは好きにやらせてもらいます」
「ウチもそうさせてもらうわ。堅苦しいのは無しで、全力で当たらせてもらうで」
「やれるならどこまでやってもいいよ。僕もそれを一番望んでいるからね。さあ、しっかり食事をして全力で狩を楽しもうじゃないか」
目の前にある山盛りの肉に急に色が付いたような気がした。かなり空腹であることに今気がついた。
共に狩に挑む仲間とする食事は格別に美味しく感じるものだ。森城を出たときの予感はやはり当たっていた。
あたしは初めて全力で狩に挑むのだ。竜でも満たされなかった狩猟本能を解放するときが来た。




