森林脱出18
信じれない程の涙が溢れてくる。泣くことを止める事が出来ない。
これまで泣くことは無かったが、一度泣いてしまうと、どうやって元に戻ったらよいのか解らなくなる。
涙は頬を伝う前に、消滅してしまう。世界の理は涙にさえ作用するようだ。
恐らく酷い顔をしているだろう。この揺さぶられた心が元に戻るまで、地面に顔を伏せておく。
「その涙が何によって生じているか、我々には理解出来なくなって久しい。だが、心の内を露わにする行為は尊いと理解している。今は心と向き合うといい」
「我々は世界が統合された場所を調べる。落ち着いたら奇岩まで来てくれ」
タコちゃんは行き先を告げて、この場からゆっくり離れて行く。距離が離れるに従って、涙の出所がはっきりしてきた。
私は置いて行かれたくないのだ。世界が一つになったとき、また一人になることを恐れ、震え、涙したのだ。
力に任せてタコちゃんを留めることは出来るかもしれない。だが、何か取り返しの付かないモノが破壊されるだろう。それは私が一人になることと同じだ。
私の力は、この森以外に向けてはいけないものだ。やってはいけないことははっきりした。後はやるべきことを見つけるだけだ。
そう考えると涙は自然と止まっていた。
奇岩の上でタコちゃんが辺りを調べている。私には、ここが何処かは解らないが、周囲18㎞以内の状況は手に取るように解る。
奇岩を中心に、球体を放射状に展開したような形で元の森が広がっている。統合されたであろう元世界は、開かれた森の隙間に、鋭角に差し込まれている。
空から見たら、森が花の地上絵のように広がっているはずだ。
元世界側は、砂漠が広がっている。ただし普通の砂漠では無い。正確には黄色い砂しかない。砂には風紋もなく、降り積もった雪のように、平らな砂だけの大地が延々続いている。
更に異様なことに、砂漠には空気が無い。森と砂漠の境に見えない隔たりがあり、空気の移動すら発生しない。おまけに、砂漠の温度も異常だ。私には実感がないが、鉄でも蒸発するような高温が砂漠に満ちている。
これが元世界の全てとは考えたくない。完全な死の大地が広がっているだけならば、私の運命はなんと過酷なことか。
元世界のことはタコちゃんに聞くしかない。大樹の根は、私の重量に耐えられないだろうから、奇岩にユズカドリルで穴を開けて、クライミングすることにした。
まるでイモリのように壁面を登ると、タコちゃんと目が合った。
「中々特徴的な砂漠が広がってるもんだね。この環境で生存できる生き物はいるの?」
真っ直ぐでは無い質問をしてしまったのは、答えの可能性に絶望があるからだ。だが、どんな答えであれ、世界のあり様が解る。
「ここは、恐らく終焉の黄土。破壊神の舌の中だ。全ての存在が黄結晶に変わるので、生命体は必ず死滅する」
何やら物騒な固有名詞が飛び出した。かなりの終末感が漂っている。
「破壊神ってことは、ココは神の居る世界なの?」
「神を名乗る者は居ても、超越者たる存在は確認されていない。破壊神は過去が生んだ恐怖の俗称だ」
タコちゃんの言葉には、確かな理解に基づいた正確さがある。私は神の定義をしていないが、質問の意図である理の外の存在の有無について明確に答えてくれる。
かなりの洞察力があるので、私の考えることも透けているだろう。質問は真っ直ぐすることにした。
「私はね。森以外の世界を何も知らないんだ。もし良かったらだけど、世界のこと教えくれないかな?」
「ふむ」
少し間が開く。言葉を選んでいるようだ。
「世界は大きく分類して、文明界と外界の2つに分けられる。違いは生息している生物の特徴だけだ。文明界の生物は、種の繁栄を目的としている。一方で外界の生物は、生命樹の繁栄を目的としている」
また、謎の固有名詞(生命樹)が出てきた。タコちゃんの話しから、かなり重要な言葉だと解る。
明確な説明がないから、恐らく私の認識の範囲を確認したいのだろう。
「私には生命樹が何か解らないよ」
私のありのままの答えに、タコちゃんが動揺したように見えた。一定のリズムで動かしていた赤い尾のような触手が、僅かに震えた。
「生命樹は全ての生物が必ず1つ持つ、生命のあり方を示した設計図のようなものだ。生命樹と生物の在り方は完全に一致するので、生命樹を理解する者はなりたい存在へと至る事が出来る」
どうやら、スキルツリーのような物がリアルで存在しているらしい。
なんて素晴らしい世界なのだろう。徹底的に調べ挙げて、完璧にレベリングしたい。
だがおかしい。私は生命樹らしき物を知覚したことは無い。勝手に強化されることはあっても、なりたい何かを得たことは無い。
どう考えても私はイレギュラーなケースだろう。既にレベリングに失敗している感がする。
「私は生命樹とやらを感じないんだけど、そういう事ってあるの?」
タコちゃんの尻尾触手が更に跳ねる。かなり異常事態らしい。
「少しユズを調べてもいいか?」
「いいけど、他の人の生物樹って見えるの?」
「高度な術の制御と、相手の協力があれば可能だ」
私としては、自分に何が起きたのか知りたいし、未知の世界の理も知りたい。何よりタコちゃんから興味の対象として価値が出ることが嬉しい。
早速タコちゃんの調査に応じた。
私の調査は、タコちゃんの象鼻触手で行うらしい。健康診断の聴診器による検査のように、体にポコポコと象鼻を当ててゆく。
かなり際どい場所に当てられたとき、少し動いてしまい。タコちゃんの触手を跳ね飛ばしてしまった。
すっかり忘れていたが、私の体は全身凶器なのだ。小さな動きでも、相手からすれば凄まじい衝激をぶつけらることになる。これから誰かに触られるときは、不動を心掛けよう。
かなりビビりながらのタコちゃん調査は終わったようだ。
「まずはこれを見てほしい」
そう言ってタコちゃんが、銀色の触手で輪を作ると、紫と緑の線で構成された丸い図形が写し出された。
まるでタブレットのような機能だ。タコちゃんの万能性は天井知らずだ。
「この丸い図形が生命樹ってこと?」
「そうだ。これは我々の生命樹を図式化したものだ。緑は肉体領域で、紫が精神領域だ。生命樹は必ず肉体と精神の2つの領域に分かれ、交わることは無い」
ますますスキルツリーっぽくなってきた。
「詳しいことはわからないけど、作用する先が大別して2種あるってことは解ったよ。タコちゃんの生命樹を見せてくれたってことは、私の生命樹は異常なんでしょ?」
およそ予想出来たことだ。この世界に来て私が通常であった試しがない。
タコちゃんが生命樹を切り替えると、銀の輪の中が真っ黒になった。ただの黒では無い。細かい何かが尋常では無い密度で寄り集まって黒を構成している。
「生命樹は通常放射状に広がるが、外界の生物は歪な形状に変化させているものが多い。歪な生命樹はそれだけで、命を崩壊させることがあるが、それでも生命樹の変化を辞めないのが外界生命体だ」
タコちゃんの声には怯えの色が僅かにあった。
「じゃあ、私は外界生命体ってこと?」
「恐らく違うだろう。ユズの生命樹は余りに巨大で把握することが出来ないのだ。これが単独の生命体に内包されることなど有りはしない。我々の知る生命の枠組みを超えた何かとしか言い様がない」
私の生命樹は成長し過ぎて、機能していないようだ。生命樹は生き物が個体ごとに認識できて初めて意味のあるものだろう。私の生命樹は制御不能の暴力装置のようだ。
生命樹について答えを貰ったが、どうでも良かった。私の心に残ったのは文明界という響きだけだった。
「生命樹のことは解ったよ。外界も大体想像がつく。ただ、文明界に一番興味が出たかな。行ってみたいよ」
率直な意見をぶつけてみた。
「そうか。ならば我々と来るか? 我々はこれから文明界に行かなくてはならない」
それは思いもよらない。
最も欲しかった答えだった。




