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剣奴脱出8

 かつてリュー君に使用された術の設計者はミトラだ。


 凄惨な殺人によって恨まれるのは犯人であって凶器ではない。凶器が刃物で、刃物を作った鍛冶屋が復讐に会うというケースは稀だろう。

 しかし、リュー君の胸中には僅かな恨みが芽生えている。

 リュー君に掛けられた術は、あまりにも人を破壊し過ぎる。

 ミトラが術を完成させなければ、自分がこれ程苦しむ事は無かったという思考が、リュー君の中に僅かばかり生じた。

 この思考がリュー君を支配しない理由は、リュー君が自分自身の意思を取り戻しているからだ。

 ミトラが完成させなくても、別の誰かが完成させるだろうし、当時のリュー君が自身の境遇を打破出来る力がなかったと、リュー君自身が理解している。


 だから、リュー君はミトラに凶弾を撃ち込まないし、私のやり方を配慮してくれたりする。


 人の冷静さは僅かな心の揺らぎで損なわれるのだ。


 今現在、ミトラの冷静さは失われている。


 過去に自身の最高傑作という術を設計したが、それがミトラの手元には残っていない。

 肉欲が頭を支配する程に焦がれている術式を、今まで取り戻せなかったのは、術の所有者がそれ程強大だと理解している証拠だ。


 そんな巨大な存在から自由になるような者がいるならば、そこには更に巨大な何かがあると考える。

 そんな簡単な思考すら放棄して、目の前の愛しい存在に飛びつくという事は、ミトラは自己の生存を捨ててでも、欲を優先するという極限状態にある。


「さて、あなたはリュー君を自由にする程の力は持ち合わせていないようだね。これ以上は上手く隠した道具を使っても無理だと思よ」


 私は密かに用意していた小指程の長さの円柱に幾何学模様を刻んだ石を獣車の床に落とした。


 ミトラは指弾の圧迫で呼吸を乱され転げ回っている。人はたった一呼吸乱されただけでパニックになる。

 そんな生命の危機に起因する混乱も、私が落とした円柱が沈静化させる。


 ミトラは直ぐに右腕の感触を確かめた。


 私の落とした円柱は、ミトラの右腕内に仕込んである術具と全く同じ形状をしている。

 私が投擲用に何個か懐に忍ばせてある石を削って作ったものだが、ミトラの精神に危機を感じさせるには十分だったようだ。


「お前らは何だ?下人の皮を被った何なんだ! 」


 下人とは、術の使用が出来ない、または不得意な人を卑下する為に作られた差別用語だ。

 武国では聞かないが、欲国、旧月光国では、よく耳にする。私とリュー君は、一般的に下人と呼ばれるグループに属している。

 術力の大きさは、それだけで自己のアピールになるので、隠す者はいない。つまり術力の弱い者、感じられない者は、下人と判断されるのだ。


「あなたが認識出来ない強さと弱さがあるという事じゃないかな? 私達はただの冒険者だけど、あなたに対抗する能力がある。ただそれだけの事だよ」


「何が目的だ? 俺の術が欲しいのか? それとも何処かの王族でも操りたいか?」


 ミトラはもしもの時、独力で状況を打破するための仕込みを日常的にしている。それはつまり、何者かに身柄を狙われる立場にあるという事だ。

 そんな立場にありながら、リュー君を見つけた時は、全力で取りに来た。

 ミトラは、身を隠しながら、自身の欲求を抑え続ける日々に身を置いていたのだろう。


「私達がこの街に来た理由は、あなたと全く関係ないよ。この出会いは完全に偶然だし、あなたがリュー君を攫う事を諦めるなら、私達は直ぐに帰るけど、そんな事信じられないって顔してるね」


「どうせお前達からは逃げられん。なら、最後に俺がイイ目を見てもいいだろ?」


 言葉が切れると同時にミトラは意識を失った。リュー君の指弾が、再び顎を掠めたのだ。


「この人と話をしても無駄ですよ。早く帰りましょう」


「リュー君の指弾は凄いね。術士相手なら誰でも完封するんじゃない?」


 ミトラの捨て身の術を読んで、リュー君は相手の意識を刈り取った。

 戦闘のプロには、身体強化で防がれてしまう技だが、防御の甘い相手には絶大な効果を発揮しそうだ。

 発案は私だが、運用はタニアの手によって研ぎ澄まされている。

 リュー君が冒険者として、独り立ちする日も近い。


「からかわないで下さい。狩人さん達やブラドさんには通用しませんよ。まだまだ、練習しないとダメです」


 私は獣車に乗っている誰にも気付かれる事無く、リュー君をお姫様抱っこして、走る獣車から降りた。


「確かに、まだまだ、油断大敵だね」


「わっ! そ、外?」


 暗い石畳の道を獣車が去って行く。周りには大きな屋敷ばかりなので、上位者の住む区域なのだろう。


「繁華街からは離れちゃったから、散歩でもして帰ろっか? 気になる屋台があったから、ちょっと寄り道したいなぁ」


「お、降ろして下さい」


「あ、ごめんね。髪には触らないように気をつけてね」


 リュー君は、私から降りると、微妙に距離を離した。


「あの人は、あのままでいいんですか? 凄く危険な気がします」


 離しをそらすように、リュー君が真面目な話をする。


「リュー君にとって、あのミトラという人は危険だよね。もし、彼女の術が一つでも成立していれば、リュー君は無事ではなかったはずだね。彼女の命を奪ってしまえば、そんな懸念は無くなる。命を狙って来る相手を殺す、単純で正しい思考だと思うよ」


「では、何故ユズさんはそうしないんですか?」


「私はリュー君の保護責任者なので、リュー君の事は家族だと思っているんだ。家族が何か大きな決断をする時、私は幾つかの選択が出来るようにしてあげたい。誰かの命がかかっているという事は、大きな事だから、ただ殺すしか無いという状況は、私の力不足だ。だから、もう少し時間が欲しいかな。必ずリュー君の手の中に、選択出来るものを用意するよ」


 リュー君が離れていた距離を縮めて、私の手に触れた。


「ユズさんはズルいですよ」


 私達がしている事は家族ごっこだが、今は必要な事なんだと、お互いが理解していた。


「そお? だから今回は、美味しい屋台で食べて帰るかどうかの選択をご用意しました!」


「絶対食べて帰ります! お金は僕が出しますよ。これは譲りませんからね」


 ―


 私達が深夜に宿に戻ったとき、様子を見ていたディアナは、相変わらず赤い顔をして目を逸らした。

 どうやらかなり純真なようだ。


 ―――


 朝日が昇ると同時に、私達を乗せた獣車は、剣奴連国に向かう緑石街道を東に向かった。


 平坦で整地された道を進むと、視界の先に海が見えてきた。


 巨大な川と海が合流する場所には、多くの帆船が行き交い、岸には黒い瓦屋根の建物が密集して建っていた。


「あれが剣奴連国の入り口であるシロンの町です」


 シロンの町は港から川の上流に向かって、岸にへばり付くように町が広がっている。川の対岸も同じような構造になっていて、川には渡し船が大量に行き来していた。


「その言い方だと、まだ旅は続くのかな?」


「シロンから上流に向かう船に乗って、刀尾県にあるシルビウスの本家まで行きます」


 剣奴連国は、名の通り複数の国が連なって出来ている。県という括りが一小国に相当し、その他に自治区や流民域など、複雑な区切りが数多く存在する。


 住む者も、種族、宗教、文化、流派といった様々な括りに分かれている。


 私の目には、異国文化が入り混じった、もの珍しい景色としか映らない。


 そんな中で、一つ見知ったモノに気がついてしまった。

 既にシロンの町に入っている一団の中に覚者が居る。


 如何にも武芸に秀でたであろう体つきの若い男の体内に、肉の瘤が連なったような別の生き物が入り込んでいる。


 彼等の会話からは大した情報は得られなかったが、一つ耳につく「ライドウ」という単語が出てきた。人名のようで、役職か制度のように語られ言葉は、覚者の青年に向けられていた。

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