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剣奴脱出6

 私が行程を管理する移動の場合、障害となる事象の全てを回避する事が出来る。

 何故かというと、統合知覚と認識した全てを記憶する能力で、状況把握と予測が完全だからだ。


 誰かに行き先を任せなければ、平坦で最短の行程が可能になる。

 今はその真逆と言える。


 赤月国の吸血鬼が面倒事を起こしに来ている。

 恐らく、ディアナ本人にではなく、シルビウスという氏族に対しての軋轢が原因だ。


「シルビウス家が我らにした事を忘れたのか? よくその証文で赤月に入れたものだな」


「これは剣奴連が発行した正規の文書です。あなた達も闘技会に連なる者ならば、この文書を持つ者への対応は、理解していますよね」


「知っているとも、だが素性の知れない侵入者には関係の無い事だな」


 赤月の吸血鬼はディアナに手を出すつもりは無い。どうにかする対象は、私とリュー君のようだ。

 既に背後に回り込んだ吸血鬼が、私の後頭部を掴んでテーブルに叩きつけるつもりらしい。


 ディアナは対処するべく、見えない空気の弾で吸血鬼の動きを妨害するつもりらしいが、このままでは吸血鬼の手が私に触れてしまう。

 捕まれたり、触られる事は、非常にまずい。色々と普通で無い事がバレてしまう。


 さらにややこしい事に、リューは誰にも認識される事無く、指弾の発射を終えている。

 私を守ってくれるのはありがたいが、撃たれる吸血鬼は身体欠損する威力設定だ。


 私はリュー君にだけ理解出来るように透過を調整し、手にあった木匙を弾に整形し、リュー君の発射した弾に当てて消滅させた。

 迫る吸血鬼を緩めのユズカブレスで少し浮かせ、ディアナの風弾に巻き込まれるように、位置を調節した。


 私とリュー君を狙った吸血鬼は、私達のテーブルを飛び越えて、壁に激突した。


「貴様等!抵抗するつもりか?」


「妙な動きをして、勝手に転んだのは、そちらでしょう? それに、座ったままのわたくし達が、どうやって手を出すというのですか?」


 ディアナの態度は堂々としたものだ。この手の厄介事に慣れているのか、見た目の幼さからは想像出来ない老獪さを持っている。


「黒剣がいなくなっても、シルビウス家の自在師ぶりは、変わらんという事かな?」


 ディアナの心に一瞬だけ、激しい感情が起こるが、直ぐに冷静になる。


「その言葉、闘技会への侮辱ですよ。懲罰剣奴になりたいというのであれば、止めはしません」


 感情と勢いのまま攻め込んだ吸血鬼と、冷静に対処したディアナとで勝敗は明確だった。


「赤月にいる限り、我等は見ているぞ! 引き上げだ、皆、持ち場に戻れ」


 颯爽と風を切って現れた白装束軍団は、早足で去って行ってしまった。後には、店に居づらい雰囲気だけが残された。

 私達は急かされた訳でもないのに、急いで食事を済ませて店を出た。


 ディアナは、先程の吸血鬼の有様を抗議するべく、闘技会に通じる場所へ行くようだ。私達は獣車に戻って待つように言われたので、少しの間、別行動となった。


 ―


 リュー君の表情は浮かない。


 良かれと思ってやった行動が、勝手にやり直されたのだ。普通ならドス黒い気持ちに支配される。

 リュー君は私という存在を、精神的支柱に考えているので、先程の出来事に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。


 実はリュー君の対処は正しいのだ。

 人を相手に力を見せる場合は、二度と手を出したく無いという気持ちに、一撃でさせなくてはならない。

 これはタニアの考え方であり、暴力での支配力が強い文明界では一般的な考え方だ。


「リュー君は、何か間違えたと思ってる? それなら気にしなくていいよ。間違えたのは私だから」


 私は文明界にあるほぼ全ての力に抵抗出来る。だから、私という存在を私が優先する事はしない。する意味もないし、必要もない。

 私以外を優先しているから、私の関わる事で私以外が害されないようにしている。


 その結果、吸血鬼に対して強者と思わせる事より、弱者として侮られる事を選んだ。


 文明界の人としてのあり方として、全く間違っている選択をした。

 この後、吸血鬼はディアナを警戒するが、何も出来なかった私とリュー君だけならば、どうにでもなると考えるだろう。


「何故間違えたんですか? 僕にはそれが理解できません」


「単に初めての外国を楽しみたいからかな。リュー君には覚えておいて欲しいんだけど、私は簡単に間違えるよ。だから、自分の中に正しさを持って欲しい。そして、私に『間違えてるよ』って言って欲しいかな」


「そんな事言って、本当は僕に理解出来ないような事を、隠してるんじゃないですか!」


 リュー君はすっかりむくれてしまっている。そんな姿のなんとキュートな事か。


「そうそう、そんな感じで怒ってくれると丁度いいよ」


「真面目に聞いて下さい!」


 リュー君のむくれ顔を楽しんでいたいが、これ以上はやりすぎになる。


「さっき言った事が全部だよ。ほら、私は隠し事と嘘が下手でしょ。何かあったらリュー君には気付かれるよ」


「…確かに、嘘は言ってないです」


 私には直接見えないが、たっぷり感覚糸で探知したのだろう。

 探知に誤情報を送るように、体の反応をコントロール出来るが、リュー君の前では自然に任せている。


「じゃ、獣車のとこまで行こっか」


 私がそう言うと、リュー君は私の手を取って歩き始めた。


「さっきの白い人達が来たら、今度は僕が守りますから、ユズさんは何もしないで下さいよ」


 リュー君は少し早足で、私の手を引いた。


 ――


 特に面倒事も無く獣車は出発する事が出来た。道も緑石の街道が続いていたので、行程は至ってスムーズだった。


 空が夕焼け色に染まる頃、私達は赤月国の首都へと入った。

 ディアナの印籠のような文書で、都入りになんの障害もなかった。


 今夜は都で一泊し、明日の朝に出発するスケジュールらしい。

 宿は割と高級そうな佇まいで、赤を基調とした歴史ある感じの木造建築だ。

 私とリュー君に個別の部屋が用意されており、ディアナの財力は中々である事が伺い知れた。

 私とリュー君の部屋割りでゴニョゴニョ言って赤くなっていたところを見ると、男女の関係には敏感なお年頃のようだ。


 朝に出発出来れば、夜は自由という事になり、特に制限を設けられる事はなかった。


 私とリュー君は宿で食事をした後、赤月の冒険者組合が、どんな感じか気になるという話になり、少し街に出歩く事にした。


 赤月の首都は、二階建ての木造または石造りの建物で整備されており、中華とインドの中間という雰囲気だった。


 街を行く人々の服は、比較的、豪華で派手なものが多く、富裕層が多くいると感じられる。

 簡素、または武装している人は主に外国人で、私達もそこにカテゴライズされる。


 冒険者組合の建物は、メインストリートから少し外れた、飲み屋街の一角にあった。

 裏通りは、ヤクトと同じで治安の悪そうな雰囲気だが、私とリュー君は慣れたものだった。


 ただ、この街は私達に慣れていない。タニアの圧力も届かない街では、私達は一見ただの弱者だ。


 獣車がたくさん停めてある一角を通ったとき、私達の前の獣車の戸が突然開いた。


 飛び出すように降りて来たのは、紫色の短髪の男装の麗人だった。

 出会った人の肉体的性別が直ぐに分かるのは、リュー君と私の共通認識だ。


 一見すると細身の男性にしか見えない人物は、いきなりリュー君の腕を掴んだ。


「この子の主人はあんたか? 今すぐこの子を売ってくれ。金は幾らでも出す!」


 失礼極まり無い事を言った人物からは、巨大な術力が探知された事を、私はリュー君の反応から知った。


 ヤクトでは一度も出くわした事の無いほど大きな術力だ。

 術力だけの単純な大きさで言えば、タニアを超えている。


「彼をお金で買う事は出来ませんよ。彼の所有権は彼にあるので」


 私の冷淡な物言いを聞いて、紫髪の人物は術力をより大きくした。

 強者の特権として、弱者から奪う。文明界では当たり前の構造が、ここにもあった。


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