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森林脱出1

 私こと黒明くろあけ 柚香ゆずかは特殊訓練された社畜だ。


 勿論、自称している訳では無い。後輩によって広められてしまった、ある種事実を含んだあだ名の様なものだ。


 同期入社した社員は誰も残っていない。皆辞めてしまった。

 それぐらい当社の業務は厳しいのであろう。私は辞める必要性を感じないが。


 仕事を苦痛に感じない理由は私の趣味にある。

 私はフィクションをこよなく愛しているのだ。

 妄想が介在する余地があればなんでも来いだ。


 短い時間でも触れられれば十分満たされるので、社畜生活でも賃金さえ支払われていれば、何の問題もない。


 手元にある携帯端末から、数多の小説、漫画、アニメ、ゲームにアクセスできる今の時代は、私にとってパラダイスに他ならない。

 ジャンルにもこだわりが無く、女子向け、男性向け、子供向け、恋愛、暴力、SF、ファンタジー、エロ、グロと何でもいける雑食オタクだ。




 以前、後輩の愚痴に付き合って飲んだ際、私のスタンスを話したら、朝まで説教だった。


「ユズ先輩は女子であることを舐めてますね!」


「舐めてないけど、興味はないかな」


「そういう男っぽい感じで、男落とすのが腹立つんですよ‼︎」


 酔った勢いとはいえ、割と本気でキレられたが、彼女は一つ勘違いをしている。


 私は誰かを落としたことは一度も無いのだ。

 仕事でやらかした若い営業男子をウチの部署で秘密裏に匿うべく、裏でコソコソとデスクワークを仕込んでいただけなのだ。

 ただ、男っぽいとは的を射ている。


 そもそも自分にあまり興味のない私は、ビジネスマナーに沿う程度の化粧と衣類を纏い。趣味と仕事を邪魔しない程度に髪を伸ばし、仕事では男女問わず敬語で話すという外面だ。対外的に冷淡な印象があるのだろう。


 実際のところ、中身はただのオタクなので世間的には隠れオタクだ。隠してはいないが、隠れてはいる。


 とにかく、私の人間性に多少問題はあっても人生は順調だった。



 あの夜を迎えるまでは



 ーーーーー



 珍しく土日が休みとなる週末を迎えたので、私は浮かれていた。


 趣味を完全解放するためにカスタマイズされた我が家たるワンルームマンションの一室は、主人の帰りを待っていた。

 だが、我が家に帰り着いた私は一つのミスを犯していたことに気づく。この二日間を戦い抜くための兵糧が無い。


 ここ数日全く家に帰っていなかったので、固形物の食料は空だ。飲み物しかない。


 急いで趣味の世界に没入したいが、空腹は私の妄想力を著しく低下させてしまうので、コンビニへ向かうことにした。


 手早くコンビニ用装備(厚手のパーカーとストレッチジーンズ)に着替えた私は、夜の道を1人歩く。


 歩きながら手元の端末を操作して、帰りの電車で読んでいた漫画の続きにアクセスする。

 ながら漫画は危険で行儀が悪いが、こんな時間誰も歩いていないので、衝突の危険性や怒られることは無い。

 同じような時間にいつもやっているが、まだ一度もトラブルに会ったことは無い。


 街灯がある明るい道を歩いている。


 ながら移動は視界の端を利用しているので、視野が狭い。急に出てくるものに気が付き難い。

 そんな状態でもぼんやりと遠くにあるソレを認識した。


 何かいる。


 近くを通る幹線道路から車の走行音が伝わってくる。周囲に異常はない。本能的な危険を感じることも全く無い。

 よく見るとコンビニの原色看板が300メートル先に光っていた。


 そこは紛れも無い日常だ。


 ただし、ソレを除いては。



 ソレは言わばただの影だ。

 だが存在している場所に問題があった。


 何も無い空間に影があった。

 そこに壁があればなにも問題はない光景だ。

 だが、ソレは物理や光学を無視してその場に佇んでいる。



 怪奇現象と言う他ないソレは、空間にぽっかりと黒い穴が開いているようだった。


 思わずギョッとしてしまったが、手の込んだイタズラと言えなくはない。種がわかれば案外大したこと無い気がする。


 何より私はコンビニに行きたいのだ。


 影の輪郭は不定形ではなく、はっきりとした形をしていた。


 人の形をしているのだ。


 この場の人型は私のみ、つまりあれは私の影なのだろう。

 足元を見ると街灯に照らされた私の影が地面にあった。

 私の影が分離してあそこにあるわけではないことに少し安堵した。

 少なくとも私に異常が起こっているわけではない。


 では、あそこに私の影が映っているのだろうか?

 片手を上げると簡単に答えが出た。

 ソレもシンクロして片手を上げたのだ。


 やはり、私に対して水平な空間に影が映し出されているだけだった。


 途端に私の中に沸きつつあった恐怖心が消え、好奇心に変わった。


 自分の影だったソレは種の解らない手品のようなものだ。


 そうなると、種が気になって仕方ない。

 恐らく影を写しているのだから、光源は私の背後にあるはずだ。



 人は好奇心を我慢できない。

 私は答え見たさに振り返った。



 だが、そこに私の答えは無かった。




 あるのは得体の知れない森の木々と鉛色の球体だった。








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