90話 罪は私を緋色に染めて13
意を決して、目の前に浮かぶ鏡を潜ると、雪原が広がっていた。
……寒い事に変わりは無いが妙に居心地が良い、恐らくは自分自身の精神世界だからだろう。
雪が深々と絶え間なく振り続けているが、地面にはさほど積もっていない……まあ、そういう世界なのだろうとしか言いようが無い。
その地面には前の世界と同じように花が沢山生えていて、木々も存在している。
とはいえ、その花と木もまた、普通の物ではない。
淡雪のような半透明の白色で、それが太陽ではないこの世界特有の優しい明かりを反射して、美しく輝いている。
そっと近づいて木の表面に触れてみると、樹皮がはらりと剥がれて手の内に収まる。
それを嗅いでみると、どこかで嗅いだような匂いがして、試しに口に含んでみる。
砂糖だが、きつすぎない甘さと、さらりと淡雪の様に口の中で溶ける舌触り……これ和菓子の淡雪羹だ、確か水を加えた寒天を火にかけて砂糖を加え、煮詰めた所に泡立てたメレンゲを合わせて固めるんだったか、文化祭で豊が作ってた記憶がある。
そして寒天をゼラチンに変えればマシュマロが出来る……寒天はアザトース経由じゃないと難しそうだけど、ゼラチンなら骨とかから作れるから試してみるのも良いな。
……いかん、思考が訳の分からない方向に飛んで行っている、軌道修正しないとな。
取り敢えず今度は花の方を一本摘んで、齧ってみる。
……物凄く鉄臭い、普通の人は無理な味……要するに血の味がする。
普通なら食べれない物だろうが、私なら食べれてしまう、血の味なら慣れているから。
多分それこそがこの花がここにある理由なのだろう。
尤も、淡雪羹の木がある理由は謎ではあるけど。
……現実逃避しても駄目だよね、ここは私の世界、その狂気を理解しなくては。
普通の人の精神領域は精々二つか三つだ、幾つもの強い狂気を持たないからそれで事足りる、だが私は違う、何種類もの狂気を身に秘めている、そのため精神領域も何種類もある。
それは普段表に出るものは入り口である前の場所から近いが、中々出ない物は辿り着く事すら困難な筈だ。
……今回はここまでで十分な筈だが、いつかより深い領域へと、行かなければならないだろう。
さて、この領域の狂気は簡単だろう。
それは『絶対零度』、即ち冷徹であるという事。
私は自分のしたい事しかしない……今は女帝マーガレットの夢を叶える事がそのしたい事だ。
そして私はその目的の為には手段を選ばない、というよりも選べない手段が無い。
どのような禁忌であれ、目的の為には何でもする。
かつては生きるために人を喰った、自分の所に逃げ込んだ子供を傷付けた物が許せなかったから殺した、生活費が無くて盗みを働いた事や、博打でイカサマをした事もある。
……そしてそれを私は一切反省していないし、他の方法があった等と後悔したことも無い……というより出来ない。
恐らく私は普通の人は持って居る大事な感情が欠落しているのだろう。
罪悪感はある、倫理観も一応だが、無いわけではない。
多分私に足りないのは友とする者以外に対する同情と共感性。
当然ながら、豊が傷付けられれば烈火の如く怒る事は明白だが、道端で誰かが暴行を受けて居ても何も感じない、尤も、その行為が私の気分を直接的に害する類の物なら別ではあるが。
……認識してしまうと、思って居た以上に自分の異常さがよく解る。
そういえば学校では、陰で変な二つ名で呼ばれていたが、それも案外的を射ている。
『絶対零度の荊姫』
それが私の異名でもあり、あの学校で姫と呼ばれた三人の女子で一番危険で苛烈だと言われている。
その内のもう一人が『なよ竹の眠り姫』という何か二つの童話が混じった呼ばれ方をしていた、今敵側に付いて居るあの子だ、彼女とは何度も話していて、私としては珍しく救いたいと思って居る。
……因みに東の森にダンジョンを構えて居るあの中二病は『邪神信仰の魔女』とか言われていた、そして現在、それは本当にそうなっている。
……これは男共が勝手にそう呼んでるのを豊から聞いた物で、自分で考えたものではない、もしかするとあの中二病に関しては自分で広めたのかもしれないが。
……無駄な話はこの際置いておいて、やる事やって帰ろう、自分の世界とは言えいい加減冷えて来た。
懐から紫水晶の球を取りだす。
……簡素な黒のドレスのどこから取り出したんだと言われそうだが、自分の精神世界なら、世界に直接干渉しない範囲なら、基本的になんでも引き寄せたり造り出したり出来るから、それを使っただけだ、懐からなのは気分でしかない。
その紫水晶の球を宙に放り投げると、それは空中に浮かび、やがてこの世界に溶け込むように消えて行った。
……さて、そろそろ出ようか。
そう望めば、足元に来るときに使った魔道具そっくりの鏡が、初めからそこにあったかのように落ちている。
それを拾い上げて発動させる……尤もこれも気分でしか無いのだけど。
そして入る時の落ちていく感覚とは真逆の、浮かび上がる感覚に身を任せて、一旦意識を手放した。




