265話 笑顔の伝道師5
大地に打たれた三本の楔、それを壊さなければ、この地は魔物の群れに押し潰され、跡すらも残らないであろう。
楔に向かって放たれた矢に魔法、その他遠距離からの攻撃は全て見えない壁に当たって搔き消される……直接近付かなければ破壊する事は出来ないようであった。
そして、訓練を積んだものは多く居ても、数え切れぬほどの魔物の群れの中を突破できる実力を持ち、それなりに齢を重ねた木ほどの太さを持つ、楔を破壊出来る程の火力を持つものはごく少数である。
「これもあの方が望んだ事であるのなら……」
セイは城壁の上から見下ろし、魔物の群れを見定める。
彼女一人で楔を一つ破壊する、そのつもりだ……マーガレットは護衛を付けようとしたが断った。広範囲を纏めて薙ぎ払う魔術を持った彼女には仲間など邪魔でしかなく、また星華の鶴の一声で重用された彼女を良く思わない者も少なくはない、楔の破壊を終えた直後に背中を刺されるくらいなら、ただ一人の方が余程楽であった。
「僕も行く」
セイは振り返ると首を振った。
『無駄、あなたの実力じゃ死ぬだけ』
「でも……」
それでも諦めないエルにセイはめんどくさそうに手で払った、直後エルは床から生えた植物の蔦に絡め捕られ、縛り付けられた。
『もう私を追うのはやめて、何をしても私は壊れたままだから』
それだけ言うとセイは城壁から飛び降りた。
地面に植物を生やし、落ちた自身の体を受け止める、直ぐに群がってくる魔物に向かって、表情を変える事もなく、両手で持った水晶玉ほどの大きさの緑色の宝玉に力を籠める。
瞬く間に生えた木々から蔦が伸び、首に巻き付いては吊り上げる、縊られた魔物は暫くの間じたばたともがき……動かなくなれば、ぷちりと首が絞り切られ、胴体が地面に落ちてぐしゃりと潰れる。
一切の容赦も慈悲も無い、常人であればもう少し苦しまない様にだとか、無駄に死体を破壊しないようにするだろう……それを一切無視し、ただ殺す、それを為せる精神性は鍛えた所で手に入るものでは無い。
『私は正義ではない、敵は悪ではない、ただ己に死を与えようとするだけの存在、だから殺す。他者の苦しみに私が目を向ける必要は無い、私にとっては私が受ける苦しみが全て、だから私が苦しまぬよう、相手を殺す』
星華が諭した訳では無い、ごく自然な論理だ、人間には自身の気持ち以外を知ることは出来ないのだから。
ゆっくりと歩を進め、楔の前に立つ。
楔に向かって手を伸ばし、呼び出した蔦で楔を縛り、引き絞る……少しずつ締め上げられ、楔は悲鳴を上げるように亀裂の音を立て、そして崩れた。
一息ついた、その瞬間セイに激痛が走る……背後から狼型の魔物に飛び掛かられ、脇腹を爪が切り裂いたのだ。
「くぅ……」
素早く狼を吊し上げ、自身を囲むように蔦を編んだ覆いを作り上げ、その中でセイは一人座り込む。
生命を操る魔術が使える以上即死する事は無い、現に傷自体は直ぐに塞ぎ、これ以上血が流れない様には出来た。
だが、既に多くの血が流れ出ており、小柄なセイには限界が近かった。眩暈が酷く、手足が痺れるような感覚に襲われ、思考にも靄がかかる……
意識を失えば自身を守る蔦の覆いは無くなるだろう、そうなれば餌でしかなかった。
『……ずっと命なんでどうでも良いと思っていた、家族も無く、穢されて、邪魔になれば捨てられた……人間はいつでもそうなのだろう、人は自分だけを見つめる生き物だから……求めるものなど最初からどこにも無いのだから、命など無価値で、いつか終わる為にあるものだから…………でも、最後になって思えば……私は生きたい、どんな方法でも構わないから、私は私だけを見て……全てを奪ってでも、生き続けてやる』
枝が伸びる、翼を広げるように。
葉が広がる、手を伸ばすように。
根が満ちる、地を覆うかの如く。
桜の木の下には死体が埋まる、たった一つの死体で桜が美しく咲くのなら、数多の命を啜った華はどれほど美しく咲き乱れるか。




