258話 奈落からの御伽噺
扉が開かれ、二つの人影が部屋へと歩みを進める。
「おい……」
紅蓮が飛び出すのを手で制した星華は、静かに部屋の中央へと目を向ける。
黒大理石の部屋の中央、そこに置かれた玉座に彼女は居た……目と耳に白布を巻いて覆い隠し、全身に巻き付いた茨の蔦は彼女を玉座に縛り付け、全身に傷を負った姿で血を流しながら動かずに座っている。
「あいつは……自身が休める場所を望んだんじゃないのか……」
「ここはあの子の心の世界、あの子は……静かに休む場所、安息の地を想像する事すら出来なかったのだろうね……それほどまでに彼女を苦しめた元凶が居る、空想の世界にすら土足で踏み込み、世界を荒らす者が」
星華の言葉に呼応するかのように、部屋の影から二つの人影が歩み出た……男性と女性、どちらも身なりが良く、上流階級と言った様だ。
……そして声が響く。
「一族の恥め」
「出来損ない」
「愚鈍な役立たず」
「顔も見たくない」
「消えてしまえ」
「産まなければ良かった」
言葉が響く毎に部屋全体が軋み、玉座に拘束された少女の体に傷が走る。
「……外の連中も大概ろくでもなかったが、それでもあいつらなりの善意であいつを前に進めようとしていた、だがこいつらは……」
憎悪に満ちた紅蓮の言葉を、静かに星華が引き継ぐ。
「彼女の存在そのものを否定した……拠り所となるべき存在が自らを切り捨てたんだ……ただ生きる価値すら認められずに」
彼女を徹底的に破壊し尽くした怪物達、その名前は……
「家族、それが彼女を苦しめる記憶の楔だ」
「潰す」
「やってみなさい」
紅蓮が大剣を振るい、父に切りかかる、だが、その刃は寸前で見えない力に止められる。
『痴れ者め、立ち去れ』
そのまま大剣ごと体を押し返された紅蓮はよろめき、取り落としかけた大剣を握りなおす。
「こいつの親は化け物か」
「いや、只人だよ、それだけ彼女の中でこの二人は別格の存在なのだろう、多少の暴力では制圧出来ない程に」
あくまでも冷静な星華に、紅蓮は大剣を向ける。
「てめぇはあいつの事を救う気はあるのか」
その問いに、星華は静かに笑った。
「あるさ、しかし分析は冷静に……だがもう十分だ」
星華はゆっくりと玉座に向けて歩みを進める。
『賤民め、高貴な者に触れるな』
『不遜であるぞ、近寄るな』
二人の力ある言葉が星華を吹き飛ばそうと叩きつけられるが、彼女はそれを正面から嘲笑う。
「私が権威など恐れるとでも思うたか愚かな貴人よ、我は幾千万の屍を踏み越えて歩む者ぞ……其方らがその子を要らぬと言ったのだ、我がその子を貰い受けよう、我がその子を導こう、我等がその子の家となろう」
星華は歩みを止める事無く、少女の座る玉座の前に立ち、目と耳を覆う白布を引き千切る。
「星華さん……」
「輝夜、君はこの程度の人間に縛られる程度の器ではない、君の真の力に気付けぬ者に従う意味など無いのだよ……君が行きたい場所を願うがいい、そこに己を導く方法は既に知っているのだから」
輝夜はゆっくりと手を星華へと伸ばす、帰る場所を手に取ろうと。
「望むなら与えて上げそう、望む場所に行く力を」
星華が手をかざすと、何も身に着けていなかった輝夜の足に、美しい銀の靴が現れる。
「銀の靴……黄色いレンガの道を踏みしめて、家へと導く魔法の靴」
「方法は示した、不足なら作ればいい、今の君には造作も無い事だ」
輝夜は己を縛る茨を見た。
「……鋏、子山羊を食べた狼の腹を裂く程に鋭い刃」
直後出現した鋏によって茨を切り裂き、そして立ち上がる。
『逃げるな……』
彼女に迫る両親の幻影に静かに手を向ける。
「靴、最高の美貌と驕った愚かな女の妄執の代償」
突如現れた赤い靴を母は喜んで履き、輝夜は自らの手に出現した斧でその足を切り落とす……母の幻影は霧散した。
残った父が輝夜に拳を振るう
「家、誰もが帰るべき場所であり、そして貴様が与えた重圧」
父は何もない空中から落下してきた家に押しつぶされ動かなくなる、輝夜はバケツ一杯の水をその体にかけ……父の幻影は溶けて消えていった。
「きっと、世界は残酷なのでしょう」
呟く輝夜を背中側から星華が優しく抱きしめる。
「誰かのハッピーエンドは、無数の誰かのバットエンドを踏みしめて、そうして紡がれる物語なのでしょう」
星華がその頭をそっと撫でる。
「皆の大団円などに興味はありません、私が気に入る結末があればそれでいい」
星華はそれでいいと、静かに笑った。
「そこに至るまでの筋書きが気に入らなければ、書き換えましょう、既存のシナリオを破り捨て、私が望む台本へと」
彼女の纏う白い羽の連なったドレスが幽雅に揺れる。
そして、星華に向かって言った。
「私は、あなたの立つ場所へ辿り着けるかは分かりません、でも、目指してみます……私が誰かの家になるために」




