230話 逢魔ヶ時8
門を潜り、僅かな揺らぎの感覚が消えるとそこは華美な出会った宮殿であった。
大理石と思われる白い石造りの建物に、豪華な装飾のシャンデリアには魔力で燃える蠟燭が仕込まれている。
「扉にも魔術的な施錠か、随分と便利に作られているな」
私がそう口を開けば、先導する天使の長は静かな、それでいて自嘲を含んだ笑いの籠った声で答える。
「ああ、便利だな……この宮殿で命の危機なく暮らせる事に満足しているべきだったのだ」
「それは己の事を言っているのか」
「……それもある、本来は人が知るべき事では無いが、其方に隠しても意味などなかろう」
そう言った彼は一拍の後口を開いた。
「其方も気付いているだろうが、今ここに神と呼ぶべき存在は居ない……数百年前、我々天使には何も告げず唐突に姿を消されたのだ……初めの内は我らもさして心配はしていなかった、我らには知らせるべきではない事があるのだろうとな……だが、それが長きに渡った時、我らは恐ろしい考えに取り憑かれるようになった、神が我らを見捨てたのではないかと……日に日に疑心は強まり、あの行いが悪かった、お前の判断が間違っていたと天使同士で誹り合い、自分だけでも赦されようと剣を身内に向けるようになっていた……そして私はそれを止める為、言ってはならぬ事を言ってしまったのだよ……」
そこで彼は言葉を切り足を止める、私も同じように足を止め、言葉を引き継ぐ。
「……父が我らを見捨てたのであれば、我らがその忠義を果たす理由は無い、父ではなく我らが我らの為に人間を導こうではないか……そんなところか」
私の言葉に彼は再び自嘲を含んだ声で答える。
「大体は間違っていない……彼らの長である私がその言葉を唱えれば、他の天使は恭順の意を示し……次第にその計画は皆の言葉の中で独り歩きを始め、人を導くのではなく搾取しようとする、悪意ある計画となり、歪んだ選民思想を育てていった……」
「だから、アンタには責任が無いとでも言うのか」
「いや、全て私の責任だ、この身に変えてでも計画の暴走を止めるべきだったのだ、私は皆が元の状態に戻るのを恐れ、それが出来なかった」
後悔を感じるその声音に私は答える。
「姐さんの言葉だ、人は川の流れを直接阻むのは困難だが、溝を掘り別の方向に導くのは容易い、大きな流れが危険だと判断したならば阻むのではなく導くべきだ、とさ」
「ああ、そうだな、そうすればこんな結末になる事もなかっただろう」
暫し靴音のみが響き、私は口を開く。
「アンタはなんでこんな時に計画を実行したんだ、私の実力を知る前はともかく、私がここまで国に入り込んでいる状況で計画を中止し、別の世界に行かなかったのはどうも腑に落ちない」
「何故計画を練り直さずそのまま続けたのか……天使の大勢が数で攻めれば其方に負けることは無いと考えていたのが大きいが、私が計画を中止しなかったのは……計画が止められるならそのほうが良いと思っていたからだろうな……何度でも蘇れるからと無茶な攻撃を行って得られるものが平和とは思えなくてな……」
「……ま、そうだろうね、大方あの世界を支配してもきっと満足はしなかっただろう、ただの恐怖と不安を目的意識に盲目になる事で誤魔化しているだけだ、支配をすることではなく、支配をしようとする事が目的なのだから、暫しの鎮静化の後に、また次の獲物を求め始めるだけだろうよ」
返答に納得し、歩を進める。
暫く歩いた後、一つの部屋の前に到着する。
「ここが其方の牢であり客室だ……元よりこの地に牢獄は作られていなくてな、外から施錠を行えるこの部屋を牢の代わりに使う事にする……まあ、両方に鍵穴がついているだけで、魔力による施錠でしかないから其方ならば容易く抜けれるだろうが……転移術を用いる其方を閉じ込める部屋などありはしないのだから構いはしない」
鍵を開けてもらい、部屋を見回す、豪華な寝台に棚や引き出しが豊富な書き物机、ぎっしりと詰まった本棚に、普段使いようの丸机に椅子、簡単な工芸台も用意されてあり、これから人を閉じ込める場には見えない。
「……良いのか、到底囚人の居る場所とは思えんが」
「数年はこの場に留まるのだろう、ならば気にする事は無い、元より誰も使わぬ部屋だ……紙と筆記具などは今は無いが後ほど運ばせる、彫刻を行うのであれば木材や石材程度は用意しよう」
「随分と良い歓迎だな」
呆れながらも皮肉の様に返すと彼も同じように返す。
「ああ、魔道具の開発でもするなら協力しよう、技術が貰えるのなら容易い交換材料だ」
「……良いだろう、せっかく秘密を教えてもらったんだ、私が独自に作り出した技法の内、容易い物から教えてやろう、先の戦いに参加しなかった他の天使にはその見返りに良い部屋を提供したとでも言っておくがいいさ」
折角良い部屋をくれたのだ、その程度の見返りは問題ない。
「ほう、その刃が己に向けられてもか」
「構いはしないさ、全ての技術を教える訳でもなければ、私の技術がこの先発展しない訳でもない、其方らの魔道具に討たれるのであればそれは私が至らぬのが原因だろう、人間もその程度の物に対応できないようではどの道、碌な事になるまい」
そう言って寝台に腰掛け、天使長に向き合う。
「……さて、逢魔ヶ時は過ぎ去り、人の世に夜が訪れた、闇の中で人が如何様にして先に進むのか、共に眺めるとでもしようじゃないか」




