166話 黒い翼2
私は豊……いや、豊に乗り移った何者かに声をかける。
「私の豊に対する命令権は、邪神アザトースによって嵌められた枷、それを振り払える程の力を持ってはいまい」
豊は私の方に目を向ける……その程度は抵抗できるという事はそこそこの天使だろうな。
乗り移ったのは天使に間違いない……なぜなら今、豊の視界を天使長の眼で覗けているからだ。
「豊は天才的な巫女体質……だが、それは乗り移られやすいという事に他ならない、分かっていたつもりではあったが考えが浅かったな……まさか、天使が、憑依を使うとは思わなかった……ああ、出来るかどうかではない、実行するかどうかの話だ」
冷静になるように努める、今怒りに飲まれては計略が狂うのだから。
今は天使の非を穿ち、神の力の源である信仰心を削る準備に専念しよう。
「一つ提案がある、豊を開放してくれないか……そうすれば、天使が人質を使ったという事実は言わないでおくとしよう」
「…………」
「……ああ、すまない、許可を忘れていたな、豊、話すことを許可する」
「……断る」
断られることは分かっていた、天使が私を思い通りに動かせる最後の機会かもしれないのだからな……これは天使の所業を言いふらす事を天使に認めさせることに意味がある……豊を開放すれば、天使の行為を黙っているといったのに、それをしなかったのだから、それを言いふらされても当然だろう。
「そうか、相手を許すのは神の専売特許だと思っていたのだが……現実はどうやら違うようだな」
「…………」
「命令は解除したはずだよ、何か言ったらどうだ?」
普段の豊には絶対に見せない、凍てついた眼差しを向ける……これ豊の意識があったら怖がってるだろうな。
「豊、誰の命令で乗り移ったのか答えろ、命令だ」
「……我は主上の命でここにいる」
「主上というのは、神の事で間違いないな」
「……そうだ」
実際には天使への質問だが、二人称を豊にしているのは、命令の効力を強くするためだ。
だが、やはり神の命令か……まあ、当然だな、天使がそれ以外の理由で動くことは無い。
「それで、豊に乗り移ったという事は、私への取引の札という事だな……何が望みだ?」
答えは知っている、私に憎まれる事を承知の上でそこまでするのだから、答えなど限られる……だが、それを天使自身に言わせるのが重要だ。
「我らは其方が、こちらの勢力に手を貸す事を望んでいる」
「そうか……まあ、妥当だろうな」
豊の後ろでマーガレットが苦々し気な表情を浮かべているが、そこまで衝撃を受けた様子はない……まあ、私が裏切っても問題なく国が回るように仕込みは済ませてあるし、そこまで心配はいらないだろう。
あと、この要求を、天使が行った場合と、私が取引の材料として口にした場合では大きく異なる……前者であれば、天使が人質を取って強制的に裏切らせたことになるが、後者であれば、私が一人の為に簡単に国を裏切る人間として天軍に扱われることになる……僅かな差ではあるが、その結果は大きい、そこまで計算して話す必要はあるが、だからこそ天軍は扱いやすい。
「ただ、私も最低限の義は果たさせてもらう」
「……当然だ」
有利な立場を自ら揺るがした天軍に、私の要求を跳ねのけることは出来ない、やりすぎれば、私が真実を話すだけで神への信仰が薄れてしまうのだから……まあ、手遅れだとは思うが。
それに、これでそこそこの要求は通るだろう。
「さて、この場で豊を返してくれるのか……言っておくが、私は約束は絶対に守るぞ?」
「そういうわけにはいかない、こちらの国に其方が来て、契約を交わしたときに返すとしよう」
「ならば誓え、豊の事を魂も含めた五体満足の生存した状態で返すと」
「誓おう」
……これで最大の不安はなくなった、神は誓いを破れないのだから、これで安心できる。
あとは、その時にできる限りの要求を飲ませるだけだ。
「あと、これは後にもいうが、私がいつまでも味方だとは思うなよ」
「……当然だ」
豊に乗り移った天使は、転移魔法を発動して逃げて行った。
私はマーガレットに向かい、軽く笑いかける。
……さあ、天使が最低限の目的を果たして少々油断したすきに、罠を仕掛けておくとしようか。