162話 閉じられた瞳23
星華が海辺で釣りを始めたころ、マーガレットは相変わらず書類に埋もれていた。
その時、不意に扉が叩かれる。
「どうぞ入ってください」
誰か分からないが、一々聞くのも面倒になっているマーガレットは、あっさりと入室を許可する。
だが、入ってきた人物を見て、怪訝そうな顔になった。
「豊さん……何か御用ですか?」
「個人的な話がしたい、そっちに暇があればだけど」
それを聞いてマーガレットは苦笑する、先ほど星華にも言われたことだったからだ。
「構いませんよ、先ほどしなければならない書類がそれなりに減りましたし、それに、貴女の事は星華さんに頼まれてますしね」
「……でも、書類いっぱいみたいだけど」
「急ぐ要件は全て終わっています、心配はいりませんよ」
彼女が個人的な話をしたいというのであれば、それを拒んではいけない、理由は不明だが、そんな気がするのだ……あの人に頼まれた事もあるが、どこか不安定に見える彼女の事を放ってはいる事は出来なかった。
「そうですね、私の部屋に行きましょう、椅子もありますし、お茶くらいなら用意できます」
マーガレットの部屋は執務室にある扉の先だ……本来の君主の部屋は別の場所にあるのだが、執務室から遠いので、元々物置だった空間を部屋として使っている。
豊を部屋に招き入れ、椅子に座らせてお茶をだす……そしてマーガレット自身も椅子に座った。
「話とはどのようなものでしょう?」
「私の昔の話なんだけど……星華ちゃんは話してないよね?」
「そうですね、あの人は、貴女が話したいと思ったら、自分から話すだろうと言っていました」
「そうだよね、星華ちゃんならそういうよね……あんまり気持ち良い話じゃないけど、いいかな?」
「はい」
豊は私に、自分の体について語ってくれた。
女であるのにも関わらず、子を産めない体……それだけでも苦痛は計り知れないだろうけれど、それだけとは思えなかった。
そう感じる一番の理由は眼だ、彼女の眼は幼く見える容姿に全く釣り合っていない、暗闇を見たことのある者の眼だった。
そしてその眼は星華も少なからず持っている、寧ろ豊よりも強いぐらいなのだが、あれは今は置いておこう。
そこまで考えたマーガレットは、静かに問う。
「……まだ、何かあるのですね」
「うん」
豊は、気持ちを落ち着けるように深呼吸をして冷静に口を開く。
「私は、数年前まで、娼婦として働かされていた……実の両親にね」
「…………」
「うちはそれなりに大きな神社だったけれど、人が来なくてね、絶対に妊娠しない私は丁度良かったんだと思う」
「……それは、いつから?」
「覚えてない、ずっと前から」
……実は、そこまで意外ではなかった、普段の彼女を見ると、人付き合いもよく、人に好かれている……というより、人付き合いが上手すぎるのだ。
どんな相手に対しても警戒心を抱かせず、打ち解ける……それを彼女は、自分の仕草一つ一つまで意識することで行っているように見えたのだ。
だが、それはおそらく無意識だったのだろう……体に染みついた誰かに媚びる仕草、物心付くから行ってきたそれは、そうしなければ生きる事すら出来なかった証だ。
「……貴女は」
「いいの、もうどうでもいい、星華ちゃんが助けてくれたから……ただ一つだけ他も見たいことがあるの」
「何でしょうか?」
「もし、何かあったとしても、星華ちゃんを悪く思わないでほしいの」
頷く……当然だ、そのために話したくないであろう自分の過去を話したのだから、自分の過去を話すことで頼みを聞いてもらう、一見大したことのないように聞こえるその頼みには、大事な理由があるのだろう……だが、それを聞くことは出来ない、そこは私が踏み込んでいい領域じゃない。
「ありがとう、まあ、星華ちゃんは結構変な人だけど、悪い人じゃないよ」
「……変な人ですか?」
「そのなんというか……悪口を言ってるといつの間にか背後にいるような感じ」
……彼女の考えは正しいのだろう、現に今、扉が開いた所だった。
「豊、私も混ぜてよ~」
「あれ、海行ってたんじゃないの?」
「いや、予想外の大物が釣れたから早めに帰ってきた」
そう言いつつも彼女は、部屋の隅から勝手に椅子を持ってきて、豊の横に座る……どうやら暫くは話を続けるつもりのようだ。