124話 顔無き者16
突き刺した匕首を捻り、傷口を抉る。
本来こいつは、ミキサーにかけても再生できるのだが、今回は違う。
暴食を宿した妖刀によって、切り裂くと同時に侵蝕するように、ニャルラトホテプを構成する成分を捕食していく。
「……背後からの攻撃、転移か」
「正解、遠くに行くのは、今の私にはエネルギー的に難しいけど、数メートルの移動なら数回は使える」
ただし、術式の完成には数秒かかるから、その間にばれたら意味が無い……今回は非常に弱い魔力の筋で、術式を描き、使用する瞬間に魔力を流す事で、ばれる可能性を下げて居た。
「もう遅い……勝ちたかったら、本体を持ってくればいい」
こいつは本体の九割の分体だ、本体を持って来ても、既に遅いのだが、それはこの世界での話だ。
……私達が元居た世界から持ってきた、ゴミみたいな量の破片、それがこの世界に居るニャルラトホテプの本体なのだから。
補足すると、こいつは世界一つごとに、一つの本体を持って居る存在だ。
人々の狂気から生まれ、狂気を得てその力を増し、一定以上のエネルギーになると、本体を分割して他の世界に送り、それを繰り返す災害、それがこいつの本性なのだろう。
「……もって来れないんだよ!」
「ああ、知っている、だから当分は残した本体の再生に勤しむんだな」
そう言って、暴食の力を強め、その全てを食い尽くす。
……ニャルラトホテプは諦め、最後には自らその力を明け渡した。
「……終わったのですか?」
「そうだね」
匕首を鞘に納めて、輝夜に答えを返す。
「あれは、何者ですか?」
マーガレットの問いに、少し考えてから答える。
「あれは、一人の小説家によって生み出された災害だね、狂気が名前を与えられたことにより神格化した存在、全てを破壊する冒涜的な神々、その中でも特に強い力を持つ化物……の断片」
所詮は断片、本物なら私なんか真っ先に発狂する……その狂気の矛はニャルラトホテプに向かうだろうけど。
「何故本体が来れないのでしょうか?」
「そうだね輝夜……アザトースが何かやったのか、他の存在の介入かだろうね」
クトゥルフ神話内で、ニャルラトホテプに勝てるのは、クトゥグアとアザトース位だろう、その上、本体の移動を制限するとなると、アザトースしか該当しない。
「さて、私は少しやる事があるから、後はお願いね……同盟の発表は早めにした方が良いと思うよ」
そう言って部屋を出る……さて、腹具合が悪い、消化に悪い物を食べたからだろうな。
◇ ◇ ◇
所変わって、地中深くにある洞窟、出口の無いその場所にそれは居た。
「一体あの女は何者だ、人間の強さじゃないだろう!」
「やっぱり荒れてるね~」
「……アザトースか、邪魔してこないと思ったら、こうなる事は分かって居たな?」
男とも女とも言えない声に、楽しそうな少女の声が突き刺さる。
「あはは、勿論だよ、彼女に勝てるの奴なんて居るのかな、まず精神力の桁が違うからね」
「あいつは何者だ?」
「彼女の親は人間として生まれてるよ……彼女は鬼だけど」
低く恨みの籠った声と楽し気な声は、交じり合う事なく洞窟の壁に響いている。
「……鬼女の類か」
「と言うより、両面宿儺だね」
「双頭の鬼神か」
「……両面宿儺、それは人徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、二つの頭に二対の手足を持った姿で描かれる鬼神」
「……あ、居たんだ」
急に出て来た私にアザトースが、こっちを見る。
「どうやってここに来た!」
「転移以外に方法があったら教えて欲しい、私はアンタの力を奪ったからね、この場所に限ってなら、少ない魔力で来れる」
ダンジョンの機能で帰還するのと同じだ、予測だが、この場所に転移の目印があるのだろう。
「で、何で来たの?」
「警告、復讐に来るならご自由に、だけど私はいつでもこの場所に来れるし、アンタの居場所を知る事が出来る……それを忘れないように」
ニャルラトホテプは苦々しげに頷く。
「アザトースも気を付けないと、私に喰われるよ」
「そうだね、まあ、気を付けるよ」
……流石に本体を相手にする気は無いのが伝わったのだろう、軽い返事を貰った。
「それじゃあね」
そういって転移を発動した。
「……あの女、いつか喰い返してやる」
「無理だと思うけどな~」
「いいや、いつか必ず潰してやる!」
「ほ~ほ~、出来るのかな?」
後ろから現れた私に、ニャルラトホテプが固まる。
「帰ったと見せかけて、影で聞いている……こんな古典的な方法に引っ掛かるとはね」
アザトースは気付いていた様だが、その力の殆どを失っていたニャルラトホテプは気付けなかったようだ……アザトースは面白いから放置していたんだろう。
「それじゃあ、保険をかけておこう」
そう言って匕首を一振りし、残ったニャルラトホテプの半分を喰い破る……これで更に再生への道が長くなった。
「何度来ても、少しだけ残して食ってやるよ……じゃあ、ほんとに帰るか」
そう言って転移を発動し、今度は私のダンジョンへと飛んだ。
……後日アザトースに聞いた所によると、その後数週間、ニャルラトホテプは常に周囲を警戒していたらしい。